月別アーカイブ: 2011年11月

赤根社のイチイガシ  国東市国見町赤根

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赤根社のイチイガシ  国東市国見町赤根

夷耶馬の焼尾公園角に案内板があり、山越えして国見温泉「あかねの郷」を通り、赤根に出た。国見町赤根は、文殊山や両子岳の西麓である。
橋のところで県道31号と県道652号が合流する。赤根には2つの神社がある。県道31号により地蔵峠へ向かうと、ほどなく「山神社」がある。ここが「赤根社」である。
大分県HP「豊の国の名樹」による説明は、次のとおり。

特別保護樹木   5.赤根社のイチイガシ
樹種名 : イチイガシ
樹  齢 : 300年
樹  高 : 25m
幹  周 : 3.3m
所在地 : 国見町大字赤根字1292
所有者 : 赤根社
来  歴
国見町大字赤根字一円坊、赤根社境内、南鳥居の北側に聳える巨樹。ご神木。県指定特別保護樹木。
赤根社は旧赤根村社。祭神は大山津見神ほか八柱。創立年代不詳。別号山祇社。正鹿山祇神を祀るに由来する。山神社とも称されるが、字仲小野、字下二ツ井の二所の山神社を明治10年本社へ合祀したためという。また、大分市の賀来神社の祭神、善神王を勧請し、当社境内で独特の大松明立の火祭り、ぜんじょう祭りが、秋の例祭に催される。ただし、善神王は幟をご神体とする伝承を守って神殿境内地にはなく、赤根社と大字畑の古幡社の境内を隔年交互に挙行するという。
境内の南と北の入り口に鳥居が建っており、一基に宝歴九年(1759)、他の一基に文化六年(1809)建立の銘がある。
北の鳥居の南側にもご神木と同じ大きさのイチイガシが成立しており、おそらく、神殿建築か鳥居建立のみぎり、神宿る木として献納したのではなかろうか。その他にも社庭の周辺に、イチイガシ2本、スギ、シダジイ各1本が植えられている。目通り周囲は320〜350cmで、同年代の植栽かと思われる。

中山仙境 (2)  豊後高田市香々地町夷

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中山仙境 (2)  豊後高田市香々地町夷

香々地町から竹田川沿いの県道653号(小河内香々地線)により、夷耶馬(えびすやば)へ上がる。「中山仙境登山マップ」(ズーム拡大)のとおり、無明橋・高城山頂・隠洞穴を回るコースの登下山口は3箇所あるが、今回は霊仙寺前の河川プール駐車場のところから登り、夷耶馬農村公園の方へ下った。

写真(1)が高城山頂(標高316m)まで、(2)がその下山の様子と麓からの風景。霊仙寺横の杉林あたりなどから、無明橋は確認できるそうだが、写し忘れた。
香々地ツーリズム協議会「中山仙境登山マップ」の裏面説明は、次のとおり。

中山仙境周辺ガイド
中山仙境は国東半島の香々地町にある岩峰の山群です。但し地形図には中山仙境という地名はなく、夷耶馬(えびすやば)とも呼ばれています。標高はわずか316mしかありませんが、周辺の山々も含め、巨大な岩が散在し、独得な雰囲気、風景を堪能する事が出来ます。
また国東半島は仏教文化が根付いた土地柄で、ここ中山仙境にも小さいながらも数々の石仏と出会えるのも楽しみです。近隣には歴史を感じる寺院めぐりや温泉などでのんびりくつろげます。

中山仙境 (1)  豊後高田市香々地町夷

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中山仙境 (1)  豊後高田市香々地町夷

香々地町から竹田川沿いの県道653号(小河内香々地線)により、夷耶馬(えびすやば)へ上がる。「中山仙境登山マップ」(ズーム拡大)のとおり、無明橋・高城山頂・隠洞穴を回るコースの登下山口は3箇所あるが、今回は霊仙寺前の河川プール駐車場のところから登り、夷耶馬農村公園の方へ下った。

写真(1)が高城山頂(標高316m)まで、(2)がその下山の様子と麓からの風景。霊仙寺横の杉林あたりなどから、無明橋は確認できるそうだが、写し忘れた。
香々地ツーリズム協議会「中山仙境登山マップ」の裏面説明は、次のとおり。

