九州(鹿児島県)」カテゴリーアーカイブ

牧園の大茶樹(二代目)  霧島市牧園町

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牧園の大茶樹(二代目)  霧島市牧園町

公益財団法人世界緑茶協会HP「O-CHA NET」による説明は、次のとおり。

日本茶の古木(大茶樹)

日本の国土は自然条件に恵まれており、茶の木は北海道以外の各県に育ちます。しかし、安定的な茶業経営が成り立つのは茨城県から埼玉県以南の地方であり、西南暖地が生産地となっており、山間地に野生化した茶の木も分布しています。日本茶には千年近い歴史があり、各地に野生化した茶の気があるにも関わらず、古木と見られる大茶樹がきわめて少ないことに気づきます。
古い茶産地の宇治や奈良を始め、静岡、埼玉、さらに古来人手の入らない伊勢神宮の神宮林などいずれも茶樹と思われるものはありません。茶の木は茶を摘むために大きく育てることなく時々根本から切り倒して茶摘みがしやすくなるようにしてきたことも考えられます。

嬉野の大茶樹
佐賀県嬉野町から北西にある不動岩に国の天然記念物となっている大茶樹があります。樹齢400年前後といわれ、直径14〜15cm内外の幹が10本近く分枝しており、こんもりとした小さな森のようになっています。
この茶の木は、小葉種の灌木性としては、世界一ではないかと思います。中国にも小葉種の木としては見ることができません。
(嬉野の大茶樹は、本ブログ次を参照。 https://misakimichi.com/archives/721

牧園の大茶樹
鹿児島県の北部、牧園町にも大茶樹が古くから伝えられていますが、最古の木は老齢となり枯死しましたが、二代目が牧園町役場前に庭木として保存されています。根部の周囲1.5mもありそうな大きな木です。

この他各地に直径15cmほどの老木の茶の木はありますが、古木といえるような大木は見ることはできません。

ノカイドウ自生地  霧島市牧園町えびの高原

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ノカイドウ自生地  霧島市牧園町えびの高原

鹿児島県教育委員会HP「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。

ノカイドウ自生地

【所 在 地】霧島市牧園町高千穂新床鹿倉 3968,万膳えびの1488
【種別】国指定天然記念物
【指定年月日】大正 12 年3月7日

ノカイドウはバラ科リンゴ属に属し,明治 42(1909)年牧野富太郎によって発表された植物で,中国原産でわが国でも栽培されるカイドウの変種とされている。樹高は約 1.5〜5 m になる落葉小低木で,幹は多く分岐し,短い枝はしばしば刺状となる。葉は卵状楕円形で長柄があり,5月上旬から中旬に桃色がかった白い5弁花を多数つける。
指定地は,霧島の標高 1,200m ほどのところにあるえびの高原の,鹿児島県と宮崎県境の渓流沿いにある。一帯はアカマツやノリウツギが混生するキャンプ場に隣接した樹林帯にあり,宮崎県側の方が個体数は多い。自生地は,他の植物の繁茂やシカによる食害のため個体数の減少が心配されている。また若齢木や幼木は皆無状態で現状のままでは将来,絶滅のおそれもある。
近年,シカの食害防止のために,幹の下部にネットをはるなど保護に努めている。

日本一?の「奥十曽のエドヒガン」  鹿児島県伊佐市

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日本一?の「奥十曽のエドヒガン」  鹿児島県伊佐市

昨夜、NCCテレビ放送番組「ドォーモ」が、福岡局から伊万里市の「明星桜」を訪ねていた。
「明星桜」より最大の日本一の桜が鹿児島県伊佐市にあると、車は次に鹿児島へ移動し、「奥十曽のエドヒガン」の現地を放映していた。

伊佐市HP観光地案内によると、次のとおり。私は2009年10月訪ねていたのを思い出したので、本ブログ次を参照。 https://misakimichi.com/archives/2074
画像は約5年前と古く、開花写真ではないが、九州の桜の巨木の話題として再掲する。この「日本一?」という意味がはっきりしない。エドヒガンの一本桜に限った話だろうか。

