深堀赤土の海岸丘にある石塔 長崎市大籠町
長崎市南部深堀町から県道を大籠町へ行く。海の景色が良いところに三叉路となり、昭和11年の農道改修記念碑が建つ。左に上れば大籠町、真直ぐ進むと同町赤土の集落である。赤土の最初の家のかかる大カーブの道路は、現在、改修工事中である。
カーブを下りきったところにごみステーションがあり、小さな畑の奥の木立の中にすぐ石塔はある。2年前、長崎要塞地帯標を探していて、ここに不思議な石塔があると地元で聞いたためわかったのだが、行ってみるとどうも経塔のようである。
高さ60cmほどの2m四方の四角い石囲いの上に、平石の石塔が立つ。寸法は横50cm、厚さ15cm、高さは1.6m位。刻面は真中がはがれてよくわからない。上部に25cm位の「○」、下には栄誉の「誉」らしき字に続き「宗哲」とかなり大きな字がある。史跡案内書や資料に見当たらない石塔である。
地元の話では、時代がいつの頃かわからないが、この前の海で船の海難があったとか、前面の島、高島の島流しや炭鉱当時、高島からこの浜に逃げ出す者が多く、それらで溺れ死んだものの供養塔でないかという。その他、疫病の死者をまとめて葬った墓所など考えられる。
石塔刻面にある「宗哲」とはどのような人物だろうか。調べる必要がある。