九州(宮 崎 県)」カテゴリーアーカイブ

牧島台場・跡  日向市日知屋 ( 宮崎県 )

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牧島台場・跡  日向市日知屋

サイト「近世以前の土木・産業遺産」宮崎県リストによるデータは、次のとおり。JR日豊本線日向市駅東となる国道10号鶴町交差点から左折、細島港の方へまっすぐ進む。県道15号畑浦交差点に出て、すこし北上すると幡浦に牧島山のある半島入口がある。
愛宕神社を過ぎ、幡浦加圧ポンプ場前の左坂道へ上がり、住宅地内を通って車道を最奥まで進むと、岬の東端となる「松ヶ鼻」の案内標識がある。日向市文化財係に確認したところでは、ここから右下の磯場へ向かう山道の途中一帯に、牧島台場・跡の土塁や石垣が残っていると聞いた。
台場の西に繋がる(車道手前などにある)の塹壕は、西南戦争の時に、台場をより強固なものとするために薩摩軍が築いたと考えられていたが、これは広報ひゅうがの2012年6月号歴史探訪記事を参照。

牧島台場・跡 まきしま
日向市 牧島山・東端付近 台場(石塁) 文久2(1862) 市教委/現地解説板 山中に石塁や土塁が残る 岬の先端(延岡藩の牧場のあった場所を、幕末に台場として整備)/地元では「東九州屈指」と評価されている 3 B

舞野原赤木峠・舞野町の地蔵道標  延岡市舞野町 ( 宮崎県 )

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舞野原赤木峠・舞野町の地蔵道標  延岡市舞野町

サイト「近世以前の土木・産業遺産」宮崎県リストによるデータは、次のとおり。延岡市街から国道218号により高千穂方面に向かい、平田交差点から200mほど先の行縢山入口へ右折。旧高千穂線跡を渡りすぐ左折し、約100mほどで右手に上ってゆく旧道がある。
車道は狭く最後の人家で突き当るが、家の手前から電柱のある方の山道を登る。峠道稜線近くの右側に追分地蔵が立つ。高さ1.75m、幅30m、奥行き45cmの角柱で、寛文五年(1665)の建立。「従是 行縢大鳥居迄 壱里二十八町」と刻字され、行縢神社への参道であったことがわかる。
その先は舞野原の舗装道路に出て、集落墓地と新しい住宅地があった。
舞野原赤木峠の詳しくは、次のHP参照。  http://nanjaroka.jp/siseki/akagi/index.html

舞野原赤木峠 まいのはらあかぎ
延岡市 <日向往還> 道路 江戸初期? 宮崎県歴史の道調査報告書p29/WEB 平田〜舞野町間は旧道の雰囲気をよく残している 1 C

舞野町の地蔵道標 まいの
延岡市 赤木峠・近傍<日向往還> 石道標 高175㎝,幅30㎝,厚45㎝ 寛文5(1665) WEB(みさき道人) 原位置 (正面像上中央)「従是 行縢大鳥居迄 壱里二十八町」/正面下半分を火灯窓型に浅く削り込み地蔵立像(光輪、錫杖)を陽刻/17世紀の道標/判明している限り、九州で最古の道標 1 A

宮水御役所跡の井戸  日之影町宮水 ( 宮崎県 )

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宮水御役所跡の井戸  日之影町宮水

サイト「近世以前の土木・産業遺産」宮崎県リストによるデータは、次のとおり。日之影町の国道218号から宮水小学校前に行き、国道の陸橋を渡りまっすぐ上がると、町営住宅後ろの畑隅にこの井戸が見える。
宮水神社の右側となり、神社の先の町道には、町指定文化財の明治道標があった。
宮水代官所跡の詳しくは、次のHPを参照。  http://nanjaroka.jp/siseki/miyamizudaikan/

宮水御役所跡の井戸 みやみず
(西臼杵)日之影町 <宮水御役所> 石井戸 1.06m×1.10m 天保14(1843) 現地解説板 平成8に土砂を取り除き屋根を付けて復元 井戸枠に「天保十四年出来」と刻字/宮水御役所は寛政11(1799)に舟の尾から移転された役所(高千穂統治の中心地) 2 C