■江戸彼岸桜(エドヒガン桜)  (伊佐市大口小木原)
昭和52年に奥十曽渓谷上流の岩矢谷で発見され、高さ28メートル、目通り円周10.78メートル、樹齢およそ600年を越えるといわれている。
毎年3月下旬から4月上旬にかけて可憐な花を咲かせます。平成12年には「巨樹・巨木百選」に選定され、エドヒガン桜では日本最大といわれています。

鹿児島県の素朴な地蔵・田の神・青面金剛

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鹿児島県の素朴な地蔵・田の神・青面金剛 

宮崎市在住、HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」氏の、足跡 -その530- 末吉町〜松山町〜東串良町〜鹿屋市〜都城市(2012.02.19)から、鹿児島県の素朴な神々などの一部を紹介する。書庫は該当がないため、一応「北鹿児島」に整理。
http://5.travel-way.net/~niemon/

「そろそろ田の神の季節がやってきたようです。鹿児島をぶらついていたら、結構、田の神などに出会いました」
「今では田の神や仁王像、青面金剛等の石造物を追いかけながら、ついでに石造アーチ橋を探し回っています。見つからない時の落胆を和らげるためでもあります」とあった。

写 真  1〜 2   2.檍神社  2012.02.19 曽於市末吉町南之郷 檍(あおき)

檍神社と小戸の池  本殿裏の安産子育地蔵
「檍神社はもと村社であった。祭神は伊弉諾命、泥土煮命、大戸道命、面足命、伊弉冊命、沙土煮命、大戸辺命、惶根命である。
創建は、上代よりということである。三国名勝図会によると、当地は伊弉諾尊が檍原の中津瀬で祓除をした名跡に依て勧請したとある。
境内に『小戸池』がある。この辺りも昔は小戸といったと図会にある。小戸池は今も神社の近くにあり、妊婦が、この水を飲むと安産だといい伝える。
妊婦の家では必ず二人連れで瓶をもって小戸池の水を汲みに来る。その際瓶の口を流れおちる水にあてばいで、瓶の口を逆に下流に向けながら汲むのである。お産が流れるように軽いようにとの願いである。帰りは知人にあっても、一人は休まず瓶を持って帰る。もし立どまると産が重いのである。
家へ帰ったら、この水を井戸に入れて、朝夕小戸池の神水を飲むことにするのである。」

写 真  3      4.川東中園の田の神  2012.02.19 肝属郡東串良町川東

お寺の前の角地に田の神。女性のようにも見えます。
明治四十二年八月十五日 東串良村川東中園郷中

写 真  4      24.上野町の青面金剛  2004.08.16 鹿屋市上野町

写 真  5 №6,245 14.大渡橋(仮称)  2012.02.11 指宿市十二町大渡

2012年2月11日、国道269号線下で、同氏が発見した大渡橋(仮称)
橋幅:12.7m  径間:2.4m  拱矢:1.2m  基礎5段H:1.7m

下甑郷土館庭園に残る石橋の橋桁  薩摩川内市下甑町手打

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下甑郷土館庭園に残る石橋の橋桁  薩摩川内市下甑町手打

鹿児島県の西方海上はるか甑島は、細長い列島の島。川の流れは短くすぐ枯れるのか、小さな桁石橋もまったく見当たらなかった。
最後に寄った下甑島の南端、下甑町手打の武家屋敷通り「薩摩川内市立下甑郷土館」(歴史民俗資料館)の庭園で、やっと歴史ある桁石橋の珍しい材石と出会った。
庭園のベンチなどにされている6本。由来書きは次のとおり。

◇石橋の由来

この石は橋桁で今から約三百年位前、甑島領主小川氏の菩提寺住職丹山観和尚が泉州(現在大阪府堺)の宇兵という石工にたのんで、手打集落内の川の五ヶ所に三本ずつ石橋桁をかけさせたもののうちの一本の石橋の桁です。残りの橋桁の一部は郷土館の庭園に配石しています。
◇五ヶ所とは (城川の上・下、松下川の上・下、長川の一ヶ所)
(刻 銘) 五ヶ所共 元禄十年六月三日丁丑 丹山叟施捨 工者 泉州宇兵   郷 土 館