中山仙境周辺ガイド
中山仙境は国東半島の香々地町にある岩峰の山群です。但し地形図には中山仙境という地名はなく、夷耶馬(えびすやば)とも呼ばれています。標高はわずか316mしかありませんが、周辺の山々も含め、巨大な岩が散在し、独得な雰囲気、風景を堪能する事が出来ます。
また国東半島は仏教文化が根付いた土地柄で、ここ中山仙境にも小さいながらも数々の石仏と出会えるのも楽しみです。近隣には歴史を感じる寺院めぐりや温泉などでのんびりくつろげます。

霊 仙 寺  豊後高田市夷

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霊 仙 寺  豊後高田市夷

香々地から竹田川沿いの県道653号により、夷耶馬へ上がる。東谷に霊仙寺・實相院・六所神社の3つの社寺が並んである。
霊仙寺由来の現地説明板は、次のとおり。

六郷満山 末山本寺  霊仙寺由来  宗派 天台宗

当山は山号を夷山、寺号を霊仙寺と称す。国東六郷満山28ヶ寺中末山本寺の古刹にして養老2年(718年)宇佐八幡神の応現である仁聞菩薩の開創といわれる。
本尊は千手観音を秘仏として安置して居り祈願たえない。
平安後期作の阿弥陀如来(座像)及び不動三尊像を併祀される。亦、隣接の六所神社は往時当山の奥之院であった。山門、梵鐘等由緒深きものがある。
石造彫刻としては江戸初期作とみられる山門前の仁王像は国東の佳作であり、更に丸彫りの二躯が祀られる。その他石造、二天像、国東塔(桃山期推定)また、大地蔵尊は像高4.87メートル、総高6.50メートルで安政7年の彫作で一石地蔵尊では九州最大である。
他に夷谷には道園線刻磨崖、梅ノ木磨崖(何れも県重要指定)等がある。

粟島神社のアーチ  豊後高田市臼野

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粟島神社のアーチ  豊後高田市臼野

国道213号が豊後高田市の堅来港を過ぎ、臼野へ登って行った高台に、「里の駅 粟島茶店」跡か公園がある。ここに「粟島神社入口」の案内板があり、広い道を海の方へ下ると「粟島神社」に着く。
粟島神社は、女の神様・縁結びの神様として知られる。一説によると邪馬台国のロマンを秘めた聖地とも言われると、氏子中の説明板にある。

「本殿横にアーチが見えます。どんないわれがあるのでしょうか」。石橋の項HP氏記事に載っていたので、私も粟島神社を訪ねてみた。
自然石による見事なアーチだが、いわれがわからない。まったく不思議なアーチだった。

別宮八幡楼門  豊後高田市香々地町塩屋

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別宮八幡楼門  豊後高田市香々地町塩屋

国道213号が香々地町の中心に入ると、国道沿いに香々地小学校がある。歩道橋のところから右折すると、すぐ右手にアーチ式石橋「潮観橋」が八幡川に架かっている。参道橋なので、橋を渡ると「別宮八幡楼門」に着く。
学校校庭奥が別宮八幡の境内となっている。現地説明板は、次のとおり。

市指定  別宮八幡楼門
大字香々地字塩屋  明治十二年(1879)
別宮八幡の総代、氏子がこぞって造営に尽した。発起し、特に尽力したのは堤勘三郎と木下茂十郎であったという。
棟梁は日田の宮大工(専蔵)であったという。単身この地に乗りこみ地元のうでききの大工の協力を得て数年かけて完成したという。近郷にまれに見る高壮雅麗な楼門である。
豊後高田市教育委員会

香々地町の主な石橋  潮観橋・霊仙寺無明橋・鵯越橋・払川小橋

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香々地町の主な石橋  潮観橋・霊仙寺無明橋・鵯越橋・払川小橋

豊後高田市香々地町の石橋のうち、潮観橋・霊仙寺無明橋・鵯越橋・払川小橋。中山仙境の岩峰にある霊仙寺無明橋は、後の記事でも再掲する。
石橋のデータと紹介文は、HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋による。

写真   1〜  6    潮観(しおみ)橋
豊後高田市(旧香々地町)香々地  県指定  八幡川
橋長:10.7m  橋幅:2.8m  径間:5.8m  拱矢:2.6m
架設:安政5年(1858)
旧香々地町役場前から町道を海に向って800m、八幡川に架かっています。
奥が別宮八幡社。

