長崎の風景・史跡 (市東南)」カテゴリーアーカイブ

香焼山円福寺  長崎市香焼町

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香焼山円福寺  長崎市香焼町

円福寺は、長崎市香焼行政センターの左方に参道入口の石門があり、本堂は背後の山手高台にある。車は迂回して行く。
長崎さるくマップブック「香焼界隈」74頁による説明は次のとおり。

香焼山円福寺

延暦23年(804)〜大同元年(806)、空海が中国へ渡る行き帰りの際、この香焼島に立ち寄った供養の跡といわれている伝説の地。本堂左手、小高い山へと続く石段を登り上がると、お香を焚いたといわれる場所に、弘法大師にまつわる小さな履物が納められていて、毎年4月21日、弘法大師祭の日に御開帳される。
狭くて急な石段の途中にはお地蔵さんが点在。石段は二手に分かれ、それぞれ上り下りが定められていて、参拝者の多さを物語っている。
唐人海難者改葬供養塔(市指定史跡)、円福寺の梵鐘(市指定有形文化財)、六地蔵石憧(市指定有形文化財)

高 島 (6) 石炭資料館の展示古写真類  長崎市高島町

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高 島 (6) 石炭資料館の展示古写真類  長崎市高島町

長崎港口、伊王島のすぐ先となる高島へ行く。古くから炭坑の島として栄え、日本の近代化を支えてきた。昭和61年(1986)閉山。現在は、島の特性と美しい海を活用する町おこしを始め、新たなリゾートの島として生まれかわっている。
長崎港から南西へ約14.5km。高速船で34分である。海釣り・健康(入浴)パック2,000円が得。全周6.4km。島内は周囲の景観を楽しみながら、2時間もあれば歩いて一周できる。

(5)は、「石炭資料館」の展示品。近代化産業遺産。(6)は、展示古写真類。
「石炭資料館」は、高島港ターミナル近くにある。昭和61年に閉山した高島炭坑が、かつて操業していた頃の坑内、坑外で使用していた人車(トロッコ)・炭車・採炭機械などや歴史資料が展示されている。また、高島町の古写真や昔の農機具など民俗資料も展示されている。
入館無料。開館時間は9:00〜17:00。休館日は年末年始。

高 島 (5) 石炭資料館の展示品  長崎市高島町

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高 島 (5) 石炭資料館の展示品  長崎市高島町

長崎港口、伊王島のすぐ先となる高島へ行く。古くから炭坑の島として栄え、日本の近代化を支えてきた。昭和61年(1986)閉山。現在は、島の特性と美しい海を活用する町おこしを始め、新たなリゾートの島として生まれかわっている。
長崎港から南西へ約14.5km。高速船で34分である。海釣り・健康(入浴)パック2,000円が得。全周6.4km。島内は周囲の景観を楽しみながら、2時間もあれば歩いて一周できる。

(5)は、「石炭資料館」の展示品。近代化産業遺産。(6)は、展示古写真類。
「石炭資料館」は、高島港ターミナル近くにある。昭和61年に閉山した高島炭坑が、かつて操業していた頃の坑内、坑外で使用していた人車(トロッコ)・炭車・採炭機械などや歴史資料が展示されている。また、高島町の古写真や昔の農機具など民俗資料も展示されている。
入館無料。開館時間は9:00〜17:00。休館日は年末年始。

高 島 (4) 飛島磯釣り公園  長崎市高島町

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高 島 (4) 飛島磯釣り公園  長崎市高島町

長崎港口、伊王島のすぐ先となる高島へ行く。古くから炭坑の島として栄え、日本の近代化を支えてきた。昭和61年(1986)閉山。現在は、島の特性と美しい海を活用する町おこしを始め、新たなリゾートの島として生まれかわっている。
長崎港から南西へ約14.5km。高速船で34分である。海釣り・健康(入浴)パック2,000円が得。全周6.4km。島内は周囲の景観を楽しみながら、2時間もあれば歩いて一周できる。

(4)は、「飛島磯釣り公園」を詳しく。
平成9年(1997)7月オープン。県内外の釣りファンが訪れる人気の釣りスポット。イサキ・マダイ・クロ・アジなど、豊富な漁種が一年中回遊する。とても恵まれた漁場で安全な場所だ。
釣りはもちろん、美しく澄んだ海を見ながら散策できる。公園の手前には、日本の水浴場88選「高島海水浴場」がある。
高島港から徒歩17分。島内バスもある。入園料は500円、見学のみは100円。
元旦と12月〜3月火曜日は休園(火曜日が祝日の場合は翌日)。
高島へ渡るには、香焼中学校裏手の海岸から海上タクシー「美津丸」(所要時間13分、片道800円)も就航している。