下甑郷土館の敷地は、建武の中興の忠臣楠木正成の末流楠木和田家(菊水の定紋)がこの地に落ちのびて住みついたといわれる歴史的に由緒あるところで、家屋(お住い・なかい)や庭園・山水池も以前の姿に復元したものである。この池にも復元庭園橋があった。
後ろの写真は、同庭園展示の「洗濯石」と、郷土館前通りの現在の城川「城橋」。

鹿島町の大火のエノキ・梶原家のソテツ   薩摩川内市鹿島町藺牟田(下甑島)

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鹿島町の大火のエノキ・梶原家のソテツ   薩摩川内市鹿島町藺牟田(下甑島)

名木を番号順に紹介中なので、記事は下甑島でも上となる北端部の鹿島町へ戻る。
鹿島港フェリー乗り場から県道349号線を少し南へ下ると、鹿島断崖が見られる「藺落(いおとし)展望台」への案内標識があり、薩摩川内市鹿島支所、鹿島小学校前を通る右の道へ入る。

密集した集落内に車を通すためできた道路で、県道から入ってすぐにJA甑支所スーパーがある。先の角地に小さな建物の徳船寺があり、名木「大火の榎」が寺前の道路中央に立つ。
市鹿島支所まで行くまだ手前。近くに「鹿島小学校発祥之地」と長濱街道の里程標石があった。
「かごしまの名木」リストによる説明及び現地説明板は次のとおり。榎の片面が焼けているのは、アップに写し忘れた。

かごしまの名木  38   愛称 大火の榎   樹種 エノキ
所在地 薩摩川内市下甑町鹿島町藺牟田
幹周 1.9m   樹高 10m   樹齢 850年   本数 1本

鹿島村文化財指定(天然記念物第4号)  名称「徳船寺境内及び周辺樹林」

文化元年(1804年)の10月29日に、「大蔵火事」と呼ばれた大火事があり、村の3分の2にあたる約200戸が焼失した。この榎の片面が焼けているのはその時の名残りである。
大木が殆ど姿を消した本村において、この徳船寺境内及び周辺の樹木は、貴重な緑であり、村内に豊かなうるおいを与えている。
本村ではその後、防火に特に注意し、「道中禁煙」を呼びかけ、村民みんなで防火に心がけるようになった。文化財をみんなで守り大事にしましょう。  平成15年3月  鹿島村教育委員会

ここから県道の裏通りとなる路地を鹿島港フェリー乗り場の方へ歩くと、「かごしまの名木」でないが、やはり同村指定文化財だった「梶原家のソテツ」を見かけた。現地説明板は次のとおり。

梶原家のソテツ   鹿島村指定文化財(天然記念物第3号)

そもそも梶原家は、源平争乱後落ち延びてきた平家の一族とも言われ、この地に住み着き郷士となった。このソテツの西側一帯は風雅な築山であったが、時代と共に次々と削られ、ソテツのみ先祖の遺物として保存されてきた。
当時ここは鈴木流の道場があり、柔・剣術の稽古を行い、このソテツの根本が休息場所であったと伝えられている。
樹齢 760年以上  高さ 3m20cm  周囲 5m40cm   平成16年2月現在
平成16年2月   鹿島村教育委員会

手打小学校のセンダン   薩摩川内市下甑町手打(下甑島)

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手打小学校のセンダン   薩摩川内市下甑町手打(下甑島)

下甑町手打は下甑島南端の集落で、下甑町の中心である。県道349号線により手打海水浴場がある海岸通りに出て、浜の中間ほどの小橋から川沿いの左の道へ入る。武家屋敷通りを通りぬけ、まっすぐ行くと薩摩川内市立手打小学校の校庭側門に出る。下甑郷土館の裏側となる。

名木のセンダンは校庭の中央に立つ。校庭の隅にはイチョウの大木もあった。
「かごしまの名木」リストによる説明は次のとおり。甑島について名木は、町ごとに1本ずつ選定したのではないか。センダンの大木は、上甑島の里町小学校塀のが、後ろの写真とおり幹囲3mほどあり大きかった。

かごしまの名木  37   愛称 手打小学校のセンダンの木   樹種 センダン
所在地 薩摩川内市下甑町手打
幹周 1.5m   樹高 7m   樹齢 120年   本数 1本

