月別アーカイブ: 2014年9月

天降川上流甌穴群  霧島市牧園町宿窪田真米

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天降川上流甌穴群  霧島市牧園町宿窪田真米

霧島市HPによる説明は、次のとおり。(あまつち/ジオと神話の物語へようこそから引用)
現在は、国指定天然記念物の区域内(平成25年3月27日指定)となっているよう。

天降川上流甌穴群

天降川の上流の真米地区にあり、長さ約434m、幅は広いところで46mあり、面積が12,257平方メートルあります。対岸は横川町になっています。

塩浸発電所の取水口の下流にあるため流水が少なく、川床を歩きながら観察することができます。川床の岩盤は霧島山系の溶結擬灰岩で軟弱であるため、軽石や安山岩・礫岩などが水流で回転して、川床を削ることで穴ができます。円形や楕円形の甌穴ができますが、それらがいくつかつながって溝形になることもあります。中には形がゆがんでスプーン形や鎌形になったものもあります。
真米甌穴群は、これらの形がはっきりしているものが多く、学術上も大変貴重です。

•昭和52年4月15日指定(市指定天然記念物)
•所在地:霧島市牧園町宿窪田真米

農協の石倉跡  霧島市牧園町宿窪田

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農協の石倉跡  霧島市牧園町宿窪田

国道223号牧園麓交差点から、横川への県道50号へ入る。すぐ牧園小学校前交差点の左角に、この石造建物があった。隣りは現在の「JAあいら牧園」。
HP「牧園町65選 史跡編」によると、次のとおり。

農協の石倉 (宿窪田 麓)
大正7年に建造と伝えられている。当初は農産物貯蔵用倉庫であったが現在は使用されていない。

塩浸温泉  霧島市牧園町宿窪田

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塩浸温泉  霧島市牧園町宿窪田

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。

塩浸温泉

所在地 鹿児島県霧島市牧園町宿窪田3606番地
泉質 単純炭酸泉、重炭酸土類泉、炭酸水素塩泉
泉温 50 ℃
塩浸温泉(しおびたしおんせん、しおひたしおんせん)は、鹿児島県霧島市牧園町宿窪田3606番地(旧国大隅国)に位置する温泉である。鶴の湯とも呼ばれる。新川渓谷温泉郷に属する温泉群のひとつであり、周辺は天降川(新川)水系石坂川の渓谷となっている。国道223号沿いにあり、付近に塩浸発電所がある。2010年(平成22年)の改装オープンに伴い、塩浸温泉龍馬公園(しおひたしおんせんりょうまこうえん)となっている。

歴史
1806年(文化3年)頃に発見され、温泉で鶴が傷を癒していたことから鶴の湯と呼ばれるようになった。古くから切り傷や胃腸病に効能があるとされていた。安政年間、国分に住む丸山栄右衛門が浴場を設けたが数年で廃止されている。1866年5月1日(慶応2年3月17日)に坂本龍馬・お龍夫妻が訪れた。この時に夫妻が入浴したとされる湯船が脇の川沿いに残されている。

1867年(慶応3年)、福山郷に住む岡本助八が浴場を設け、戊辰戦争の負傷兵に効能があったとして一躍有名となった。付近の川岸に「塩牡蠣」(地元では白色の固形物を表す)が付いていたことから塩浸温泉と呼ばれるようになり、薩摩藩によって道路や温泉施設が整備された。1885年(明治18年)に暴風雨の被害があったものの再興している。

1969年(昭和44年)に牧園町営塩浸温泉センター(後に塩浸温泉福祉の里)が開業し、1989年(平成元年)11月23日に「坂本龍馬・お龍新婚湯治の碑」が建てられた。しかし、建物が老朽化してきたことから2009年(平成21年)3月末限りで入浴施設は一旦閉鎖となった。その後、新たな入浴施設と公園、坂本龍馬や観光に関連した資料を展示する施設を整備する工事が実施され[1]、2010年(平成22年)5月1日に塩浸温泉龍馬公園として再開業した。公園の総面積は1,795平方メートル、総事業費約2億6800万円となっている[2]。

施設
入浴施設は石坂川の東側の狭いスペースに建てられており、2つの異なる源泉から引かれた温泉がある。老朽化していた管理棟は取り壊されて、入浴施設として使われていた2棟のうちの1棟は龍馬資料館「この世の外」に改造されている。男湯は「龍馬の湯」、女湯は「お龍の湯」の名前で、床面積155.97平方メートルである。資料館は面積77.28平方メートルで、2011年(平成23年)3月31日までは大河ドラマ『龍馬伝』の記念展示を行っている。また無料の足湯「龍馬とお龍の縁結びの足湯」が設置されている[3]。入浴施設の北側に「坂本龍馬・お龍新婚湯治の碑」が立てられている。龍馬とお龍の像は、彫刻家楠元香代子の手による。

