さが名木100選 99 嬉野のチャノキ 嬉野市嬉野町大字不動山
国道34号線嬉野市街入口から虚空蔵山の登山口となる皿屋谷へ県道106号線により入る。上不動で千室橋を渡って皿屋谷へ左折する。皿屋谷に大茶樹入口バス停があり、登山口は左へ行くが、車道をまっすぐ進むと、大茶樹のある入口に着く。
佐賀県同パンフレットによる説明は次のとおり。
99 嬉野の大茶樹(チャノキ)
・所 在 地 嬉野町不動山上不動
・推定樹齢 340年
・大 き さ 樹高 4m 枝張り 8m
・登録番号 49647
嬉野茶の茶祖として崇められている吉村新兵衛が、江戸時代、皿屋谷一円に茶を栽培し、その中の一本が現在の大茶樹と伝えられている。
また、大茶樹の茶葉を献上茶として精製し、天皇陛下に飲用に供したこともある。
国天然記念物(大正15年10月20日指定)
なお、現地説明板は次のとおり。
国指定天然記念物 嬉野の大茶樹 指定日 大正十五年十月二十日
茶はつばき科に属する常緑の灌木で製茶飲用として広く栽培されている。年月の経過した茶には十月頃に白色五弁の花を咲かせその果実に通常三個の種子をもつ。
この嬉野の大茶樹は元来は一本で樹高約四m、枝張約十二mを測り樹齢は約三四〇年を推定され茶の代表的巨樹として歴史的学術的に評価の高いものである。
この皿屋谷地区には嬉野茶の祖として吉村新兵衛が祭られている。吉村新兵衛は役目のため肥前白石郷(現白石町)からこの地に移住し、慶安年間に往来札に関して法度に触れ、切腹と決められたが、先代の武功により助命され、その後茶の栽培に尽力し、嬉野茶を創始したとされている。
吉村新兵衛は藩主鍋島勝茂が逝去したおり(一六五七)に白石の居宅にて殉死を遂げている。
この大茶樹は、この頃に植栽されたもののひとつであると伝えられている。
嬉野町教育委員会