伊能忠敬測量隊本陣・別宿跡などの碑 杵築市杵築
杵築市街の中心部、杵築市役所前の通りを東へ進む。途中で見た伊能忠敬測量隊本陣・別宿跡の碑、旧藩時代の町役所跡の碑、杵築驛からの明治里程道標。
入江氏の研究によると、この日の伊能忠敬「測量日記」の原文を解読したものは次のとおり。
文化七年(1810年)
二月七日 朝晴天。先手後手六ッ頃浦下原村出立。後手(あとて)我等(われ、忠敬自身)、青木、永井、上田、長蔵、別手昨日仕越、奈多村字仕口より初、奈多村、狩宿村、野部(野辺)村、守江村 右村々人家海辺に隔る、御茶屋迄測 領主の茶屋。奈多村字仕口より海辺二里一十町四十三間四尺。守江村中食 庄屋兵作。
それより乗船。先手(さきて)坂部、下河辺、梁田、箱田、平介、守江村御茶屋前より初、灘手村、大内山村、字屋木ノ下、同本村、草場村、字塩江崎、それより速見郡木田村 守末村入会へ堤印を残し、字札ノ辻を経て、杵築城下、馬場村尾口門より市中(冨坂町、新町、仲町、谷町)北印迄測(守江村御茶屋前より二里五町五十九間三尺)。
(付箋)二里五町五十九間三尺、内、守江村より堤印迄一里二十二町八間、堤より北印迄一十九町五十一間三尺。
奈多村仕口より杵築谷町迄合四里一十六町四十三間一尺。先手九ッ、後手九ッ半に杵築城下へ着 松平備中守居城。止宿(ししゅく)本陣 中町(仲町)佐伯屋小助。別宿谷町伊予屋兵右衛門。
着後、日出木下主計頭代官有村広作、同所止宿南部屋録十郎、島原御預所庄屋格之丞、同速見郡真那井村庄屋仙助、島原御預所高松御役所付原村庄屋藤兵衛、野田村庄屋逸平、中川修理大夫領三佐浦大庄屋加藤式平、河村仙次郎来る。杵築侯より使者岡田仙三郎出る。宿老塩屋叔蔵、冬木屋金十郎出る。
此夜宵より五ッ頃迄曇る。木星測量、恒星測量共不測。
杵築市の例は、本ブログ次を参照。長崎市も早く設置するよう要望しているが、進展がないので、参考事例として写してきた。
伊能忠敬長崎測量の止宿(ししゅく)は、諏訪神社下の地
https://misakimichi.com/archives/4394