(現地説明板)  県指定 潮 観 橋
この橋は別宮八幡社の表参道として作られ潮観橋と呼ばれています。香々地町では数少ない車橋です。
橋の袂に「潮観橋序」という碑がありますがその中に「往時天保九年(1838)秋水漲りて橋堕つ、是に於て五村の庶民相譲し石工をして車橋を作り水患を免る 今茲に安政五年(1858)両辺の欄干及び石燈籠を備う…」などど書かれていますから、車橋そのものは天保九年から安政五年の間に作られたものと思われます。
昭和57年3月県指定の有形文化財となりました。昭和50年頃八幡川改修にあたり、この橋のところが隘路となるため、移転保存の議が起りましたが、文化財保護関係者が現状保存を主張したので、橋脚部分を補修し原状を取りとめることができました。 
香々地町教育委員会

写真   7〜  9    霊仙寺無明(むみょう)橋
豊後高田市(旧香々地町)夷
橋長:3.0m  橋幅:0.44m  径間:2.3m  せり持式桁橋
架設:不明
旧香々地町役場南から県道653号線を6Km南下。
左手には霊仙寺、右上山の上に見えます。

写真  10〜 11    鵯越(ひよどりごえ)橋
豊後高田市(旧香々地町)樫木 請  堅来川
橋長:6.6m  橋幅:2.3m  方杖桁橋
国道213号線、堅来港より県道708号線を2.7Km南進。
オレンジロードを越して200m先右手に架かっています。
斜めの(方杖)石材で支える。

写真  12        払 川 小 橋
豊後高田市(旧香々地町)
橋長:m   橋幅:m   径間:m   拱矢:m
架設:
方杖桁橋
堅来港より県道708号線を2.7Km南進。
オレンジロードを越して200m先右手に同形式の鵯越橋が架かっています。
その50m上流、払川辰夫氏宅の出入り口に架かっています。
ご主人のお話では一度流されて50年くらい前に架け替えられたそうです。

長崎鼻海蝕洞穴  豊後高田市香々地町見目    

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長崎鼻海蝕洞穴  豊後高田市香々地町見目

国道213号が香々地町の中心へ入り、貴船入口から案内板「長崎鼻リゾート公園」により北方の岬へ向かう。
キャンプ場の先、岬の先端の香々地灯台下に、海蝕でできた橋や長崎岩屋があり、西側を向いた遊歩道の方へ一周すると行者洞窟がある。一帯は大分県指定名勝となっている。
現地説明板などは、次のとおり。

県指定名勝  長崎鼻海蝕洞穴
この海蝕洞穴は、火山活動によってできた凝灰礫岩の層が、長年の海水の力で侵蝕されてできたもので、地質的に珍しいものである。
海上から見ると長崎鼻全体では洞穴は約二十あり、すばらしい景観をなしている。
三浦梅園先生がここに来られ、この長崎鼻海蝕洞穴を調査し、記録に残している。
洞穴の中には、役の行者・不動明王・蔵王権現が祀られている。 古くは、修験者の修行場であったという。
土地の人々はこれを信仰している。
平成12年   香々地町文化財調査委員会 豊後高田市教育委員会 

長 崎 鼻 (大分県)     出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長崎鼻(ながさきばな)は、大分県豊後高田市見目(旧香々地町大字見目)にある岬。全国に多数ある長崎鼻と区別するために香々地長崎鼻(かかぢながさきばな)とも呼ばれる。
概 要  国東半島北部の先端近くに位置し、周防灘に面している。岬からは近くに姫島、遠くに四国、中国が眺望できる。
リアス式の海岸は海食崖となっており、岬の先端部には約20の海食洞がある。この洞穴群は、大分県の天然記念物に指定されるとともに、大分百景のひとつにも選定されている。洞穴の最大のものは行者洞窟と呼ばれており、役行者、不動明王、蔵王権現が祀られ、古くは修験道の修行の地であったといわれている。また、長崎岩屋と呼ばれる洞穴は、天井部が抜けて穴状になっており、歩いて降りることができる。
一帯は長崎鼻リゾートキャンプ場として、人工の海水浴場や、ログハウスやバンガローを備えるキャンプ場が整備されている。また、岬の先端には香々地灯台が立っている。

六所宮のイチイガシ  国東市国見町西方寺

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六所宮のイチイガシ  国東市国見町西方寺

六所宮は、竹田津川上流の国見町西方寺集落にある。国道213号の豊後高田市との市境が「新竹田津トンネル」。トンネル口手前に「峰の下」バス停があり、左折した車道へ入る。車道はすぐアーチ式石橋「石場橋」の方に下り、谷奥へ進んで行くと、左に「天台宗 西方山 清浄光寺」の標柱と、小橋奥に扁額「六所宮」の鳥居が立つ。

