長崎の風景・史跡 (県 南)」カテゴリーアーカイブ

三井楽  漣痕・白良ヶ浜・エノキ・高浜海水浴場ほか  五島市三井楽町

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三井楽  漣痕・白良ヶ浜・エノキ・高浜海水浴場ほか  五島市三井楽町

五島市三井楽町の風景・史跡。漣痕・白良ヶ浜・エノキ・高浜海水浴場ほか。
五島市観光協会「五島市観光情報サイト 五島」などによる説明は次のとおり。

写真  1〜  3  漣痕(濱ノ畔 白良ヶ浜東端)
この附近一帯の化石は五千万年前当時の砂浜に印された漣の痕であって、海底に堆積した泥や砂が長い間の圧力や熱のために硬くなり、種々の地殻変動を受けて陸地となり傾斜したものです。(県指定天然記念物 別記参照)

写真  4〜  5  白良ヶ浜(濱ノ畔)
三井楽は高浜や高崎など美しいビーチを持っており、この白良ヶ浜もその1つ。海岸沿いにのびる遊歩道は全長1km。キメの細かい白砂に海の色が映えます。

写真  6〜  7  道の駅遣唐使ふるさと館(濱ノ畔)
中に一歩入ると船底のような天井が広がります。ここは三井楽の歴史が大画面で堪能できる万葉シアターや、地元の名産品が買えるお土産コーナー、大きなレストランなど充実した施設が自慢です。

写真  8      弁天様とカッパの足跡(濱ノ畔)
白良ヶ浜の守り神でもある弁天様。干潮なら小島に渡られる。小さなほこらの周囲の岩場には、なんと、カッパの足跡らしきものがあります。

写真  9      エノキの大木(濱ノ畔)
浜を見下ろす坂の上に堂々と立つエノキの大木。幹周りは6m以上です。樹齢が何年なのか地元の人も知りません。

写真 10〜 12  尼御前の墓(波砂間)
三井楽町波砂間と浜窄の境界付近の浜辺の一角に石造りの小さな祠が祀られている。いつの頃か、一人の男性をともなって漁業を営み遁世の生活をしていた賤しからぬ女性がいたが、男性が都に上り2,3ヶ月も還らず、保有食料も尽き磯物を食べて留守居していたことがあった。ある日長崎鼻に差しかかる船を見て喜び、今煮たたんとするミナ(貝)を浜に放り棄てた途端船が転覆。悲嘆し尼となったが、男の供養の後、食を求める術もなく自寂したのではと言われている。その後気品の高かったこの尼の入滅を忍び、尼御前と称え旧暦10日を命日とし、今の世までも香花を供えお祀りしている。(五島雑学大事典から)

写真 13〜 15 火山と流人の島・嵯峨島(嵯峨島 貝津港から渡海船で約20分)
三井楽半島の西方沖約4kmに浮かぶ周囲約12kmの島。三井楽側から見ると、ひょうたんを割って浮かべたような優しい姿だが、島の北側は激浪で浸食され、荒々しい表情を見せる。ホマーテの男岳(標高151m)とアスピーテの女岳(標高130m)が結合してできた珍しい島で、激浪の浸食により噴火口の半分が削り取られ、海上からその断面を観察できる。噴火口の断面露出の例は世界的にも珍しく、学術的にも貴重。
また、男岳の近くの断崖は、罪人を海に突き落としたことから「だっころがし」と呼ばれている。切り立った断崖や千畳敷海岸など自然が織りなす雄大な景観を島の随所で見ることができ、最近では島を周回する遊歩道やキャンプ場も整備され、島民が温かく観光客を迎え入れてくれる。釣りの名所でもあり、陸路から本格的な磯釣りも堪能できる。島に伝わるオーモンデは国の無形民俗文化財。
別掲  https://misakimichi.com/archives/2005
https://misakimichi.com/archives/2006

写真 16     豊漁を見守る魚籃観音(貝津 福江から車40分)
眼下に貝津港、高浜を見下ろし、西方海上に浮かぶ嵯峨島を眺望する高台に建っている。航海安全と漁業の神様で、地元の網主の勧請により1955年に建立され、地域の人たちが大事にお祭りしている。ここからの落日は逸品。

