長崎の古写真考 目録番号:4806 南山手からの大浦居留地(4) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:4806 南山手からの大浦居留地(4) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。
確認が済んだものをその都度、最新の写真の状況を添えて報告したい。気の向くままの調査のため、目録番号の順は不同である。

目録番号:4806 南山手からの大浦居留地(4)
〔画像解説〕
ファサリ商会と思われる蒔絵大型アルバム長崎特集の1枚でB218 VIEW,NAGASAKIと印字。南山手26番から大浦および東山手を展望している。中央の大浦32番Aには明治26年(1893)10月新築の孔子廟が見える。アルバムに収載されたほかの写真から明治32年(1899)頃の撮影である。手前の寄棟造りの和風洋館は右から下り松36−40番の外国人バー街。孔子廟の右後ろ3棟は現在復元された「東山手洋館7棟」。右手上ピンクの洋館は東山学院(旧イギリス領事館)、その上の煉瓦造り二階建て一部地階の白い建物は明治31年(1898)フランス人修道士セネンツの設計で完成した海星学校。正面奥にはラッセル館の屋根が見える。その左横の大屋根は東山手12番のアメリカ領事館。その前の高台の家は大浦33番Cのローレイ製茶所。手前大浦川を挟んだ対岸は大浦角から右に29番(H・ホー商会)と30番(外国人バー)、角から左に15,14番(外国人のバー)にあたる。

目録番号:6063 大浦川中流域から東山手を望む
目録番号:6148 東山手の画像

■確認結果

大浦川の方から大浦居留地や東山手を展望した3枚の古写真。撮影年代、撮影者は違うようだが、大浦川から東山手へ向いた広い通りは同じ道路である。1枚目には孔子廟が中央右にあり、後ろには現在復元された3棟が並ぶ。通りの右奥にはラッセル館が写っている。
現在の孔子廟やNTT西日本病院前の通りのようだ。背景の山は左から金比羅山、三ツ山、健山、烽火山、海星学園の右に覗くのは英彦山となる。

撮影場所は、1枚目の画像解説は「南山手26番」。3枚のこの通りの向き、高度感を比較すると、1枚目は必ずしもそうとは感じらないところがある。
撮影場所は、妙行寺山門前から相生町へ至る道。妙行寺の次に大浦諏訪神社がある。次が間に現南山手レストハウスに登る坂道を挟んで、その先の居留地が「南山手26番」。道向かい下側に同枝番もある。

データベース上の長崎大学附属図書館作成「長崎居留地の敷分割図」を掲げ、3枚の古写真の撮影場所推測地点を示した。「敷分割図」は現況と少しズレがある。
1枚目の目録番号:4806「南山手からの大浦居留地(4)」は、通りが右下がりとなり、大浦諏訪神社の境内上部社殿あたりから撮影されていると思われる。高度があり、写真下部に写っているのは、神社の縁石ではないだろうか。
2枚目の目録番号:6063「大浦川中流域から東山手を望む」は、通りがまっすぐに写り、これが通りの右線延長線上の「南山手26番」前の道から撮影されていると思われる。通りが近くに広く写っている。
3枚目の目録番号:6148「東山手の画像」は、通りが左下がりとなり、現南山手レストハウスへ登る坂道の途中から撮影されていると思われる。高度があり「南山手26番」の背後のまだ左側山手であろう。

一帯は高いビルや宅地化が進み、孔子廟前の通り、背景の山並み、長崎港湾奥が見えなくなっている。3枚の撮影場所はあくまで推測である。大学関係者によって現地確認をお願いしたい。
現在の写真は、かろうじて景色が見え、景色が写せる大浦諏訪神社、及び妙行寺の場合を参考写真として載せた。