区—7 伊王島  (確認 長崎要塞区域標? 第十五号)

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区—7 伊王島 (確認 長崎要塞区域標? 第十五号)

略図に描かれてないが、伊王島にも標石があった。高橋氏が昨年春、伊王島に行き、丘町から真鼻の伊王島灯台に行く道路脇に建っているのを見つけている。
標石は「長崎要塞区域標」「第十五号」である。

(注) この標石は、2005年(平成17年)3月15日付け長崎新聞に高橋氏調査「長崎の戦中物語る資料」として記事中、写真が掲載されている。上記文は私がこれに基づき、平成18年4月の研究レポート第2集159頁に報告したもので、私は実際、この標石を見たことがなかった。

平成19年9月9日、機会あって伊王島の史跡めぐりを兼ねたウォーキングを実施した。この標石を確認したところ、伊王島灯台の先端石垣の根元に立てかけられてあった。現在の写真は上のとおりである。
高橋氏によると灯台手前5mほどの右道脇にあったが、海岸側へ落ちそうになっており、自分が運んでここへ移したという。末長く保存しておいてもらいたい。

良くみるとこの標石は、上部は「2ndZ」下部は「第二」の刻みがあり「第二地帯標」となる。「長崎要塞地帯略図」が示しているのは、香焼島の先端栗の浦あたりまでが第二地帯で、伊王島の灯台あたりは第三地帯となり、他例から「長崎要塞区域標」の刻みのある標石が設置されるはずである。標石の刻みにいささか疑問がわく。高橋氏に相談し解明が必要なようだ。

(追 記 2014年4月14日)
1昨年、伊王島灯台を訪ねたとき、この標石は灯台石垣工事のため灯台記念館横の階段のところに移され、放置されていた。長崎市伊王島行政センターへ、もともとの所に建てるよう苦情を言った。本来の場所はわからず、高橋氏の記憶に近い場所として、灯台手前から右下海岸へ下る石段の少し手前、遊歩道右側つつじ植え込みの間に、私が立会い行政センター職員と建立しなおした。それが後ろの3枚の写真。