長崎の風景・史跡 (県 南)」カテゴリーアーカイブ

かどわき歴史災害記念館  南島原市深江町(大野木場小学校敷地内)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

イメージ 19

イメージ 20

イメージ 21

イメージ 22

かどわき歴史災害記念館  南島原市深江町(大野木場小学校敷地内)

雲仙普賢岳噴火災害に関する写真等を展示する記念館。あまり知られていない。雲仙から国道57号線により島原へ下っていたら、「大野木場小学校」の案内標識があり、曲がると、新しい移転地の「大野木場小学校」へ出た。「かどわき歴史災害記念館」は、学校正門左の敷地内にある。
南島原市ホームページ/自然・景観/噴火・土石流災害による施設案内は次のとおり。予約要とあるが、自由に見学できる。
最初の写真が、移転地の大野木場小学校新校舎。

■ かどわき歴史災害記念館

雲仙普賢岳噴火災害に関する写真等の展示。
【開館時間】 月〜金曜日9時00分〜16時30分 祝祭日を除く
【料   金】 無料
【問い合わせ】 大野木場小学校 TEL 050−3381−5009 (大野木場小学校で管理。利用するには予約が必要)
【住   所】 南島原市深江町戊3243(大野木場小学校敷地内)

田原の六地蔵石幢  諌早市小長井町田原

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

田原の六地蔵石幢  諌早市小長井町田原

国道207号線により諫早市役所小長井支所手前の小長井交差点まで行く。ここから左折し山茶花高原へ向けて県道195号線を上って行くと、大きな田原溜池に出る。
池沿いの集落中ほどに田原口バス停があり、隣りに「田原の六地蔵石幢」がある。
現地説明板は次のとおり。

諌早市指定文化財(有形民俗文化財)  田原の六地蔵石幢
昭和54年9月26日指定

地蔵菩薩は、釈迦入滅後、弥勒仏が出世するまでの無仏期に、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の衆生を救済する菩薩とされ、末法思想の流布とともに広く信仰されるようになりました。六道に赴く地蔵の姿が六つに変化していることから「六地蔵」と呼ばれています。
六地蔵が造られた時期は、本市では天文期(1532〜54年)のものが多く、小野の六地蔵石幢群(小野町・赤崎町、県指定)、天祐寺の六地蔵石幢(西小路町、市指定)、関の辻の六地蔵石幢(下大渡町、市指定)などがあります。
田原の六地蔵は、笠頂部の宝珠部分が欠損していますが、ほぼ完形です。正面には、月輪の中に「阿弥陀如来」を示す梵字と、左記の銘が刻まれています。
逆修   □□   天文十七年戌申   十月十三日
平成20年3月  諌早市教育委員会

丸尾古墳  諌早市小長井町牧

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

丸尾古墳  諌早市小長井町牧

国道207号線により諌早市小長井町まで行く。長里の道路公園を過ぎしばらく行くと、入江に帆崎橋が架かる。
橋のたもと、小深井バス停に古墳の案内標識があり、左上の金刀比羅神社へ石段を登って、神社先の小道を少し行くと、畑地の中に「丸尾古墳」がある。

ここはどうも急傾斜面の方に、古墳内部への入口があったようだ。崖崩れで入口が損壊し、現在は工事中。ブルーシートにより覆われ、何も見学できなかった。
入江の対岸、有明海に面した帆崎の先端部には、前項の「長戸鬼塚古墳」がある。
現地説明板は次のとおり。丸尾古墳にも線刻画があるらしい。

文化財名  丸尾古墳

小深井港の東側、帆崎の丘陵に位置するここ丸尾山に、鬼のすんだという岩屋がある。しかし、これは昔の豪族の古墳であって円墳だと言われている。
円墳の高さは、前の室が横1.7m、高さ1m余。奥の室が横2.3m、高さ2.5m、奥行が3.3mで四壁や天上は、幅の広い巨石を積み重ねてある。
千数百年の間に石室の中のものは、運び去られたとみえ、空洞で鬼の岩屋のように見える。
諌早市教育委員会  諌早市文化財保護委員会

長戸鬼塚古墳  諌早市小長井町小川原浦

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

長戸鬼塚古墳  諌早市小長井町小川原浦

国道207号線により諌早市小長井町まで行く。小長井の町へ出る前が長戸である。小深井の入江に架かる帆崎橋から高台へ登った国道右方へ案内標識がある。右折してこの道へ入り、戻るように丘陵の先端部、帆崎へと行く。

