下甑郷土館庭園に残る石橋の橋桁  薩摩川内市下甑町手打

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下甑郷土館庭園に残る石橋の橋桁  薩摩川内市下甑町手打

鹿児島県の西方海上はるか甑島は、細長い列島の島。川の流れは短くすぐ枯れるのか、小さな桁石橋もまったく見当たらなかった。
最後に寄った下甑島の南端、下甑町手打の武家屋敷通り「薩摩川内市立下甑郷土館」(歴史民俗資料館)の庭園で、やっと歴史ある桁石橋の珍しい材石と出会った。
庭園のベンチなどにされている6本。由来書きは次のとおり。

◇石橋の由来

この石は橋桁で今から約三百年位前、甑島領主小川氏の菩提寺住職丹山観和尚が泉州(現在大阪府堺)の宇兵という石工にたのんで、手打集落内の川の五ヶ所に三本ずつ石橋桁をかけさせたもののうちの一本の石橋の桁です。残りの橋桁の一部は郷土館の庭園に配石しています。
◇五ヶ所とは (城川の上・下、松下川の上・下、長川の一ヶ所)
(刻 銘) 五ヶ所共 元禄十年六月三日丁丑 丹山叟施捨 工者 泉州宇兵   郷 土 館

下甑郷土館の敷地は、建武の中興の忠臣楠木正成の末流楠木和田家(菊水の定紋)がこの地に落ちのびて住みついたといわれる歴史的に由緒あるところで、家屋(お住い・なかい)や庭園・山水池も以前の姿に復元したものである。この池にも復元庭園橋があった。
後ろの写真は、同庭園展示の「洗濯石」と、郷土館前通りの現在の城川「城橋」。