「六所宮」社殿は、見えている「清浄光寺」後方の高台にある。鳥居の参道を歩いて登っても着くが、少し先の「西方寺入口」バス停から集落の車道へ左折する。次の林道岐路も左へ上って行くと、社殿下の駐車場に着く。イチイガシは主幹の一方が失われ、痛々しい木である。
HP「人里の巨木たち」大分県による説明は、次のとおり。

名 称 六所宮のイチイガシ
名称の典拠 なし(注1 「六所宮」の読み方については未確認)
樹 種 イチイガシ
樹 高 15m(注2 環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による)
目通り幹囲 5.5m(注2)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 大分県国東市国見町西方寺(注3 2006年3月31日、東国東郡内4町が合併して国東市誕生。旧行政区は東国東郡国見町)
天然記念物指定 なし

安政5戊午年(1858)2月吉日銘のある石鳥居を潜って石段を上る。「六所宮」はその鳥居に掲げられた額にあった名。その先にも「山神宮」「大権現」の額を掲げる石鳥居が続く。近隣のいくつかの神社を、ここに合祀したのだろうか。
石段を上りきったところに、上図のイチイガシが立っている。地上1mほどで2幹に分かれ、うち1本は分岐のすぐ先で失われ、キャップが被せてある。地上1.3mの高さは、すでに2幹に分かれたあと。5.5mの幹囲は、環境省調査要項にある株立ちの場合の計測方法通り、2幹を別々に測定してから合算した値であろう。残念ながら、期待していたほどに大きくはなかった。
下図で、道の左に見えるのは天台宗清浄光寺。伽藍は、まるで城壁のように高い石垣の上に築かれている。鄙びてはいるが、趣きのある佇まいであった。

姫 島  東国東郡姫島村

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姫 島  東国東郡姫島村

2011年10月31日、国東市国見町伊美港から姫島村営「フェリー 第2姫島丸」午後の便で姫島港に渡る(所要時間20分)。姫島島内を反時計回りにより一周した。
姫島村HP「瀬戸内海国立公園 大分県 姫島」による島の概要は次のとおり。「ひめしま散策ガイド」「姫島伝説浪漫」(ズーム拡大)は、同村パンフレットから。

1 島の由来
古事記によると伊邪那岐命、伊邪那美命の二柱の神が「国生み」にさいし、大島を生み、次に女島を生むとある。この女島が姫島で、またの名を「天一根」という。また、日本書記によると、垂仁天皇の御代、意富加羅国(今の韓国南部)の王子都怒我阿羅斯等が、ある日黄牛に田器を負わせて田舎に行くと、牛がいなくなった。捜していると老翁が現わて、「おまえの捜している牛は郡公が殺して食った。」という。阿羅斯等は郡公の館に行って牛の代償を求めると、郡公は白石を与えた。阿羅斯等は白石を持ち帰り寝室に置くと、美女となった。阿羅斯等は大変喜んで求婚すると、美女は忽ち消えてしまった。阿羅斯等が追い求めると、美女は海を渡って日本国に至り、比売語曽の神となった。姫島の名前の由来はここからはじまる。

2 位置と地形
瀬戸内海西端の離島で、国東半島の伊美港より北へ6kmの地点にある。東西7km、南北4km、総面積6.79k㎡とういう東西に長い島で、中央に矢筈山266.6mがそびえ、西に達磨山105m、北に城山62mがてい立し、その中に村落がかたまっている。四面海に囲まれて水産資源に富む地形にあり、島周辺は魚の宝庫となっている。奇厳断崖の海岸線など、風光絶景で瀬戸内海国立公園の一環をなしている。

3 人口=2,469人 世帯数=951世帯 (平成17年国勢調査)

4 交通アクセス 
大分空港から伊美港まで車で40分、JR宇佐駅から伊美港まで車で40分、伊美港から姫島港までフェリーで20分。

5 文化遺産
(1)村指定有形文化財 姫島庄屋古庄家 (写真 26〜29)
古庄家の屋敷は、第11代小右衛門が天保13年より3年の歳月をかけて完成しました。敷地は約550坪一部二階建ての寄棟造りで延建坪は129坪です。庭園、お成りの間等、旧庄屋の格式を伝える貴重な建物です。
(2)その他の文化財 大帯八幡社本殿 (写真 30) 
村民尊崇の産土の神です。元治元年の大火で旧記・古文書等を消失したので、その由緒等はあきらかではありません。しかしながら大帯八幡社の社名を記した正和元年(1312年)の棟札が広島県呉市に鎮座する亀山八幡宮に現存する事からその古さを伺い知ることができます。江戸時代には杵築藩主松平家累代安産の祈願所でありました