高 島 (3)  長崎市高島町

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高 島 (3)  長崎市高島町

長崎港口、伊王島のすぐ先となる高島へ行く。古くから炭坑の島として栄え、日本の近代化を支えてきた。昭和61年(1986)閉山。現在は、島の特性と美しい海を活用する町おこしを始め、新たなリゾートの島として生まれかわっている。
長崎港から南西へ約14.5km。高速船で34分である。海釣り・健康(入浴)パック2,000円が得。全周6.4km。島内は周囲の景観を楽しみながら、2時間もあれば歩いて一周できる。
飛島磯釣り公園は(4)、石炭資料館は(5)、(6)で別項とする。

(3)は、本町へ戻って北渓井坑跡、陣屋用水と高島陣屋跡、遠見番所石火矢台場跡、炭坑廃墟施設、沖の中ノ島・端島(軍艦島)、二子島の浜節の碑、風力発電装置、時の記録古写真と現在のふれあい多目的運動広場、高島トマト栽培所、最後は高島海水温浴施設「いやしの湯」へ。
高島の風力発電装置は、一般家庭約450世帯分の発電量をまかなう。
(4)は、飛島磯釣り公園を詳しく。

高 島 (2)  長崎市高島町

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高 島 (2)  長崎市高島町

長崎港口、伊王島のすぐ先となる高島へ行く。古くから炭坑の島として栄え、日本の近代化を支えてきた。昭和61年(1986)閉山。現在は、島の特性と美しい海を活用する町おこしを始め、新たなリゾートの島として生まれかわっている。
長崎港から南西へ約14.5km。高速船で34分である。海釣り・健康(入浴)パック2,000円が得。全周6.4km。島内は周囲の景観を楽しみながら、2時間もあれば歩いて一周できる。
飛島磯釣り公園は(4)、石炭資料館は(5)、(6)で別項とする。

(2)は、西海岸の断崖、三角溝と石橋、あこうなど大木、高島カトリック教会、高島小・中学校とグランド、おろち伝説蛇谷の岩間、権現山(標高115m)公園の展望台、鷹巣権現跡、追懐古写真と現況。蛇谷は、山頂展望台のすぐ北側の遊歩道沿いにある。
(3)以下へ、続く。

高 島 (1)  長崎市高島町

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高 島 (1)  長崎市高島町

長崎港口、伊王島のすぐ先となる高島へ行く。古くから炭坑の島として栄え、日本の近代化を支えてきた。昭和61年(1986)閉山。現在は、島の特性と美しい海を活用する町おこしを始め、新たなリゾートの島として生まれかわっている。
長崎港から南西へ約14.5km。高速船で34分である。海釣り・健康(入浴)パック2,000円が得。全周6.4km。島内は周囲の景観を楽しみながら、2時間もあれば歩いて一周できる。
飛島磯釣り公園は(4)、石炭資料館は(5)、(6)で別項とする。

(1)は、高島全景、三菱創業者岩崎弥太郎之像、尾浜坑坑口跡、南洋井坑口跡、長崎市高島行政センター、百間崎地名由来の防波堤跡、「コンニャク煉瓦」の擁壁、高島海水浴場、飛島磯釣り公園正門、陸上養殖施設(種苗生産センター)、南風泊ふれあい橋、グラバー別邸跡
(2)以下へ、続く。

新田神社の石祠などの不思議な図象  長崎市大籠町

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新田神社の石祠などの不思議な図象  長崎市大籠町

大籠町の新田神社には、カニ、タコ、エビなど特異な図象を配した石祠が拝殿奥に祀られている。以下は、三和町文化協会誌平成10年に掲載されたある先生の「新田神社考」である。
主に関係する部分のみ抜粋してみる。(註は当方で外字を作成できないため、文で注釈した)
総論では、年配のご婦人の話として「私は大籠(おおごもり)の者ですけど、子どもの頃、親から蟹は食べちゃあいかんとよく言われていたけど、その頃何故食べちゃあいかんのかわからんやった。今日お話を聞いて初めてわかりました」と紹介している。

実はこれと似た話を最近、ブログのコメントにもらったので取り上げた。大籠町赤土に伝わる話と思われる。
「深堀赤土の海岸丘にある石塔」を参照。 https://misakimichi.com/archives/195
「この沖で海難に遭ったとき、蟹に助けられた」というような話である。双方ともまだ史実関係がはっきりしない。
新田神社石祠に配されてある「カニ」などの、今後の研究の糧としていただきたい。
合戦絵図は、神社の拝殿の中に掲げられていた。