墓地の先に円墳が見え、ここが「長戸鬼塚古墳」である。有明海や雲仙が良く望める。古墳の中はつっかいをしていて、内部を見学できる。
玄室と羨道に、鯨・船などの線刻画と線刻文が刻まれているらしいが、懐中電灯を持参しても、今は確認がむずかしいようだ。
入江の対岸、帆崎橋脇の金刀比羅神社上にも丸尾古墳(別項)があるが、損壊して工事中。
現地説明板は次のとおり。 
長戸鬼塚古墳 (史跡)
昭和63年3月1日指定  諌早市教育委員会

有明海に面した標高約10mの丘陵先端部に造られている。墳丘は、高さ約5m、直径約15mの円墳である。
石室は典型的な複室構造(玄室・前室・羨道)をもつ横穴式石室で、巨石を積み上げ、持ち送るという築造工法をとっている。全長9.6m。
貴重な線刻壁画古墳で、築造年代は、7世紀後半と考えられる。本古墳には、玄室(棺を安置する部屋)と羨道に鯨・船などの線刻画の他に格子文・鋸歯文などの線刻文が刻まれている。
県内の、線刻古墳は、本古墳の他に、丸尾古墳(本町牧名)、善神さん古墳(高来町)など、7例が知られているだけである。
隣接する墓地からは、開墾の際箱式石棺が7〜10基発見され、中から人骨、鉄刀等が出土したと伝えられる。
本町には本古墳の他に大峰古墳(大峰名)、城山古墳(井崎名)があり、同様なものは有明海沿岸に広く分布している。

水ノ浦のスクイ漁場  諌早市高来町水ノ浦

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

水ノ浦のスクイ漁場  諌早市高来町水ノ浦

国道207号線により諌早市高来町まで行く。湯江を過ぎて長里への高台へ上がる国道右方に案内標識があり、右折して海岸へ行くと「水ノ浦のスクイ漁場」がある。
諫早湾干拓の水門が近くに見えるところ。行きは満潮だったが、帰りには潮が引いていて、干潟の先に石で築いた遊水地が見えた。
防波堤の少し先にあり、長靴を用意してないと、干潟の遊水地には歩いていけない。
現地説明板は次のとおり。

水ノ浦のスクイ漁場  (昭和62年市指定文化財)

すくい漁は、有明海の特質である干満の差の激しさを利用して魚を捕るという干潟地域特有の最も原始的で大掛かりであり、歴史の古いと思われる漁法である。満潮と共にすくいに入った魚が引潮に従いオログチ近くの遊水地に集まるようにして捕獲するものである。
「すくい」は有明海沿岸一帯・肥後・筑後・島原半島沿岸一帯には、江戸時代から明治の中頃まで200箇所以上見られたが次第に荒廃し姿を消していった。
県内唯一、往時の姿を留めるこの水ノ浦の「すくい」は健在である。
平成17年3月1日             諌早市教育委員会 高来文化協会

諫早湾干拓地のコスモス畑  諌早市高来町小江干拓

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

諫早湾干拓地のコスモス畑  諌早市高来町小江干拓

諫早湾干拓地に平成14年から県内最大規模のコスモス畑ができている。10月19日(日)、佐賀の帰りに寄ったので、もう午後5時半過ぎ。写真写りが悪くなったが、花は満開だった。
諌早市高来町の小江干拓地には、2カ所のコスモス畑スポットがある。

国道207号線沿い。長崎方面から行くと高来町へ入って、富地戸バス停から入る「深海自然干拓地フラワーゾーン」は、植栽面積4.8haの200万本。少し走って高来ふれあい会館手前から入る「黒崎干拓地」は50万本。

白木峰高原は20万本、山茶花高原は5万本だから、その規模の大きさがわかるであろう。
期間中は、国道入口に案内看板があり、誘導員の指示による。昼間も混雑していたが、深海は今夜、花火大会があるため、夕方のこの時間でも人出は多くなっていた。

山茶花の茶屋跡  諫早市小長井町遠竹

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

山茶花の茶屋跡  諫早市小長井町遠竹

国道207号線の小長井交差点から左折し、県道195号線により山茶花高原ピクニックパークへ行く。パークに着くすぐ手前に山茶花溜池があり、堰堤の下の方に諫早街道の有名な「山茶花の茶屋」跡がある。

