月別アーカイブ: 2012年8月

マルキン記念館(旧醤油醸造工場)  香川県小豆郡小豆島町

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マルキン記念館(旧醤油醸造工場)  香川県小豆郡小豆島町

国指定文化財等データベースによる解説は、次のとおり。記念館の建物は左の方。

名称:マルキン記念館(旧醤油醸造工場)
ふりがな: まるきんきねんかん(きゅうしょうゆじょうぞうこうじょう)
員数: 1棟
種別1: 産業2次
種別2: 建築物
時代: 明治
年代: 明治41〜42
西暦: 1908-1909
構造及び形式等: 木造平屋建、瓦葺、建築面積1083㎡
登録番号: 37 − 0002
登録回: 1
登録告示年月日: 1996.12.26(平成8.12.26)
登録年月日: 1996.12.20(平成8.12.20)
登録基準1: 国土の歴史的景観に寄与しているもの
所在都道府県: 香川県
所在地: 香川県小豆郡小豆島町苗羽甲1850
所有者名: マルキン忠勇株式会社
解説文:
小豆島に建つ醤油醸造のための工場施設を転用した記念館。マルキンの印を妻に書き上部に明かり取り窓をとる外観に特徴があり,江戸時代後期以来醤油醸造で栄えた小豆島において,往時の景観を知る上で欠くことのできない存在である。

オリーブ園のオリーブ  香川県小豆郡内海町

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オリーブ園のオリーブ  香川県小豆郡内海町

香川県HP「香川の環境」巨木による解説は、次のとおり。小豆島オリーブ原木の2世。

オリーブ園のオリーブ

オリーブは、香川県の県花・県木である。モクセイ科の常緑高木。中近東一帯に自生し、エルサレムには、幹周7.5m、樹齢1000年をこす大樹があるという。生育の適地は、比較的雨量の少ない地域とされる。わが国では文久年間(1861〜64)に幕府の医師林洞海が栽培を試みている。本県では、明治41年(1908)小豆郡内海町西村に試験地を設け、栽培に成功した。その後、小豆島を中心に広まり、最盛期には、栽培面積200ヘクタールにもなった。このオリーブ原木は、試験地での2世。大正10年(1921)に植えられたものである。この一帯のオリーブは香川の保存木に指定されている。最初に植えられた明治期のオリーブの木は、今、どこにも残っていない。オリーブ園は、地中海固有の景観である。このオリーブの丘には、小磯良平、猪熊弦一郎、中西利雄などの著名な画家が来て、絵筆を取っている。

草壁港からバスを利用、オリーブヶ丘バス停下車すぐ

誓願寺のソテツ  香川県小豆郡小豆島町

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誓願寺のソテツ  香川県小豆郡小豆島町

国指定文化財等データベースによる解説は次のとおり。

名称: 誓願寺のソテツ
ふりがな: せいがんじのそてつ
種別1: 天然記念物
指定年月日: 1924.12.09(大正13.12.09)
指定基準: (一)名木、巨樹、老樹、畸形木、栽培植物の原木、並木、社叢
所在都道府県: 香川県
所在地(市区町村): 小豆郡小豆島町
解説文:
天然紀念物調査報告(植物之部)第四輯 一二〇頁 參照 天然紀念物解説 一九八頁 本樹 Cycas revoluta Thunb. ハ根元ヨリ五本ノ太キ枝ニ分ル地上六尺ノ高サヨリ數本ノ太キ枝ヲ出ス根元ノ全周圍約二丈太キ枝ノ周圍七尺餘本樹ハ雌株ナリ

(HP香川の情報満載「あ!みぃつけた」の解説)
■小豆島霊場第三十一番札所
誓願寺は小豆島霊場第三十一番札所であり、境内に天然記念物のソテツ・香川の保存木イブキがあることで有名です。
■天然記念物ソテツ
誓願寺の山門をくぐると、目の前に大ソテツが現れます。このソテツは、その昔塩屋金八なる人物(塩田・廻船業を営む)が、長崎から持ち帰り、寄進したといわれ、樹齢1000年以上と推定されます。複数の株を寄せ植えたように見えますが、一本の雌株からなり、根幹周囲6メートル、高さ2メートル以上あります。大正13年に天然記念物に指定されました。
■香川の保存木イブキ
ソテツの西側には、香川の保存木に指定されたイブキがあります。樹高は16メートルあります。普通イブキの樹皮は荒肌になるのですが、磨かれたような滑らかな樹皮になっているのも珍しいそうです。
■大黒天の自然石
境内には150年ほど前に山中から出現した大黒天の自然石も安置され、一般に公開されています。