石坂川を挟んで西側を国道223号が通っており、すぐ北側で石坂川を横断している。2010年(平成22年)の新装開業までは、国道からは温泉施設へ入る専用の「つるのゆばし」という橋が架けられていた。この橋は、下部にかつて使われた橋がそのまま残されており、その上に新たな橋が掛けなおされている二段構造であった。上の橋も、1967年の国道開通時に低い位置にあった橋を嵩上げしたものであった[4]。2010年(平成22年)の改装にあたってこれらの橋は撤去され、新しい「塩浸温泉橋」が架けられている。

アクセス
鹿児島空港・JR国分駅よりいわさきバスネットワーク霧島いわさきホテルゆき乗車、塩浸温泉下車すぐ。

参考文献
・牧園町郷土誌編さん委員会編 『牧園町郷土誌』 川畑義照(牧園町長)、1991年(平成3年)
・黒川達爾雄 『かごしま文庫41 いで湯の国・鹿児島』 春苑堂出版、1997年(平成9年)、ISBN 4-915093-48-4

天降川流域の火砕流堆積物  霧島市(天降川、久留味川)

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天降川流域の火砕流堆積物  霧島市(天降川、久留味川)

鹿児島県教育委員会HPの「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。
鹿児島県牧園町の新川渓谷遊歩道に架かるラムネ橋から上流へ天降川・久留味川それぞれ約2キロの範囲が国の天然記念物に指定されている。

天降川流域の火砕流堆積物
【所 在 地】霧島市(天降川、久留味川)
【種別】国指定天然記念物(地質)
【指定年月日】平成25年3月27日

南九州の台地はシラス台地とよばれ、巨大なカルデラから噴出した火砕流堆積物から構成される特徴的な地層から構成されている。鹿児島湾に注ぐ天降川中流域及びその支流の久留味川は渓谷をなし著しい穿入蛇行を示すとともに、河床には甌穴が発達する。流域の河床及び河岸の崖には、シラス台地を構成する主要な三つの火砕流堆積物などがみられる。古い順に➀加久藤火砕流;約30万年前に、現在の鹿児島県湧水町、宮崎県えびの市、小林市にまたがる加久藤カルデラから噴出し、大隅半島から熊本県人吉地方までを覆った。➁阿多火砕流;約10万年前に現在の鹿児島湾湾口部の阿多カルデラから噴出し、南九州を広く覆った。➂入戸火砕流;2.5〜2.2万年前に現在の鹿児島県北部の姶良カルデラから噴出し南九州を広く覆い、火山灰(AT火山灰)は遠く北海道まで飛散している。の堆積物が良好に発達する。また、蛇行する河川を短絡させたトンネルや周辺の水田に導入した手掘りの水路など、加工がし易い火砕流堆積物を巧みに利用した人工物も見られる。
天降川の流域では、南九州のシラス台地の主要な構成要素である三つの火砕流堆積物などが良好に発達するほか、火砕流堆積物と暮らしてきた痕跡が見られるなど、この地域の風土を理解する上で欠かせない要素がそろっている。

犬飼滝  霧島市牧園町下中津川

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犬飼滝  霧島市牧園町下中津川

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。「三国名勝図会」と犬飼の滝は、HP「犬飼の滝ー霧島と坂本龍馬」から。

犬飼滝
所在地 鹿児島県霧島市牧園町下中津川
落差 36m  滝幅 21.8m
水系 天降川水系中津川
犬飼滝(いぬかいのたき)は鹿児島県霧島市にある滝である。

概要
奈良末期から平安初期の律令官僚、和気清麻呂(わけ きよまろ、733年-799年)が道鏡の皇位継承を阻んだ怒りを買ってこの地に流されたとされる。近辺には和気を祭神とする和気神社がある。
また、坂本龍馬が妻お龍と日本初の新婚旅行として、ここを訪れた。姉乙女宛に「蔭見(いんけん)の滝、其滝の巾五十間(約百メートル)」と書き送っている。
県道470号線の道路脇に滝の展望台もある。
アクセス
JR日豊本線国分駅からいわさきバス霧島いわさきホテル行きで23分、安楽橋下車、徒歩30分

