月別アーカイブ: 2008年7月

日島曲崎海岸のハマジンチョウ  南松浦郡新上五島町日島郷

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

日島曲崎海岸ののハマジンチョウ  南松浦郡新上五島町日島郷

奈良尾から行くと若松大橋を渡り若松側GSから左折し、県道169号線により若松島北西部の突端にある日島を目指す。魚生大橋や有福島を通り、日島まで堤防道路などで陸続きとなっているが、約15kmはある。
若松港からは山手の若松トンネルを越し中央小学校へ出、少し海岸沿いに戻ると同県道へ出る。

日島へ堤防を渡ったすぐのところの海岸部に曲地区の石塔類(県指定史跡)はあり、海水浴場などとともに島全体が「若松ディアパーク」となっていた。この半島や島は今でも九州鹿の生息域。県道を悠然と横切る。
ハマジンチョウは、この史跡のすぐ側で、海水浴場裏手の海岸に見られる。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」の中の街路樹による説明は次のとおり。

日島曲崎海岸のハマジンチョウ

半島にはハマジンチョウが広がっていたが、訪れたのは秋。残念ながら花期は春。半島の多くは、ハマビワが占有しているが、モクタチバナも点在していた。モクタチバナは、まだ花を付けていた。
半島には、お墓のような石塔が多くある。「日島曲古墳群」と云われていて、南北朝から室町時代後期の宝篋印塔や五輪塔などがある。弥生から古墳時代の土器片も発見されていて、長期に亘って海上ルートを支配できた豪族がいたことを示す貴重な古墳群と云う。
周辺は公園になっていたが、動物の糞があちこちに見られた。ひょっとして、シカの糞? 五島列島には日本鹿の一種のキュウシュウシカ(九州鹿)がいる。

日島の石塔群  南松浦郡新上五島町日島郷ほか

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

日島の石塔群  南松浦郡新上五島町日島郷ほか

奈良尾から行くと若松大橋を渡り若松側GSから左折し、県道169号線により若松島北西部の突端にある日島を目指す。魚生大橋や有福島を通り、日島まで堤防道路などで陸続きとなっているが、約15kmはある。
若松港からは山手の若松トンネルを越し中央小学校へ出、少し海岸沿いに戻ると同県道へ出る。

日島へ堤防を渡ったすぐのところの海岸部に曲地区の石塔類はあり、海水浴場などとともに島全体が「若松ディアパーク」となっていた。
宝篋印塔があるところは、島の先へさらに進み日島漁港の最奥、釜崎地区の丘の上である。印塔の基礎部等はほとんど復元されたものが置かれてあり、紀年銘はわからなかった。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。 

日島の石塔群  県指定史跡

指定年月日 平成12年2月22日  所在地 南松浦郡若松町日島郷字曲12番地及び字釜崎281番地  管理責任者 若松町
若松島の北西に位置する日島・曲地区の、海に向かって延びる礫丘部分全域にわたって、中世以来の石塔類が約70基分林立している。
また、曲地区から1km程離れた同じ日島の釜崎地区の丘の上に、紀年銘を刻んだ高さ約2mの大型の宝篋印塔が1基、海を見下ろすように存在し、基礎の左側に正平22年(南朝暦・1367年)の銘が刻まれている。
曲地区の主な石塔や釜崎地区の宝篋印塔は、その石材や高度な彫出技術等から、石造文化が進んだ関西・北陸地方で1300年代から1400年代にかけて製作され、日本海ルートで日島へ搬入されたと推測される。
現在の一離島に、全国的に見ても大規模な石塔類が集中していることは、当時、日島が重要な貿易拠点であり裕福であったことや活発な海上交易が行われていたことを示し、学術的にも非常に価値が高い。指定面積は1990.15㎡。

矢堅崎の奇岩  南松浦郡新上五島町網上郷

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

矢堅崎の奇岩  南松浦郡新上五島町網上郷

新上五島町青方から県道170号線により奈摩に出、奈摩湾沿いに行くと新魚目から津和崎への県道32号線と合う。湾沿いに県道を進み、「青砂ヶ浦教会」を過ぎ曽根の集落から白草峠まで上ると、県道下の断崖が「新魚目曽根火山赤ダキ断崖」である。

ここまでの県道途中、奈摩湾の反対側先に常に見える円錐形の奇岩島。渡ることはできないが、手前の網上郷突端に「矢堅目公園」がある。奇岩は奈摩から公園へ行って近くで見られるようだ。
後の2枚は、青方から小値賀へ渡ったフェリー太古の船上から写す。
新上五島町観光物産協会HP「まるごと体験!新上五島」による説明は次のとおり。

