柞原八幡宮  大分市大字八幡 ( 大分県 )

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柞原八幡宮  大分市大字八幡

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。JR西大分駅先から県道696号へ入る。柞原バス停から柞原八幡宮の参道を上がるか、上の駐車場まで行く。
柞原八幡宮の裏参道石畳は、本ブログ次を参照。 https://misakimichi.com/archives/4956

柞原八幡宮

柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)は、大分県大分市にある神社。豊後国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。
「いすはら」・「ゆすばる」とも読み、由原八幡宮とも表記する。

歴史
鎌倉時代に書かれた社伝には、創建の由来が以下のように記されている。
天長4年(827年)、延暦寺の僧・金亀(こんき)が宇佐八幡に千日間籠り、「天長7年3月3日に八幡神が豊前国に垂迹する」との神託を得た。天長7年7月7日、大分郡賀来郷に白幡が飛び渡った。金亀はこのことを朝廷に奉上し、承和3年(836年)、仁明天皇の命により豊後国司・大江宇久が社殿を造営した。
上記の内容の全てが史実であるかどうかはわからないが、当社が宇佐八幡の豊後国における分祀であるのは間違いなく、宇佐八幡の別宮の一つとして崇敬を受けた。長徳4年(998年)からは宇佐八幡と同様に33年ごとの社殿の造営(式年遷宮)が行われるようになった。…

境内・社殿
大分市街地西方の二葉山(八幡柞原山とも)山麓に鎮座する。境内入口の長い階段を上ると南大門が南東向きに建つ。この門を過ぎると、道は正面方向と右斜め方向の二手に分かれる。正面の道は西門(参拝入口)へ向かう参道、右斜め方向の道は勅使道と呼ばれ、石段を経て神域南正面の楼門へ至る。本殿は八幡造と呼ばれる特異な建築形式になる。本殿手前には申殿、その手前に接して拝殿が建ち、拝殿手前に前述の楼門がある。このほか、楼門左右に東西回廊、本殿左右に東西宝殿、本殿西方に宝蔵と八王子社、申殿西方に前述の西門が建つ。本殿、申殿、拝殿、楼門、東西宝殿、東西回廊、西門、南大門の10棟は2011年、国の重要文化財に指定された(他に宝蔵と八王子社が重要文化財の「附」(つけたり)指定となっている)[2][3]。以上の社殿はいずれも寛延2年(1749年)焼失後に順次再建されたものである。[4]…