6 天然記念物
(1)国指定天然記念物 姫島の黒曜石産地 (写真 23〜25)
姫島の黒曜石産地は、地表に露出し観察が容易な黒曜石産地として、北海道の十勝(白滝地方)や長野県霧ヶ峰周辺などと並び全国的に貴重です。露天の黒曜石は、観音崎一帯に見られ、この黒曜石が波に洗われる様は壮観で、他では見られない景観となっています。また、全国の黒曜石が黒色であるのに対し、姫島産黒曜石は乳白色を呈し、極めて特徴的です。
黒曜石は火山の岩漿が地表上に噴出して急速に固まった火山岩の一種です。石器時代には「矢じり」などに重用され、特に縄文時代に利用の急激な拡大がみられます。姫島から海を渡って運ばれた黒曜石が、九州だけではなく四国や中国地方の遺跡からも出土しています。(平成19年
7月26日指定)
(2)県指定天然記念物 地層褶曲 (写真 6〜 8)
地層褶曲は、2つの固い層に挟まれた軟弱な層に地殻の変動等で側圧が加えられ、地層中に唐草瓦のような模様が連なってできた地層です。(昭和34年3月20日指定)

7 姫島七不思議伝説
姫島は昭和25年、瀬戸内海国立公園に指定されています。伝説の島といわれる姫島には、お姫様にまつわるものなど数多くの言い伝えがあり、姫島七不思議として語り継がれています。
(1)阿弥陀牡蠣
灯台の下の海蝕洞窟内の海面から上2米位の所に「牡蠣」が群棲し海水につかることがなく、食べると腹痛を起こすといわれています。その牡蠣が阿弥陀三尊の形に似ているので、この名があります。
(2)浮 田
大昔、池に大蛇が棲んでいた。誤って、この大蛇を埋めてしまったため大蛇の怒りで田が揺れるといわれています。
(3)拍子水
お姫様がおはぐろをつけた後、口をゆすごうとしたが水がなく、手拍子を打って祈ったところ水が湧き出したので拍子水といいます。
(4)かねつけ石(別名 おはぐろ石)
お姫様がおはぐろをつける時、石の上に猪口と筆をおいたところ、その跡ができたといわれています。
(5)逆 柳 (写真 13〜14)
お姫様が使った柳の楊枝を土中に逆さまに挿したところ、芽を出したので逆柳といわれています。
(6)浮 洲 (写真 18)
沖合の小さな洲に漁業の神様、高倍様を祀っており、高倍様と鳥居は高潮や大しけの時でも決して海水につかることがないというのでこの名があります。
(7)千人堂 (写真 22)
観音崎に馬頭観世音を祀った小さなお堂があります。大晦日の夜、債鬼に追われた善人を千人かくまうことができるのでこの名があります。

8 アサギマダラ (写真 15〜16)
アサギマダラは、渡りをする優雅な蝶で、みつけ海岸に自生するスナビキソウの蜜をもとめて、5月上旬から6月上旬にかけて、南の地から飛来し、休息した後、涼しい北の地に向かって飛び立ちます。
北の地で世代交代した蝶が、10月中旬頃、金地区に自生するフジバカマの花の蜜をもとめて、北の地から飛来し、休息した後、暖かい南の地に向かって飛び立ちます。

9 姫島海水浴場 (写真 4〜 5)
島内で一番美しく、広さも最大の砂浜です。弓状に弧を描く500mの海岸線は澄んだ海とマッチして美しい景観です。海岸の施設にはビーチハウス、トイレ、シャワー室、休憩所が完備されています。

10 拍子水温泉 (写真 12)
姫島村健康管理センター。七不思議のひとつである拍子水(炭酸水素塩冷鉱泉)を活用したもので、村内外の多くの人に利用されています。この温泉は、糖尿病、高血圧症、慢性皮膚病、神経痛、慢性消化器病等に効能があります。この拍子水温泉では、源泉に温水を加えた温泉(41℃前後)と、源泉(約25℃)の2種類を利用する事ができます。