和気神社  霧島市牧園町宿窪田

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和気神社  霧島市牧園町宿窪田

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。

和気神社
和気神社(わけじんじゃ)は、鹿児島県霧島市にある神社である。

祭神
和気清麻呂公命を祀る。神号は護王大明神。
由緒
祭神である和気清麻呂は、神護景雲3年(769年)、宇佐八幡宮神託事件に関連して大隅国へ遠島となった。後に名誉回復されて京へ戻っている。
嘉永6年(1853年)、鹿児島藩第11代藩主島津斉彬が日向国・大隅国を視察した折に、この地に松を手植えし、側近の八田知紀に命じて和気公の遺跡調査を行わせた。この結果、この地が和気公の配流地であったことが確定した。
昭和14年(1939年)に和気清麻呂公精忠顕彰会ができ、和気神社創建の請願を行った。同17年(1942年)5月6日に県社として創立許可が下り、翌18年に起工したが、実際に鎮座したのは戦後の昭和21年(1946年)3月である。
祭祀
例大祭は5月6日で、これは創立許可が下された日である。この他11月第3日曜日に亥の子祭が開かれる。

境内
拝殿前には狛猪がある。これは配流の際に、宇佐神宮に参詣しようと豊前国に上陸したところ、猪が輿を守ったとの伝説(『日本後紀』巻八)により、猪が和気清麻呂の守護神とされているためである。
近隣の妙見温泉観光協会が平成7年(1995年)の亥年に妙見温泉命名100周年を記念して奉納した、白い猪が飼われており、「あいちゃん」の愛称が付けられている。また平成19年の亥年には境内に猪の大絵馬が作られた。その後、平成20年5月25日生まれの「和気(わけ)ちゃん」という愛称の白い猪も飼われている。
社務所の脇には、坂本龍馬とお龍の夫妻が日本で最初の新婚旅行と言われる薩摩滞在でこの地を訪れたことを記念する碑がある。鳥居の前には「忠烈和気公之遺跡」碑と、「義人稲積翁之碑」が立っている。稲積翁は、清麻呂がこの地に配流されていた折にその世話をしたとされる人物である。
参道前の滝見台からは、中津川(天降川支流)にある犬飼滝を見渡すことができる。

交通
国道223号妙見温泉から鹿児島県道470号犬飼霧島神宮停車場線。県道から階段を登る徒歩の参道と、鳥居の前まで乗り入れられる車道がある。

牧園の大茶樹(二代目)  霧島市牧園町

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牧園の大茶樹(二代目)  霧島市牧園町

公益財団法人世界緑茶協会HP「O-CHA NET」による説明は、次のとおり。

日本茶の古木(大茶樹)

日本の国土は自然条件に恵まれており、茶の木は北海道以外の各県に育ちます。しかし、安定的な茶業経営が成り立つのは茨城県から埼玉県以南の地方であり、西南暖地が生産地となっており、山間地に野生化した茶の木も分布しています。日本茶には千年近い歴史があり、各地に野生化した茶の気があるにも関わらず、古木と見られる大茶樹がきわめて少ないことに気づきます。
古い茶産地の宇治や奈良を始め、静岡、埼玉、さらに古来人手の入らない伊勢神宮の神宮林などいずれも茶樹と思われるものはありません。茶の木は茶を摘むために大きく育てることなく時々根本から切り倒して茶摘みがしやすくなるようにしてきたことも考えられます。

嬉野の大茶樹
佐賀県嬉野町から北西にある不動岩に国の天然記念物となっている大茶樹があります。樹齢400年前後といわれ、直径14〜15cm内外の幹が10本近く分枝しており、こんもりとした小さな森のようになっています。
この茶の木は、小葉種の灌木性としては、世界一ではないかと思います。中国にも小葉種の木としては見ることができません。
(嬉野の大茶樹は、本ブログ次を参照。 https://misakimichi.com/archives/721

牧園の大茶樹
鹿児島県の北部、牧園町にも大茶樹が古くから伝えられていますが、最古の木は老齢となり枯死しましたが、二代目が牧園町役場前に庭木として保存されています。根部の周囲1.5mもありそうな大きな木です。

