長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6665 長崎稲佐
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。
確認が済んだものをその都度、最新の写真の状況を添えて報告したい。気の向くままの調査のため、目録番号の順は不同である。
目録番号:6665 長崎稲佐
(参考写真)
目録番号: 650 中島川風景下西山町辺り
〔画像解説〕
写真左側が下西山町、右側が片淵である。大手橋の袂から川沿いに、片淵方面へ少し下った所から撮影した写真である。大手橋の袂には、その昔、長崎氏の大手門があったことから川の名も堂門川と呼ばれた。現在は、一般に中島川と呼ばれている。昭和57年(1982)長崎大水害後の災害復旧河川改修工事に伴い、写真中央の川の関は取り壊されてしまった。写真上部、樹木の繁った所の石垣上の建物は、現在の富貴楼である。富貴楼の前身は、千秋亭と言い、寛政の昔から「松森の千秋亭」と言われ、大変有名であった。今も長崎の一流の料亭である。明治20年(1887)頃、長崎を訪れた伊藤博文がここに宿泊した際、女将内田トミの求めに応じて、その名に因んで「富貴楼」と命名したものという。富貴楼の裏口は、松森神社の境内である。樹木の間から松森神社の本殿屋根がみえている。松森神社には、県指定有形文化財「職人尽」の彫刻が本殿を囲む瑞籬の欄間に飾ってある。
目録番号:3249 長崎西山松の森(1)
目録番号:5357 長崎西山松の森(2)
■ 確認結果
ボードインコレクション。本年6月、HPのデータベースに追加された目録番号:6665の作品。
タイトルがどうして「長崎稲佐」となったのだろう。参考作品の目録番号: 650と同じ作品であるので、「中島川風景下西山町辺り」となる。
中央上は松の森で、料亭「富貴楼」となった先代の建物が写っている。
次の記事を参照。 https://misakimichi.com/archives/1562
堂門川の左側は水車用の水路で、大きなタイヤのように見えるのが水車の跡といわれる。