写真 17     高浜海水浴場(貝津 福江から車40分)
真っ白い砂浜と澄みきった海。五島で最も人気のある海水浴場で、日本の渚100選、環境庁の日本の海水浴場55選にも選ばれており、‘04年には日経新聞で、日本で1番美しい海水浴場にも選ばれました。夏期には臨時バスも運行されます。

なお、長崎県HP「長崎県の文化財」による漣痕の説明は次のとおり。

漣  痕   天然記念物(県指定) 
よみがな れんこん
指定年月日 昭和34年(1959)年1月9日
所在地 五島市三井楽町浜の畔字横浜
管理責任者 五島市
三井楽町の白良ヶ浜(しららがはま)の東端で,道路の改修工事の際に露出した地層上に漣痕が保存されていた。地層は五島層群に属する砂岩層で,走向はほぼ東西で,北に50°の急傾斜をしている。露出面は約5m四方程度であるが,近年表面の磨耗がはげしく,次第に波型の模様が不鮮明になってきた。漣痕の中に,断面が非対称的波形を示すもので,一方向の流れによって形成される流成漣痕と,対称的波形を示すもので,前後に動揺する水や波によってつくられる波成漣痕とに区別される。三井楽町の漣痕は非対称的な断面をもち,流成漣痕に属する。五島列島に分布する五島層群の板状をなす砂岩には,地層面上にしばしば漣痕が保存されている。

嵯峨島 (2)  五島市三井楽町嵯峨島

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嵯峨島 (2)  五島市三井楽町嵯峨島

嵯峨島は、三井楽町貝津港から定期船で20分。毎日4往復がある。島は漁業が盛んで他の地区に比べ若者が多い。明治中期、西彼杵から移住した隠れキリシタンを先祖に持つカトリック信者もおり、教会がある。
島の西側には、昭和34年に県の天然記念物に指定されている火山海食崖(がい)が続く。多くの奇岩や海食洞を見ることができ、火山の内部構造を観察できる。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

北側の男岳は火砕丘で海岸付近の傾斜が比較的急。一方南側の女岳は小型楯状火山といえる。裾野の緩やかな火山。2つの火山が島の中心地である港附近で接合している。
島内の両火山を一周するコースがある。徒歩約8km、3時間を要する。

嵯峨島火山海食崖  天然記念物(県指定) 

よみがな さがのしまかざんかいしょくがい
指定年月日 昭和34年(1959)年5月19日
所在地 五島市三井楽町嵯峨島
管理責任者 五島市
嵯峨島は,福江島三井楽町貝津の西5kmに浮かぶ南北3.3km,東西の最大幅2.3km,面積2.82k㎡のひょうたん形をした小島である。北部に男岳(151m)と,南部に女岳(130m)があり,いずれも玄武岩質の赤色の火山砕屑物が積み重なった噴石丘である。この火山体の西側は海食により削りとられ,火山砕屑物の成層状態や,玄武岩溶岩の貫入する様子が見事に露出している。男岳南部(嵯峨島港の北岸附近)や,女岳南西部のモグリ瀬では,噴石丘形成の初期の火山活動の噴出物であるよく成層した凝灰角礫岩が露出する。噴石丘(臼状火山)の形成過程を知る上で,「新魚目(しんうおのめ)曽根火山赤ダキ断崖」とともに,貴重な地学的資料である。なお,男岳の東方に開いた火口内に散在する火山弾や岩滓中に鏡鉄鉱(赤鉄鉱の結晶)が含まれているのは珍しい現象である。

嵯峨島 (1)  五島市三井楽町嵯峨島

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嵯峨島 (1)  五島市三井楽町嵯峨島

嵯峨島は、三井楽町貝津港から定期船で20分。毎日4往復がある。島は漁業が盛んで他の地区に比べ若者が多い。明治中期、西彼杵から移住した隠れキリシタンを先祖に持つカトリック信者もおり、教会がある。
島の西側には、昭和34年に県の天然記念物に指定されている火山海食崖(がい)が続く。多くの奇岩や海食洞を見ることができ、火山の内部構造を観察できる。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