この他各地に直径15cmほどの老木の茶の木はありますが、古木といえるような大木は見ることはできません。

ノカイドウ自生地  霧島市牧園町えびの高原

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ノカイドウ自生地  霧島市牧園町えびの高原

鹿児島県教育委員会HP「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。

ノカイドウ自生地

【所 在 地】霧島市牧園町高千穂新床鹿倉 3968,万膳えびの1488
【種別】国指定天然記念物
【指定年月日】大正 12 年3月7日

ノカイドウはバラ科リンゴ属に属し,明治 42(1909)年牧野富太郎によって発表された植物で,中国原産でわが国でも栽培されるカイドウの変種とされている。樹高は約 1.5〜5 m になる落葉小低木で,幹は多く分岐し,短い枝はしばしば刺状となる。葉は卵状楕円形で長柄があり,5月上旬から中旬に桃色がかった白い5弁花を多数つける。
指定地は,霧島の標高 1,200m ほどのところにあるえびの高原の,鹿児島県と宮崎県境の渓流沿いにある。一帯はアカマツやノリウツギが混生するキャンプ場に隣接した樹林帯にあり,宮崎県側の方が個体数は多い。自生地は,他の植物の繁茂やシカによる食害のため個体数の減少が心配されている。また若齢木や幼木は皆無状態で現状のままでは将来,絶滅のおそれもある。
近年,シカの食害防止のために,幹の下部にネットをはるなど保護に努めている。

えびの高原と不動池  宮崎県えびの市

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えびの高原と不動池  宮崎県えびの市

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。

不 動 池

不動池(ふどういけ)は、九州南部のえびの高原北東部にある直径約200メートルの火山性湖沼である。
周りを高さ約20メートルの急斜面に囲まれており流入流出する川はない。雨の少ない冬期には水位が約2メートル低下し、1月から2月にかけて結氷することもある。水質は強い酸性(pH=4.5)を示すが、酸性度は年々弱まる傾向を示している。強い酸性水質のために生物は少ないが、ハリミズゴケ、ウマスギゴケ、ユスリカ、ゲンゴロウなどが確認されており、生物種数は年々増加傾向にある。池岸の地質は輝石安山岩であり、池底には火山砂礫が堆積している。
生物が少ないことと砂礫地質のために透明度が高く、水深が比較的大きいことから特徴的な濃い青色(フォーレル水色標準3番または4番)を呈する。近くを県道1号が通っており、池を見おろす駐車場付近は日中多くの見物客で賑わう。

形成
不動池は霧島火山群に属する火口の跡であり、おおむね3000年前にここから流出した溶岩が六観音御池と甑岳の間に残されている。噴火に伴って水蒸気爆発が発生し深い窪地(マール)が形成され、やがて水が溜まって池となった。

参考文献
・えびの市郷土史編さん委員会編 『えびの市史 上巻』 宮崎県えびの市、1994年
・田中正明 『日本湖沼誌』 名古屋大学出版会、1992年
・水沼栄三 「霧島山頂火口湖の水質」 『霧島山総合調査報告書』 霧島山総合研究会、1969年

加久藤ループ橋  人吉市国道221号

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加久藤ループ橋  人吉市国道221号

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。

国道221号

国道221号(こくどう221ごう)は、熊本県人吉市から宮崎県都城市に至る一般国道である

概要
中九州と南九州を結ぶ重要な道路であり、難所であった標高720mの加久藤峠を加久藤トンネルや人吉・えびのループによって解消してきた[1]。1995年(平成7年)7月27日に並行する九州自動車道人吉IC・えびのIC間が開通[2]後も同自動車道八代IC・えびのIC間では危険物積載車両の通行が禁止されているため、規制されるタンクローリーなどは八代市からえびの市にかけて国道219号と併せて代替道路として利用することとなり、国土交通省九州地方整備局は高速輸送ネットワークのミッシングリンクとして課題に挙げている[3]。

トンネル
加久藤トンネル 熊本県人吉市から宮崎県えびの市に至る延長1,809mのトンネル。1972年(昭和47年)3月に完成[9]。全長のうち、宮崎県側は1,160mである[10]。雲海トンネル

橋梁
加久藤ループ橋 熊本県人吉市と宮崎県えびの市の境界にある加久藤トンネルの前後にはそれぞれループ橋が設置されている。これらは標高差55mの人吉ループと標高差75mのえびのループからなり、加久藤トンネルと同じく加久藤峠の狭隘な道路の解消を目的に建設され、加久藤ループ橋と総称される[1]。人吉ループはカーブ半径95mから140mの橋3本で構成され、1977年(昭和52年)に完成。えびのループはカーブ半径150mから400mの橋6本とトンネル3本で構成され、1979年(昭和54年)に完成した[1][11]。