県道側の説明板のところから奥へ入って行くが、ただ1軒残っていた茶屋跡の家は数年前から廃屋となり、街道の道も荒れてきて先へは歩けない。
明治に建立された県境標の石柱を探しているが、草に覆われ所在はまだ確認できないでいる。

小長井町「小長井町郷土誌」昭和51年刊、郷土の史跡220〜222頁による説明は次のとおり。茶屋跡の古写真も同頁から。カラーはHP「長崎県の坂づくし 山茶花峠」にあり、参照。

山茶花の茶屋

笠を忘れた 山茶花の茶屋に ザーンザ ザンザ
空がくもれば思い出す
色者(いろしゃ)の粋者(すいしゃ)で 気はザンザ アラヨーイ ヨイヨイ ヨーイ ヨイヨイ
と新太郎節にあるように、山茶花の茶屋は小長井町と太良町との県境にある。この茶屋の東側丘の中腹に2m位の高さの角石が建っている。長崎県、佐賀県の県境標である。
これは明治の始め、佐賀県令の設立によるもので、高来郡の内遠竹村と南側に、藤津郡の内古里村と北側にしるしている。

ここは諫早街道の多良ごえ中、最高のところ標高350m余で、山茶花峠と呼ばれる。この西側の地名を水茶屋といい、東側を山茶花という。里人はここを茶屋とよんでいる。昔ここに旅人の休けいする茶店があって、餅とトロロ汁をふるまって人々をなぐさめたという。
この少し北方の谷間には茶屋のつつみと呼ぶ溜池がある。以前は4、5軒の家もあったというが、今は古い大きな石垣につつまれた茶屋跡が1軒残っている。茶屋の前面は2haちかくの盆地になっていて茶屋のうしろは小高い丘となり北側の方からきれいな小川が流れ休けい所としては好適な場所である。大昔の駅あとではないかという学者の説もある。

元亀2年、ポルトガル船が長崎に入港してから南蛮貿易港として長崎が栄えたが豊臣秀吉が天正15年九州征伐の折、長崎が宣教師領になっているのを見て、ポルトガル人から長崎を奪かんして公領とし宣教師を追放した。江戸時代になっても切支丹を禁止したが、寛永14年に圧政と圧迫にたえかねた宗徒たちによって、島原の乱がおこった。
その後三代将軍家光の時長崎に出島をきずいて、ポルトガル船の通商を禁じ、平戸のオランダ人をここにうつし日本の対外貿易を長崎だけにし、オランダ人と中国人に貿易を許したのが寛永18年のことである。

幕府はこの地の防衛に注意し、福岡の黒田氏と佐賀の鍋島氏と交替にその警固にあたらせた。黒田氏は長崎の行き帰りには長崎街道を通ったが、鍋島氏は専ら諫早街道を通った。鍋島氏は沢山の家来をつれてこの街道を上下した際、ここにかごをとめて休けいされた。
そのかご立場がここにあった。茶店とならんで北側に高麗しばを一ぱい植えて中央に4m四方位の、しっくいの台をつくりその上にかごをおいた。この西どなりの茶店の境内に紅白の山茶花の大木があって旅人の目をなぐさめたので、山茶花の茶屋という名がおこった。「サザンカ」の実から「カタシ」ツバキ油がとれる。
ここのトロロ汁に舌づつみをうって笠を忘れたのが前述の唄である。

昔行基は、竹崎に千手観音をきざんで安置し遠竹をとおって山茶花をすぎ多良岳へのぼって大権現を奉祀したこの茶屋には、湯江、長里、小川原浦、井崎、多良の各所から登山口がある。なお近道としては、帆柱岳のふもとをこえて浜(鹿島市)へでる近道もある。
諫早街道はこの山茶花から、糸岐へ下って多良の古賀にある上使屋、即ちお茶屋へつく。諫早領はこの太良町までで、ここまでを里人は殿様道といいまた諫早街道といった。

山茶花高原ピクニックパーク  諌早市小長井町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

山茶花高原ピクニックパーク  諌早市小長井町

10月16日は、五家原岳中腹の白木峰高原のコスモスを見て、広域基幹林道「多良岳横断線」により、金泉寺のすぐ下を通り山茶花高原へ行った。
普通は国道207号線により、JR小長井駅先の小長井交差点から左折して、県道195号線に入る。田原溜池や聖母の騎士園を通り、「山茶花高原ピクニックパーク」へ上がって行く。