平良のエノキ   薩摩川内市上甑町平良(中甑島)

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平良のエノキ   薩摩川内市上甑町平良(中甑島)

上甑島から甑大明神橋と鹿の子大橋を渡って、上甑町平良港フェリー乗り場へ行く。海岸通りをさらに400mほど先へ進むと、右手にエノキの大木がある公園がある。平良公民館の前となる。「かごしまの名木」リストによる説明及び現地説明板は次のとおり。

かごしまの名木  36   愛称 榎   樹種 エノキ
所在地 薩摩川内市上甑町平良
幹周 3.8m   樹高 15m   樹齢 500年   本数 1本

榎 の 由 来

この榎の木は樹齢500年以上と推定されている。ここに三島神社があったころは4本の榎の木が立っていた。戦時中はこの木にサイレンを取り付けたり、戦後は時報・災害時等の報知に利用されたりして永くみんなに親しまれてきた。
これからもこの榎を保護し、憩の場のシンボルとしたい。     上甑村教育委員会

里のアコウ  薩摩川内市里町里(上甑島)

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里のアコウ  薩摩川内市里町里(上甑島)

「かごしまの名木」リストによる説明は次のとおり。里のアコウは幹周6mの大木であり、地元へ行って聞けばわかるだろうと思って甑島へ渡ったが、人によっていろいろな木を言う。
薩摩川内市観光協会甑島案内所でもわからず、現在、鹿児島県森林整備課、薩摩川内市里支所地域推進課へ問い合わせ中だが、返答がなかなか来ない。

かごしまの名木  35  愛称 里のアコウ  樹種 アコウ
所在地 薩摩川内市里町里  所有者
幹周 6m  樹高 15m  樹齢 400年  本数 1本

他の人のHPでは、里小学校のアコウを書いているのがある。校庭に立ち入れなかったが、そんな大きい木とは見えない。同小学校正門左側の屋敷の石垣にある木の方が幹周は大きい。
そのほか里支所近く海岸通り交差点に植えられた薩摩川内市合併記念の木、そして甑島案内所から画像を送ってもらったが、集落内にも大木はある。

正しい選定木がわかったら、後日、記事と写真を修正したい。番号順があり、項目出しをしておく。里小学校校庭の2枚目、里集落内の7,8枚目のアコウの木の写真は、甑島案内所からの送信画像。

薩摩川内市下甑町(下甑島)の風景・史跡 (3)

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薩摩川内市下甑町(下甑島)の風景・史跡 (3)

甑島列島は、鹿児島県薩摩川内市に属し、串木野新港から38kmの県西方海上にある。上甑島・中甑島・下甑島が連なり、全長は約35km。面積は約119k㎡。甑島県立自然公園となっている。串木野新港から甑島の玄関・里港まで、高速船50分、フェリー1時間10分である。
鹿児島県総合観光サイト「ゆっくり悠・遊 観光かごしま」観光スポット下甑町などによる説明は、次のとおり。

写真  1〜 11   下甑歴史民俗資料館     下甑町手打
昭和57年、手打の武家屋敷の町並みが続く旧道のなかほどに建設された資料館で、展示室には先人達が使用していた日常の生活用具や農林漁業の作業用具、古美術点など1200点余りが陳列され、この地域の歴史的文化を知ることができます。(下甑郷土館 入館料100円)

写真 12〜 13   薩摩半島眺望の丘      下甑町青瀬
手打〜青瀬間の県道沿いに設けられた展望所で、晴れた日には、ここから中甑島・上甑島をはじめ、遠く薩摩半島を眺望することができます。

写真 14〜 18   観音三滝公園         下甑町青瀬
観音三滝は、瀬尾川上流にある緑に囲まれた美しい滝です。55メートルの高さから滝壺ができており、三段になって落ちています。滝壺の近くに、観音像が祀られていることから、このように呼ばれています。滝の周囲には涼気が漂い、とりわけ夏場には避暑地として人々の憩いの場となっています。周辺は観音三滝公園として整備されており、休憩所・展望所・キャンプ場などがあります。