矢堅目公園

波の造形、円錐形の奇岩と複雑に入り組んだ海岸。鬼ユリの群生と自然のままの磯。潮風を感じる散策スポットです。
有川港から車で30分。

新魚目曽根火山赤ダキ断崖  南松浦郡新上五島町曽根郷

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

新魚目曽根火山赤ダキ断崖  南松浦郡新上五島町曽根郷

新上五島町青方から県道170号線により奈摩に出、奈摩湾沿いに行くと新魚目から津和崎への県道32号線と合う。湾沿いに県道を進み、青砂ヶ浦教会を過ぎ曽根の集落から白草峠まで上ると、この県道下の断崖が「新魚目曽根火山赤ダキ断崖」である。

海岸には灯台の格好をした新魚目町「海のふるさと館」と漁港があり、下の海岸まで降りると赤ダキ断崖の全容が眺められる。
国指定重要天然記念物。長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

新魚目曽根火山赤ダキ断崖  国指定天然記念物

指定年月日 昭和53年3月31日  所在地 南松浦郡新魚目町曽根郷
所有者 新魚目町
曽根火山は、番岳(標高442m)と小番岳(標高322m)との間の鞍部に噴出した玄武岩質の噴石丘であり、火山地形でいう臼状火山(ホマーテ)に属し、火口は北西に開いている。最高点は海抜143mであり、噴出時には直径およそ1kmの基底面をもっていたものと推定されるが、南側は海食により著しく削られて「赤ダキ断崖」となり、よく成層した火山砕屑物の見事な断面をあらわしている。
火山砕屑物は、上下2層に識別される。下部層は、玄武岩の岩片や黒色の岩滓を含む黄〜黄灰色の凝灰岩で、よく固結している。上部層は、地表にも広く分布する赤色の岩滓層で、多量の火山弾を含み、固結度は下部層に比べ低い。成層面は、断崖に向かって右手(東側)は東へ約15°傾斜し、左手(西側)は西へ10〜20°傾斜する。中央部の水平に見える部分は手前へ20°傾いている。

青砂ヶ浦教会  南松浦郡新上五島町奈摩郷

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

青砂ヶ浦教会  南松浦郡新上五島町奈摩郷

新上五島町青方から県道170号線により奈摩に出、奈摩湾沿いに行くと新魚目から津和崎への県道32号線と合う。なお湾沿いに県道を行くと湾東部の右方高台に青砂ヶ浦教会がある。
国指定重要文化財。長崎県HP「長崎県の文化財」に掲載がもれているので、現地説明板から。
青砂ヶ浦天主堂  国指定重要文化財(平成13年11月14日)

青砂ヶ浦天主堂は、奈摩(なま)湾の中腹を見下ろすように正面を西に向けて建っている。設計施工は長崎県下に数多くの教会建築を残した郷土出身の鉄川与助(てつかわよすけ)による。明治43年(1910年)8月に竣工し、同年10月献堂式が行われた。
煉瓦造の重層屋根構造である。重層の断面形式をそのままに現す正面は、煉瓦による帯状装飾によって3分割し、薔薇(ばら)窓や縦長アーチ窓によって飾られ、正面入口には台座と植物模様の柱頭飾(ちゅうとうしょく)を有する円柱で支えられた石造りアーチを持つ。内部は3廊式で主廊部、側廊部ともに漆喰(しっくい)仕上げ4分割リブ・ヴォールト(コウモリ)天井、アーチは全てポインテッドアーチで造られている。
外観、内部とも全体に均整のとれた構造となっており、細部の意匠も優れている。日本人設計者の手で建設された煉瓦造教会堂の初期のもので、かつ本格的教会堂建築の基本である重層屋根構造にもとづく外観や内部空間が形成されるようになった初めての例で、この後県内の離島を中心に多数建築された煉瓦造教会堂の構造、意匠の起点となった。

丸尾教会  南松浦郡新上五島町丸尾郷

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

丸尾教会  南松浦郡新上五島町丸尾郷

新上五島町青方と有川の間、浦桑交差点から県道32号線により新魚目町へ入る。新上五島町新魚目支所前を過ぎて、津和崎への県道をしばらく進むと左方の高台に丸尾教会がある。
現地教会の碑「丸尾教会の歩み」による説明は次のとおり。

