長崎の古写真考 目録番号:6667 長崎阿弥陀橋

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6667 長崎阿弥陀橋

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。
確認が済んだものをその都度、最新の写真の状況を添えて報告したい。気の向くままの調査のため、目録番号の順は不同である。

目録番号:6667 長崎阿弥陀橋

■ 確認結果
ボードインコレクション。本年6月、HPのデータベースに追加された目録番号:6667の作品。
タイトルがどうして「長崎阿弥陀橋」となったのだろう。長崎港の海岸近く神社に見える。西琴平町の「金刀比羅神社」、西小島の「梅香崎神社」、飽の浦の「恵比寿神社」など考えられるが違う。

対岸の背景の山を良く見てもらいたい。稲佐山である。左から張り出した尾根は旭町の稲佐崎や志賀の波止となる。そうすると筑後町の「福済寺」境内となる。当時の海岸線はこのあたりまで来ていた。
古写真には欄干・常夜灯・旗竿立てが写っている。福済寺は原爆によって当時の建物は焼失したが、当時を再現した模型が長崎総合科学大学村田明久先生の監修によって作られ、長崎歴史文化博物館2階に展示されている。

この模型にまったく同じ欄干・常夜灯・旗竿立てがある。青蓮堂大観門の前。常夜灯は「慈航燈」と示されている。古写真はこの場所から稲佐山を望んで撮影されたものに間違いない。
現在の写真は、高いビルのため境内から写せない。稲佐山が望める高台の福済寺墓地一角から写した。「慈航燈」に似たような石燈籠は、現在の福済寺「萬国霊廟長崎観音」横の庭園に、新しい旗竿立てとともにあった。
福済寺は次の記事も参照。 https://misakimichi.com/archives/1576