長崎の古写真考 目録番号:6063 大浦川中流域から東山手を望む

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6063 大浦川中流域から東山手を望む

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:6063 大浦川中流域から東山手を望む

■ 確認結果

きょう2011年12月3日付、朝日新聞長崎地域版”長崎今昔 長大写真コレクション”に掲載された「下り松から東山手を望む」。次のとおり解説している。

写真説明文には「下り松 長崎」とあります。1874(明治7)年ごろ、南山手26番の高台から撮影された大浦居留地の後部です。撮影時期と写真の質から、撮影者は上野彦馬とも思われますが、外国人の可能性も捨て切れません。背後の丘に見える建物は建てかわった後の東山手12番館です。
…(大浦)14番は74年10月、水先案内人のジョン・スミスの妻ハンナ・スミスがコマーシャル・ホテルを開業しています。…

データベースでは、目録番号:6063「大浦川中流域から東山手を望む」の作品。長崎大学附属図書館企画・編集「長崎大学コレクション① 明治七年の古写真集」2007年長崎文献社刊の44頁にも、作品34として掲載がある。

この作品については、本ブログの次の記事を参照。
https://misakimichi.com/archives/2335
https://misakimichi.com/archives/1931
https://misakimichi.com/archives/2176

以上を対比し、こんなことまでどうかと思うが、今回の朝日新聞解説文の問題点は、次のとおり。なるべく一貫性をもって解説してほしい。
(1) 撮影場所は、コレクション写真集では「南山手26番付近から」となっている。あえて「26番の高台から」と限定した理由。「26番付近の道路上から」と考えるのが、妥当ではないか。わざわざ他人の宅地内まで入って撮影する必要は感じられない。
(2) 撮影者は、データベースでは「上野彦馬」となっている。撮影年代も「未詳」
(3) 大浦「14番」は、コレクション写真集では「14番(外国人のバー)邸宅である」となっている。

撮影場所を限定する向きは、目録番号:3434「東山手から大浦天主堂を望む(1)」が、朝日新聞長崎地域版2011年9月10日付「長崎今昔」に掲載された際も、「東山手13番(現:活水女子大付近)から撮影した大浦外国人居留地」とあった。
https://misakimichi.com/archives/2887