宝生院のシンパク  香川県小豆郡土庄町

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宝生院のシンパク  香川県小豆郡土庄町

国指定文化財等データベース及び香川県HP「香川の環境」巨木による解説は次のとおり。

名称: 宝生院のシンパク
ふりがな: ほうしょういんのしんぱく
種別1: 特別天然記念物
指定年月日: 1922.10.12(大正11.10.12)
特別指定年月日: 1955.08.22(昭和30.08.22)
追加年月日:
指定基準: (一)名木、巨樹、老樹、畸形木、栽培植物の原木、並木、社叢
所在都道府県: 香川県
所在地(市区町村): 小豆郡土庄町
解説文:
天然紀念物調査報告(植物之部)第三輯 六九頁 参照 天然紀念物解説 一八〇頁 根元ノ周圍四丈八尺、地上約二尺ニシテ三大支幹ニ分ル各支幹ノ基部ノ周圍ハ北向ノモノ二丈四尺、西向ノモノ二丈五尺、南向ノモノ二丈五尺アリ いぶき Juniperus chinensis L.ノ代表的巨樹ナリ 地際の周囲15メートル、殆ど根本からそれぞれ基部の周囲7 08メートルの3大支幹に分れ、樹高約23メートル、樹冠は球状に近い。既知のシンパクのうち最大のものである。

(香川県解説)
シンパクで、特別天然記念物に指定されているのは、本樹のみ。シンパクとして日本で最大の老巨樹である。
ヒノキ科の常緑高木で、雌雄異株。宮城県以南、四国、九州の海岸部に自生する。本県でも香川の保存木として、四樹が指定されている。
イブキ、ビャクシン、シンパクなどと呼ばれているが同一のものである。
宝生院は、皇踏山の南麓にある、小豆島88ヶ所の54番札所である。シンパクの巨樹は、境内の東側、一段高いところの広い広場にある。
一株の木であって、森にも見えるほどに堂々と枝を広げている。地上1mで、支幹を三方に分かつ。そのいずれにも、空洞が見られるが樹勢は旺盛である。
平成6年度、支柱の補強事業が実施された。その折、小枝の年輪を数えたところ1センチ幅で
60年であった。
樹齢1500年は、古墳時代からのもの。老巨樹の底知れない生命力が感じられる。
【データ】
樹高 20.0m  胸高幹周 7.80m  枝張り 25.7m
所在地 小豆郡土庄町上庄中  指定状況 国指定特別天然記念物
【道 順】
北山バス停下車、徒歩約3分

陶眼鏡橋  香川県綾歌郡綾川町

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陶眼鏡橋  香川県綾歌郡綾川町

綾川町に残るアーチ式石橋。HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」香川県の石橋によるデータは、次のとおり。
コトデン陶駅近く国道32号陶交差点から県道17号へ入り、すぐの西岸寺岸の川に降りる。

№3,930  陶眼鏡橋  2009.01.03

香川県綾歌郡綾川町陶(すえ)
御寺川
径間:2.8m  拱矢:1.9m

次のチェックポイントはここ、県道17号線
管轄が違うのか、役場の建設課に確認しても石橋があることはご存知ありませんでした
あるかないか分からないままに下流側に降りて確認
どうもコンクリートのボックスに変わっているようです
念のため上流側まで見通すと、端にアーチが見えました
急いで上流側に回り込むと輪石が確認できました
まず下流側から確認したので喜びはひとしおです
ロープで川床に降りましたが、水深があり近寄れません
要石に浮彫りが施してあります
ロープなしで簡単に戻ることができました

旧讃岐鉄道岩屋架道橋  香川県綾歌郡宇多津町  

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旧讃岐鉄道岩屋架道橋  香川県綾歌郡宇多津町 

宇多津町に残るアーチ式石橋。国指定文化財等データベース及びHP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」香川県の石橋によるデータは、次のとおり。宇多津中学校の北側。

名称: 旧讃岐鉄道岩屋架道橋
ふりがな: きゅうさぬきてつどういわやかどうきょう
員数: 1基
種別1: 交通
種別2: 土木構造物
時代: 明治
年代: 明治30
西暦: 1897
構造及び形式等: 石造単アーチ橋、橋長5.9m
登録番号: 37 − 0321
登録回: 62
登録告示年月日: 2009.01.22(平成21.01.22)
登録年月日: 2009.01.08(平成21.01.08)
登録基準1: 国土の歴史的景観に寄与しているもの
所在都道府県: 香川県
所在地: 香川県綾歌郡宇多津町字茶臼山
所有者名: 宇多津町
解説文: なし(別の解説と間違っている)

(HP「石橋橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」データ)

№4,794  岩屋架道橋  2009.11.23
綾歌郡宇多津町岩屋
橋幅:7.1m  径間:2.4m  拱矢:1.2m  環厚:30cm

旧讃岐鉄道岩屋架道橋  国登録有形文化財
「旧讃岐鉄道の数少ない建造物であり、鉄道・道路を含め、県内最古のアーチ橋である。全国的にも類例の少ない純石造の鉄道建造物で、国土の歴史的景観に寄与しているものとして登録された。
讃岐鉄道は、明治22年(1889年)に多度津を起点に丸亀・琴平を結んで開業した四国最初の本格的な鉄道路線である。明治30年(1897年)には、路線が丸亀から高松(西浜)へと延伸。その後、明治39年(1906年)に国有化され、国有鉄道讃岐線(のち予讃線)と呼称された。
宇多津町内には、昭和63年(1988年)の瀬戸大橋線開業に伴う路線の移転による廃線遺構が残っており、その中でも岩屋架道橋は最も保存状態のよい構造的にも特筆される事例である。
鉄道路線と里道、用水路を立体交差させるためにアーチ橋として構築、アーチ部を含めすべて花崗岩の切石を使用していることが特徴。アーチは半円アーチとし、壁面は布積み、橋の両側には谷積みの翼壁を設け、アーチ天端には、楔形の要石(キーストーン)をはめ込んでいる。町民からは、アーチ形のため、“めがね”“石のトンネル”と呼ばれ親しまれてきた。」  宇多津町