風車がある高原。コスモスは5万本。5分咲きと看板があった。遊具やハーブ園がある。
諫早観光物産コンベンション協会HP「水と歩む町 いさはや」観光情報による説明は次のとおり。
山茶花高原ピクニックパーク

標高450mの山茶花高原は365(360?)度の一大パノラマ。有明海、雲仙、熊本、佐賀平野、多良岳をぐるりと配した大自然のど真ん中、のびのび高原です。
さわやかなハーブの香りがいっぱいの庭園と遊びのステージでヘルシーな一日をエンジョイできます。長崎県の新しいアウトドアライフの新拠点です。

諫早市小長井町遠竹名2872  山茶花高原ピクニックパーク TEL.0957-34-2350
入園無料(施設・体験内容により別途料金が必要)
長崎道諫早ICよりR34で45分
営業時間 7月〜9月/9:00〜18:00 10月〜6月/10:00〜17:00
定休日  毎週火曜日 火曜日が祝日の場合、翌日が定休日となります。

白木峰高原のコスモス  諌早市白木峰町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

白木峰高原のコスモス  諌早市白木峰町

諫早市街から国道207号線により鹿島方面へ向かう。JR肥前長田駅そばに「白木峰高原入口」交差点があり右折。すぐ長崎本線を高架橋で渡り、五家原岳(標高1057.3m)の山頂まで登る県道184号線に入る。

五家原岳の中腹に「白木峰高原」はあり、上には「国立諫早少年自然の家」がある。
10月16日行ったが、まだ8分咲きか。平日でも人出は多い。駐車料300円。バイクは無料。
諫早観光物産コンベンション協会HP「水と歩む町 いさはや」観光情報による説明は次のとおり。
白木峰高原

標高1,058mの五家原岳の中腹に広がる白木峰高原は、約10,000㎡の広さに、春には 10万本の菜の花、秋には20万本のコスモスが咲き乱れます。遠目には諫早平野や雲仙岳、有明海を一望でき、その景色は格別です。
草スキー場やミニアーチェリー場、ローラースライダーなどのレジャー施設も整えられています。
諌早市白木峰町761−1  白木峰高原
美化協力金 100円
菜の花 ⋯ 3月下旬〜4月下旬  コスモス ⋯ 9月下旬〜10月下旬
長崎道諫早ICよりR34,R207経由、佐賀方面へ30分、白木峰高原入口右折10分

諫早街道の「三本松の一里塚」  諌早市長田町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

諫早街道の「三本松の一里塚」  諌早市長田町

諌早市長田町を通った諫早街道(永昌宿〜多良宿)に、昔の街道の原型を留めた一里塚があることを知り、見に行った。
場所は位置図のとおり。国道207号線のJR肥前長田駅先の長田交差点から左折。長崎本線の踏切を渡ってしばらく行き、右の細い車道に入る。これが諫早街道の道で、見晴らしのよい「大蔵神社」へ出る。

大蔵神社の先の街道は、林間を山道によってまっすぐ小川まで下る。農道は図のように上流の橋を渡って迂回する。小型車1台がやっと通れるような狭い道である。
合流した谷間からまた高台へ登りにかかり、街道が農道と分岐するところに一里塚がある。石を高く積んだ大きな塚。
脇に標柱が設置され、「諫早街道一里塚 三本松跡」と説明していた。この先は道が荒れて歩けなかった。
fwd−net長崎・諫早サイト「諫早の散歩道」による「諫早街道(永昌宿〜多良宿)」の中の説明は次のとおり。
諫早街道(永昌宿〜多良宿)

…JA県央長田支所の前を過ぎると、間もなく旧長田小前に出ます。その道前左手に土橋貞恵翁の生家跡があります。この道をまっすぐ上り詰めた所に大歳神社があります。ここからの眺望はすばらしく籠立て場になっていました。

大歳神社から、下って田圃沿いに歩いていくと、ちょっと上り坂になってきて、農道から分かれます。別れ道のところが、「三本松の一里塚」です。ここの一里塚は、よく原型を留めていますが、随分現在の道から外れているからでしょうか?

一里塚から先は、古道を傷めずに、きれいに整備して頂いています(感謝)。気持ちの良い道を抜けて、正久寺の集落です。…