長崎の古写真考 目録番号: 650 中島川風景下西山町辺り ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号: 650 中島川風景下西山町辺り ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。
確認が済んだものをその都度、最新の写真の状況を添えて報告したい。気の向くままの調査のため、目録番号の順は不同である。

目録番号: 650 中島川風景下西山町辺り
目録番号:3249 長崎西山松の森(1)
目録番号:5357 長崎西山松の森(2)

■ 確認結果
古写真の中央左の高台に見えるのは、金比羅山に続く後ろの山の稜線などから考えて、現在の長崎市上西山町、松の森神社境内脇にある老舗料亭「富貴樓」に間違いない。
2007年に文化庁「登録有形文化財」指定の建造物。登録番号: 42 − 0068
中島川の支流「西山川」の川際から撮影している。現在の新大工商店街入口のアーチが下に残る石橋「大手橋」の橋上からと思われる。1つ上流の「西山橋」も石橋だったらしい。

だいたい同じアングルの古写真。タイトルを統一してよいと思われる。不思議なのは、2枚目の古写真に写る川原左にあるもの。タイヤに見えるが、回っている「水車」のようだ。
「富貴樓」の前身は、寛政時代に遡る。HP「富貴樓」による歴史説明は、次のとおり。

閑静な松の森神社境内わきにある老舗料亭「富貴樓」。創業百有余年、古色豊かな純和風の店構えの中に老舗ムードが漂う。百畳敷きの大広間をはじめ、大・小の八部屋を擁する当亭には貴族方・内外高官も来亭した。
富貴樓の前身は千秋亭・吉田屋とも云い、寛政時代には「崎陽松の森千秋亭」で知られる有数の料理屋として栄えた。明治二十年内田トミが譲り受け富士亭と改めた。
明治二十二年(1889)二月、ときの内閣総理大臣伊藤博文公来亭の折、豪華に咲き競う前庭の牡丹花を賞で、それまでの富士亭を改め、内田トミの「富」をとり「富貴樓」と称するように薦められたで、トミは有り難くお受けして、以後、これを屋号とした。内田トミと牡丹花がこの料亭の名物だったからである。
料理のメーンは二百有余年の伝統の技で作る長崎の郷土料理「卓袱料理」(富貴樓では[卓子料理]と称す)この伝統の味を求めて県内はもとより、県外からも多くの来亭者がある。