若宮神社のイブキ  香川県善通寺市中村町

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若宮神社のイブキ  香川県善通寺市中村町

香川県設置の現地説明板は、次のとおり。善通寺の北方約1.5kmの若宮神社は、小さな鳥居があるだけ。

県指定天然記念物  若宮神社のイブキ

イブキは常緑の針葉樹であり、葉と幹に大きな特徴がある。イブキの葉は鱗片葉であるが、枝を切りこむと針葉をつける場合がある。幹皮は斜になって荒肌となる。
この若宮神社のイブキは、樹高約15m、胸高周約6.1mで、樹形は紡錘状になっている。
イブキは長命の木であり、このイブキについても、推定樹齢約450年と考えられている。
昭和51年3月23日指定  香 川 県

善通寺の大楠  香川県善通寺市善通寺町3丁目

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善通寺の大楠  香川県善通寺市善通寺町3丁目

香川県HP「香川の環境」巨木による解説は、次のとおり。

善通寺境内の大グス

総本山善通寺の境内には、2本のクスノキの巨樹がある。
大門に近い方を「大グス」、その西北方のものを「五社明神大クス」と呼んでいる。
樹形寸法は、大グスのものである。
五社明神大クスは、樹高40mを越え、五重塔(高さ46m)と並ぶほどの高さである。胸高幹周が10m、すぐその上から南北に二つの支幹を出す。枝張りは、37mに及ぶ。その周囲には、石垣を築き、玉垣をめぐらせて手厚く保護されている。根元には、善通寺領の氏神である五社明神が祀られている。
2本のクスノキはいずれもが県指定の天然記念物である。
クスノキは、暖地に多い常緑高木で、病虫害も少なく、長命で老巨木となるものが多い。
材は、船用材、彫刻等に適しており、飛鳥時代の仏像にも使われている。
説明板には、「弘法大師誕生の時より繁茂しており、樹齢は千数百年を経た大楠」とある。
【データ】
樹高 29m  胸高幹周 12.3m 枝張り 27m
所在地 善通寺市善通寺町  指定状況 県指定天然記念物
【道 順】
JR善通寺駅から徒歩約20分

善通寺  香川県善通寺市善通寺町3丁目

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善通寺  香川県善通寺市善通寺町3丁目

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。

善通寺
善通寺 (ぜんつうじ)は、香川県善通寺市にある寺院。真言宗善通寺派総本山。屏風浦五岳山誕生院と号する。本尊は薬師如来。四国八十八箇所霊場の第七十五番、真言宗十八本山一番札所。平安時代初頭の807年に真言宗開祖空海の父である佐伯善通を開基として創建された。伽藍は創建地である東院と、空海生誕地とされる西院(御誕生院)に分かれている。
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:我住まば よも消えはてじ 善通寺 深き誓ひの 法のともしび

歴 史
空海(弘法大師)は讃岐国、現在の善通寺市の出身である。『多度郡屏風浦善通寺之記』(江戸時代中期の成立)によれば、善通寺は空海の父で地元の豪族であった佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ、法名善通)から土地の寄進を受け、大同2年(807年)に建立し始め、弘仁4年(813年)に落成したという。空海の入唐中の師であった恵果が住していた長安の青龍寺を模して建立したといわれ、創建当初は、金堂・大塔・講堂など15の堂宇であったという。寺号の善通寺は、父の名前である佐伯善通から採られ、山号の五岳山は、香色山(こうじきざん)・筆山(ひつざん)・我拝師山(がはいしざん)・中山(ちゅうざん)・火上山(かじょうざん)の5つの山の麓(ふもと)にあることから命名された。

東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)の延久4年(1072年)の「讃岐国善通寺所司等解」(さぬきのくにぜんつうじしょしらのげ)という文書に、善通寺の由来について「弘法大師御先祖建立道場」とあり、空海の先祖による創建だとする伝えが古くから存在したことがわかる。境内からは奈良時代にさかのぼる古瓦が出土しており、善通寺は実際には佐伯一族の氏寺として創建されたのではないかと推定されている。
中世には足利氏、近世には高松松平家や丸亀京極家の庇護を受けて大いに栄えた。また、明治に入ると付近に陸軍基地が置かれ、軍都として発展した。現在も陸上自衛隊善通寺駐屯地がある。