北側の男岳は火砕丘で海岸付近の傾斜が比較的急。一方南側の女岳は小型楯状火山といえる。裾野の緩やかな火山。2つの火山が島の中心地である港附近で接合している。
島内の両火山を一周するコースは、徒歩約8km、3時間を要する。

嵯峨島火山海食崖  天然記念物(県指定) 

よみがな さがのしまかざんかいしょくがい
指定年月日 昭和34年(1959)年5月19日
所在地 五島市三井楽町嵯峨島
管理責任者 五島市
嵯峨島は,福江島三井楽町貝津の西5kmに浮かぶ南北3.3km,東西の最大幅2.3km,面積2.82k㎡のひょうたん形をした小島である。北部に男岳(151m)と,南部に女岳(130m)があり,いずれも玄武岩質の赤色の火山砕屑物が積み重なった噴石丘である。この火山体の西側は海食により削りとられ,火山砕屑物の成層状態や,玄武岩溶岩の貫入する様子が見事に露出している。男岳南部(嵯峨島港の北岸附近)や,女岳南西部のモグリ瀬では,噴石丘形成の初期の火山活動の噴出物であるよく成層した凝灰角礫岩が露出する。噴石丘(臼状火山)の形成過程を知る上で,「新魚目(しんうおのめ)曽根火山赤ダキ断崖」とともに,貴重な地学的資料である。なお,男岳の東方に開いた火口内に散在する火山弾や岩滓中に鏡鉄鉱(赤鉄鉱の結晶)が含まれているのは珍しい現象である。

鯨見山・横浦捕鯨基地跡地・一二三滝ほか  南松浦郡新上五島町

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鯨見山・横浦捕鯨基地跡地・一二三滝ほか  南松浦郡新上五島町

南松浦郡新上五島町の風景と史跡。有川の鯨見山・横浦捕鯨基地跡地・丹那山系一二三滝と新魚目の小串郷への道。最後は奈摩湾矢堅崎の夕日。
長崎県警察サイトの「おまわりさんが話す地域の話 28(新上五島警察署)」による鯨見山の説明は次のとおり。
鯨見山展望台と鯨供養碑

南松浦郡有川町(現・新上五島町)有川郷
その昔、有川が捕鯨の町として栄えた頃、鯨見の番人が鯨の進入遊泳状況等を常に見張っていたところから、その名がついたものといわれています。この山の南西側には番所先とか納屋場と呼ばれるところが今も残っており、これも捕鯨業との関わりにおいて生じた俗称です。
この山の頂上あたりには、有川捕鯨の開祖・江口甚右衛門が正徳2年(1712)に建立した鯨供養碑が北東の海に向けて建てられており、そのうちの1基は風化が酷く、僅かに数文字が読みとれるだけです。
県の文化課発行の資料によれば、この供養碑は、「単に鯨の供養というだけでなく、元禄4年から正徳2年までの約200年間の鯨の捕鯨数を明記した点、1つの漁業史料ともいうべく云々、有川捕鯨の貴重な記念碑であるといえよう。」と記述されています。

奈留島 (2)城岳展望台・皺の浦ビーチロックほか  五島市奈留町

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奈留島 (2)城岳展望台・皺の浦ビーチロックほか  五島市奈留町

五島市奈留島の風景・史跡。HP「五島市奈留町の観光地」による説明は次のとおり。

写真  1〜  5   城岳城跡展望台
中世期に奈留氏(土地の豪族)が山頂に城を構えたことから城岳の名前がついたといわれています。現在は,山頂に展望台やアスレチック広場,遊歩道が整備されています。
展望台に設置してある望遠鏡を覗くと,晴れた日には,長崎の女神大橋が見えるという噂もありますが…。写真(4枚目)は,展望台から見た奈留高校(左)と奈留小中学校(右),中央は奈留小中学校グラウンド。