佐賀藩深堀領にキリシタン教会が存在したかでも、地元識者の意見は分かれる。神社明細書によると、新田神社は郷社深堀神社の雑社二十社の内の一つである。善長でなく大籠は明治となって大籠村の村役場があった中心の集落だった。
キリシタンの宗教色は、どうだっただろうか。更なる検証をお願いしたい。

ニ、「郷土史 深堀」よりの資料
(37)新田神社 (大籠町)(P.207 原文のまま)
新田義興を祀る神社で、其の奉祀の原因及時期はさだかでないが義興が矢口渡に誘殺されたのが正平十三年(1358年)で、それより百年位前に此の地に新田正久が居住していたと言われている。

三、建造物等の図象より
(1)鳥居の奉献の「□」 (註:「奉」の字で漢字の上の部分が「十」の3字)
隠し十字とみられる。
(2)掲げられている神社家紋「○」 (註:「○」の中に「一」の字)
家紋大事典記載の新田家の家紋 「引両(ひきりょう)」の項「○」 通称 大中黒 (註:「●」の中に白抜けの長方形)
(3)石祠の屋根前面に置かれている「蟹」彫塑
「蟹はフランシスコ・ザビエルの象徴」として刻まれたものと、島原のキリシタン研究家の吉田安弘氏が言われている。
また平湯晃氏の著書「聖フランシスコ・ザビエルの日傘」に、くわしく述べられている。いわゆる蟹は、神の使徒である。
(4)石祠の屋根側面にある大三角形「△」
「△」は、三世紀ごろから、キリスト教で三位一体の象徴として使われていたマークである。
「三位一体」とは、「父と子と聖霊」のことをいい、キリスト教の基本原理である。
(5)石祠の屋根側面上部にある「○」 (註:「○」の中に「大」その下に「一」の字)
前述の吉田安弘氏は、「○」(註:「○」の中に「大」の字)と「○」(註:「○」の中に「一」の字)とが合体されて「○」(註:「○」の中に「大」その下に「一」の字)となり、大神デウスを表しているとみる。すなわち、大と一を分離したと考える。
(6)石祠の屋根前面中央部にある小さな紋様は、「花十字」とみられる。
(7)その他、扉の表面下部の「×」は、アンドレア十字とみられる。また、石祠側面の縦三本の柱は、聖なる数「Ⅲ」とみられる。
(8)「郷土史 深堀」による新田神社の祭神は、新田義興とあるが、冒頭資料「神社明細調帳」には、新田義貞と明記されている。義興は義貞の第ニ子である。
また、「神社明細調帳」での「神体石像」の表現が、彫塑のような石像物の意味にも取れるし、現在のような「謹製 新田大明神」と石板に彫られた文字だけのものとも取れ、判然としない。

潮見崎観音と月見台  長崎市茂木町

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潮見崎観音と月見台  長崎市茂木町

長崎市茂木から宮摺の方へ向う。茂木港の南側先端、防波堤が出ている上に「潮見崎観音と月見台」がある。
平野露治氏著「茂木史談」昭和63年刊、第4章名所・旧蹟等38頁による説明は次のとおり。

潮 見 崎

潮見崎観音堂は宝永3年(1706)の開山。本尊は十一面観音として信仰され、長崎の市中からも参拝者が多い。8月10日の千日祭は夜店もたくさん出てにぎわっている。
月見台は潮見崎の上にあり、注連(しめ)が崎ともいう。月は赤井が崎の上から出て、その光を海に映し、注連が崎、月見台の下にかけて布を引いたようになるので、「布引の月」といっている。

裳着神社  長崎市茂木町

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裳着神社  長崎市茂木町

裳着(もぎ)神社は、若菜橋を渡って旧茂木街道を道を行く。もぎ歴史懇談会「茂木の名所旧跡」による説明は次のとおり。
御垣内にある茂木ホテル創業者道永エイの名と、本殿四方欄干の牡丹・雲竜・鯉・金鯱・亀などの彫刻は写真のとおり。
裳 着 神 社

長崎市で最も古い神社で明治以前は八武者大権現を祭る。神功皇后が三韓出兵の途中当地に立ち寄り裳を着けたとの故事から裳着の地名が起り、その後当社が創建されたと伝えられる。
キリシタン布教で社殿を焼かれ一時廃社、寛永3年(1626)再建され茂木の鎮守となる。その後裳着神社となる。