月別アーカイブ: 2011年12月

西海市の山岳史跡めぐり (1)  2011年12月

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西海市の山岳史跡めぐり (1)  2011年12月

2011年12月4日(日)曇り。西海市(大瀬戸・西彼・西海)の山岳史跡めぐり。参加12人。みさき道歩会の例会。
長崎8:00発ーホゲットウ石鍋製作所跡ー眼鏡橋(アーチ式石橋)ー瀬戸道標ー瀬戸遠見番所跡ー下山道標ー石鍋橋ー八人ヶ岳展望台(12:00着 昼食 12:30発)—石原岳砲台跡ー横瀬浦史跡公園ー旧オランダ村ー長崎帰着16:30(徒歩距離 約2km)

西海市の山岳史跡めぐりは、11月13日の大瀬戸多以良近辺に続く2回目の企画。車2台で大瀬戸・西彼・西海方面の上記史跡などを訪ねた。(1)が午前中、(2)が午後。
雪浦から上がった国指定史跡「ホゲットウ石鍋製作所跡」は、広域農道説明板入口から約750m山道を歩く。宮さんのリハビリ登山。
宮さんの参加記事は、http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/28967159.html

長崎の古写真考 目録番号:6063 大浦川中流域から東山手を望む

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6063 大浦川中流域から東山手を望む

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:6063 大浦川中流域から東山手を望む

■ 確認結果

きょう2011年12月3日付、朝日新聞長崎地域版”長崎今昔 長大写真コレクション”に掲載された「下り松から東山手を望む」。次のとおり解説している。

写真説明文には「下り松 長崎」とあります。1874(明治7)年ごろ、南山手26番の高台から撮影された大浦居留地の後部です。撮影時期と写真の質から、撮影者は上野彦馬とも思われますが、外国人の可能性も捨て切れません。背後の丘に見える建物は建てかわった後の東山手12番館です。
…(大浦)14番は74年10月、水先案内人のジョン・スミスの妻ハンナ・スミスがコマーシャル・ホテルを開業しています。…

データベースでは、目録番号:6063「大浦川中流域から東山手を望む」の作品。長崎大学附属図書館企画・編集「長崎大学コレクション① 明治七年の古写真集」2007年長崎文献社刊の44頁にも、作品34として掲載がある。

この作品については、本ブログの次の記事を参照。
https://misakimichi.com/archives/2335
https://misakimichi.com/archives/1931
https://misakimichi.com/archives/2176

以上を対比し、こんなことまでどうかと思うが、今回の朝日新聞解説文の問題点は、次のとおり。なるべく一貫性をもって解説してほしい。
(1) 撮影場所は、コレクション写真集では「南山手26番付近から」となっている。あえて「26番の高台から」と限定した理由。「26番付近の道路上から」と考えるのが、妥当ではないか。わざわざ他人の宅地内まで入って撮影する必要は感じられない。
(2) 撮影者は、データベースでは「上野彦馬」となっている。撮影年代も「未詳」
(3) 大浦「14番」は、コレクション写真集では「14番(外国人のバー)邸宅である」となっている。

撮影場所を限定する向きは、目録番号:3434「東山手から大浦天主堂を望む(1)」が、朝日新聞長崎地域版2011年9月10日付「長崎今昔」に掲載された際も、「東山手13番(現:活水女子大付近)から撮影した大浦外国人居留地」とあった。
https://misakimichi.com/archives/2887

江戸期の「みさき道」推定ルート図

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江戸期の「みさき道」推定ルート図

文久元年(1861)4月3日から4日にかけて、仲間3人で1泊2日の御崎観音に詣でた長崎医学伝習所生、関寛斎『長崎在学日記』(北海道陸別町同資料館所蔵)による当時の「みさき道」推定ルート図は、上の地図のとおり。
日記原本の写しは、みさき道歩会の研究レポート第1、2集に収録している。長崎市立図書館、地区公民館、長崎県立図書館などで借りられる。

江戸期の「みさき道」推定ルート図は、次の記事などとともに参照。本ブログで地図をどの記事に載せているのかわかりにくかったから、書庫に「地図」を新設、地図だけここに再掲する。
https://misakimichi.com/archives/59
地図はズーム拡大。主要地点や現存道塚などの解説をしている。図3は参考。

図1  江戸期の「みさき道」推定ルート図  (十人町ー蚊焼間)
平成17年5月29日修正  三和史談会、みさき道歩会

図2  江戸期の「みさき道」推定ルート図  (蚊 焼ー脇岬間)
平成17年5月29日修正  三和史談会、みさき道歩会

図3  長崎半島東回りコースの主要地名と推定ルート図

わが庭の自然石によるアーチ式石橋  2回目の挑戦

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わが庭の自然石によるアーチ式石橋  2回目の挑戦

10月22日の1回目にできた石橋は、次を参照。いびつなため造り直すこととした。
https://misakimichi.com/archives/2914

アーチを支える土台は何でもよい。私はブロック・レンガ・孟宗竹を使い、ブルーシートをかぶせ、完成したとき抜きやすくした。両側の力の受け石が動かないよう、しっかり固定すること(支保工)が大事。バールやゴムハンマーで、石の隙間をきっちりと噛しめてから、土台を外す。

同じ石を使ったから、今回の出来ばえも、たいして変わらない。材石となる適当な大きさと形の石を、もう一度調達してから、造り直せば良かった。
庭に池がなくても、自然石によるアーチ式石橋は潤いができる。