写真  6〜  8   宿輪の淡水貝化石含有層付近

写真  9        江上教会
江上教会は、旧江上小学校わきの林の中に建っています。教会建築では名工と名高い、長崎県出身の鉄川与助により、大正7年(1918)に建てられました。木造で、派手さのない素朴な教会ですが、外壁がクリーム色で,窓枠が水色に塗られ、清楚な雰囲気を醸し出しています。「長崎から世界遺産を『長崎の教会群とキリスト教関連遺産』」のリストの一つにもあげられてます。
別掲参照  https://misakimichi.com/archives/1987

写真 10〜 14   皺の浦ビーチロック(大串池塚海岸)
写真 15〜 16   遠命寺トンネル

写真 17        宮の森総合公園
小中高合同遠足の目的地です。奈留の自然を満喫できる野外活動施設です。ログハウス,バンガロー,シャワー棟,大浴場,テニスコート,ミニゴルフ場,などレクレーション施設が充実しています。近くには宮の浜海水浴場もあり,夏には家族連れや各種グループので賑わいます。また,奈留島で行われるイベント(4月に行われる五島綱引き選手権in奈留の前夜祭など)の会場にもなっています。

奈留島 (1)前島のトンボロ・奈留千畳敷ほか  五島市奈留町

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奈留島 (1)前島のトンボロ・奈留千畳敷ほか  五島市奈留町

五島市奈留島の風景・史跡。HP「五島市奈留町の観光地」による説明は次のとおり。

写真  1〜  2   前島のトンボロ(砂嘴)
砂嘴(さし)とは,沿岸流により運ばれた小石や砂が堆積して形成される,嘴(くちばし)形の地形のことです。奈留島では,奈留島港の南側にある前島と末津島が砂嘴によって結ばれています。大潮の干潮時には,砂嘴が青白くのび,美しい景観をに変わります。例年7月には,奈留のボランティア団体である「DonDon奈留」と奈留高校生が協力して,漂流物を回収したり草刈りをしたりして環境の保護活動を行っています。観光客に大人気のスポットです。

写真  3〜  4   奈留港ターミナルと離岸中のフェリー「太古」
写真  5        奈留島観光マップ
写真  6〜  7   舅ヶ島海水浴場

写真  8〜 11   奈留千畳敷(舅ヶ島海岸)
千畳敷は,畳が千枚も敷けるほど広い場所という意味から付けられた名称です。奈留島の千畳敷は,大きな岩が,小島と連なっており,空の青・海の碧・小島の緑と相まってすばらしい自然の美を誇ります。観光客に人気のスポットであるだけでなく,町民の行楽地でもあります。
また,隣接する舅ヶ島海水浴場は,砂浜でなく,美しく磨かれた玉砂利を敷きつめた海水浴場です。

写真 12〜 13   奈留神社
写真 14        奈留唯一の信号機(旧奈留小前 メインストリート)
写真 15        ユーミンの歌碑
ユーミンが,奈留高校(当時五島高校分校)の生徒の投書に応えて『瞳を閉じて』を作詞・作曲しプレゼントしました。これを記念する歌碑が,奈留高校正門を入るとすぐ左側に建てられています。歌碑の文字はユーミンの直筆です。いまでは,奈留高校の入学式や卒業式では必ず歌われます。

写真 16〜 17   奈留教会
写真 18        樫木山ダム

江上天主堂  五島市奈留町大串

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江上天主堂  五島市奈留町大串

奈留港ターミナルから奈留高校の方へ向い、学校手前から西海岸通りの道へ入る。港から約8kmの大串湾沿いに江上天主堂がある。または港から県道168号線により相ノ浦湾沿いに行き、遠命寺トンネルを抜けると江上天主堂に着く。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。天主堂内写真は現地説明板から。後ろ2枚は、敷地内で見た桁石橋。

江上天主堂  重要文化財(国指定) 