丸尾教会の歩み

上五島の信徒は西暦1800年頃大村領外海から移住した。
1899年頃まで丸尾には通称「家御堂」と呼ばれる信徒集会所があり礼拝堂をかねていた。その当時の戸数は約20戸だった。後日、青砂ヶ浦小教区主任大崎八重師の時代に丸尾の丘に白い教会が建設され正式の巡礼教会として歩み始める。
現在の教会は1972年9月22日に里脇大師教閣下によって祝別され、王たるキリストに貢献された。1975年2月には小教区として独立し今日に至る。現在の信徒数は約540名。

頭ケ島教会  南松浦郡新上五島町友住郷

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

頭ケ島教会  南松浦郡新上五島町友住郷

新上五島町有川から県道62号線により頭ケ島大橋を渡り頭ケ島へ行く。上五島空港があるところで、高台の空港分岐から左折し海岸の集落へ下ると頭ケ島教会がある。
平成11年4月に国指定有形文化財に指定された。近くの浜にカトリック墓地があった。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

頭ケ島教会  県指定有形文化財・建造物

指定年月日 平成3年3月29日  所在地 南松浦郡有川町友住郷638番地1
所有者 カトリック長崎大司教区
頭ケ島教会は、明治43年に鉄川与助の設計・施工により着工し、7年の歳月をかけて大正6年に竣工した。
この建物は、全国的に数少なく、西日本では唯一の石造教会堂である。外観の意匠は、ルスティカとよばれる粗い石積みの壁で、窓や入口は上部を半円アーチとし、軒下にロンバルド帯をめぐらすというように重厚なロマネスク調を基調としている。
また、本教会附属の司祭館は、ベランダを配する木石混構造で、創建が教会堂と同時期で、かつ両者とも現存している例は少なく、貴重である。

崎戸ー江島ー平島ー友住航路の風景

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

崎戸ー江島ー平島ー友住航路の風景

平成20年7月22日、上五島へ渡るため崎戸商船フェリーみしまに乗る。佐世保始発だが、崎戸(蛎浦)ー江島ー平島ー友住(上五島町有川)間を利用。所要時間2時間。運賃1640円。
大島大橋、崎戸橋、崎戸出港、小立島、大立島、江島入港、江島出港、平島入港、平島出港、平島相崎ノ鼻、友住入港など。

西海楽園跡のアコウ   西海市西海町中浦北郷

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

西海楽園跡のアコウ   西海市西海町中浦北郷

次の記事があり、七ッ釜鍾乳洞前のレジャー施設「西海楽園」へ寄ってみたのだが、2007年9月すでに廃園となり、岩山には入れなかったので、遠くからアコウを写した。
同HPでは、2枚目写真の右側のアコウを写されているようだ。
この国道202号線先、太田和海岸通りに大きなアコウが多くあるらしい。
Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。

西海町・西海楽園のアコウ

七ツ釜鍾乳洞近くにあるレジャ−施設・ 西海楽園内にある。2〜3億年前にできた珊瑚礁が火山の噴火によって隆起したという岩山にその施設がある。
施設内のむきだしの大岩にしがみつくようにアコウが数本ある。写真はその中のひとつ。長崎で見るアコウとしてはそれほど大きなアコウではないが、その景観はみごと。

長泉寺の鯨供養石造五重塔  平戸市前津吉町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

長泉寺の鯨供養石造五重塔  平戸市前津吉町

津吉は平戸島の南部。平戸市街から国道383号線により宮の浦方面へ下る。前津吉町は相浦・佐世保航路がある所で、国道の津吉交差点から左折して「前津吉港」の方へ入る。
「長泉寺」入口は、前津吉の町へ出る前、右方に案内標識があり、この道に入って進むと本堂横の駐車場へ着く。
鯨供養石造五重塔の前に立つイチョウも大木だった。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

長泉寺の鯨供養石造五重塔  県指定有形民俗文化財

指定年月日 昭和59年9月18日  所在地 平戸市前津吉町1274長泉寺境内
所有者 長泉寺
この五重石塔は、砂岩の基礎(2石)、塔身の軸部(第1層2石、計6石)と笠(5石)、相輪部(1石)の14石からなり、総高460cm。基壇は切石の三段積み、合計高さ539cm。
第1層軸部に龕を抉り、多宝如来(合掌印)と釈迦如来(禅定印)の高さ20cmの座像(砂岩)を安置し、法華経見宝塔品の諸仏の名を刻む。側面の銘文に元文4年(1739)、鯨供養のため財を募り、長泉寺第8代海純大和尚が建てたと刻んである。
平戸島前津吉の浜は、元禄5年(1692)、小値賀島の小田組が捕鯨の基地を定めてから、安政の開港ごろ(1859)、捕鯨の休止まで167年間、鯨組で繁昌していた。