鉄川与助の設計施行による木造天主堂の代表作
よみがな えがみてんしゅどう
指定年月日 平成20年(2008)年6月9日
所在地 五島市奈留町大串1131−2
所有者 カトリック長崎大司教区
年代 大正7年(1918)
奈留島には、江戸時代後期に大村藩領から開拓民が移住したが、そのほとんどは潜伏キリシタンであった。明治6年(1873)にキリスト教禁制の高札が撤廃されると、江上地区では民家を借りてミサを行っていた。その後、明治39年(1906)に現在の江上天主堂のある場所に簡素な木造教会堂を建てたが、この木造教会に関する資料は残されていない。現在の天主堂は、大正7年に鉄川与助(※1)の設計・施行によって建てられ、平成14年2月26日に長崎県指定有形文化財に指定された。世界遺産暫定一覧表に登録されている「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産候補のひとつ。
左右対称のシンプルな外観であるが、内部はリヴ・ヴォールト天井(※2)など、天主堂として本格的な立面構成となっている。柱には手書きで木目模様を施し、さらにステンドグラスの代わりに、透明ガラスに花を描くなどの工夫もみられる。大正から昭和初期にかけて多くの教会が鉄筋コンクリート造へと変遷していく中で、江上天主堂は小規模ながら木造教会堂としての完成形といえる出来を示し、鉄川与助による木造天主堂の代表作である。
我が国における木造天主堂のうち、完成度の高い作品として歴史的価値が高く、鉄川与助の手がけた木造天主堂の代表作としても重要であり、指定基準の「歴史的価値の高いもの及び流派的又は地方的特色において顕著なもの」に該当する。

※1 上五島に生まれ(1879〜1976)、代々の建築業を継ぎ、数多くの教会建築に携わった。  ※2 天井に交差するアーチを渡してつくる曲面の天井のこと。

島原まゆやまロード  島原市 県道207号線

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島原まゆやまロード  島原市 県道207号線

島原まゆやまロードは、眉山の西をまわる県道207号千本木島原港線。写真は、旧大野木場小学校被災校舎を見て国道57号線へ戻り、水無川の大橋を渡った先から、島原まゆやまロードへ入り、千本木へ出たので、逆コースとなっている。
後ろの写真は、垂木台地の平成新山ネイチャーセンターと非常時のシェルター。
島原温泉観光協会HPの観光スポットによる説明は次のとおり。

◆ 島原まゆやまロード

平成12年3月21日に開通した島原まゆやまロードは、島原市背後の眉山を迂回して、日本で一番新しい山「平成新山」の間近を通る全長8キロメートルの道路です。
ルート沿いには「平成新山展望園地」があり、火砕流・土石流跡などダイナミックな自然の営みや日本一の砂防ダム群など迫力ある火山観光を体験できます。

大野木場砂防みらい館  南島原市深江町

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大野木場砂防みらい館  南島原市深江町

島原市内から国道57号線により雲仙へ向い、途中に「旧大野木場小学校被災校舎」と「砂防みらい館」の案内標識があり、右折して行く。
南島原市ホームページ/自然・景観/噴火・土石流災害による施設案内は次のとおり。

■ 大野木場砂防みらい館

火砕流によって被災した旧大野木場小学校のそばに建つ、噴火災害の脅威や砂防事業の必要性を、火山監視や本物の砂防を見て、体験学習できるミュージアムです。野外展望コーナーからは、平成新山を間近に眺められ、火砕流の堆積状況や砂防えん堤の整備状況など学ぶことができます。

【開館時間】 9時〜17時
【休 館 日】 毎週火曜日・12月29日〜1月3日
【料   金】 入場無料
【駐 車 場】 あり(無料) 40台

旧大野木場小学校被災校舎  南島原市深江町

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旧大野木場小学校被災校舎  南島原市深江町

島原市内から国道57号線により雲仙へ向い、途中に「旧大野木場小学校被災校舎」の案内標識があり、右折して行く。
南島原市ホームページ/自然・景観/噴火・土石流災害による施設案内は次のとおり。

■ 旧大野木場小学校被災校舎

平成3年(1991)年9月15日の大火砕流がもたらした熱風によって全焼した校舎が、そのまま残され災害のツメ跡をいまもまざまざと見せつけています。普賢岳の噴火の凄まじさをリアルに感じるための欠かせないポイントとなっています。
【休 館 日】 年中無休
【料    金】 無料
【駐 車 場】 あ り(無料)