天翔大橋  日之影町七折 ( 宮崎県 )

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天翔大橋  日之影町七折

現地説明板は、次のとおり。日之影町の国道218号沿い五ヶ瀬川に見える。

農道日本一 天翔大橋

日本の農道橋、また、コンクリートアーチ式橋としは、アーチスパン260mの長さ(総延長463m)に、五ヶ瀬川の水面から橋面までの高さ143mは日本一の規模を誇る。平成12年に完成し、事業費約67億円、風力発電システムにより橋の夜間照明をまかなっているのが特徴で、平成12年度に土木学会賞、ブレストレストコンクリート技術協会賞、農業土木学会賞の3賞を受賞し、規模・形及び国道からの眺望等、日之影町の観光名所となっている。また、平成14年には国際コンクリート連合の特別賞も受賞。

高千穂トンネルの駅  高千穂町下野 ( 宮崎県 )

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高千穂トンネルの駅  高千穂町下野

サイト「Photo Miyazaki 宮崎観光写真」による説明は、次のとおり。高千穂町の国道325号沿いにあった。

トンネルの駅 Tonnel-no-Eki 高千穂観光「焼酎の町高千穂」

高千穂トンネルの駅の場所 R325沿い: 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字下野字赤石2221-2
【営業時間】 8:00〜20:00(5月〜9月) 8:00〜18:00(10月〜4月) 見学無料

トンネルの駅の歴史
旧国鉄時代(現JR)、延岡から高千穂までの高千穂線を延長、熊本県高森町まで結ぼうという九州横断鉄道建設の計画があり、昭和48年延長約23kmのトンネル工事が始まった。
トンネル内に水がわき出る事故があり、工事は中断、当時の情勢の変化等もあり結局工事は中断したままトンネルだけが残ってしまった。

平成9年旧国鉄精算事業団から高千穂町に払い下げられ、年間平均温度17度前後、湿度70%という焼酎をねかせるのにちょうどよい温度と湿度という事もあり、焼酎の貯蔵庫として地元(岩戸)の神楽酒造が高千穂町と賃貸契約を結び活用することになり平成12年にオープンしたもの。

トンネルは高さ6m、幅4.8m 長さ約1.1km。トンネル内には麦焼酎45度の原酒、440リットル約5,000樽が眠る。
トンネルの駅は大型バスの駐車場等も整備され、正面には天孫降臨の滝等もあり、高千穂観光物産館では神楽酒造焼酎の試飲等も出来る。
高千穂、国道325号沿いの上野地区にはこのような焼酎長期貯蔵庫トンネルが他にも2本(雲海酒造)ある。

久兵衛橋  高千穂町上野 ( 宮崎県 )

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久兵衛橋  高千穂町上野

5月31日から6月4日まで宮崎県へ行く。熊本大地震のため阿蘇大橋は崩壊、立野付近はまだ地滑りの恐れあり通行禁止。大津からミルクロードへ上がり赤水に下って阿蘇山の東側を回り高森峠を越して、宮崎県高千穂町へまず入った。石橋は途中で見かけたもののみ。
HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」宮崎県の石橋によるデータは、次のとおり。

№316  久兵衛橋

高千穂町上野
上野川
橋長:20.0m  橋幅:4.3m  径間:10.9m  拱矢:5.6m  環厚:52cm
架橋:文久3年(1863)
国道218号線から国道325号線へ、約5.7Km北上、上野中学校前です。

久兵衛橋(関橋)  平成2年3月14日町指定有形文化財
「上野川に架かる石橋は、橋畔の供養碑に“文久三年(1863)庄屋後藤七郎治、施主黒木久兵衛”と記されており通称“久兵衛橋”と呼ばれています。特徴はアーチの上幅より基礎が2.6m広く、橋面4.3m、底幅6.9mで造られています。
拡幅、壁石の乱れ積み、見せかけの二重拱環などから、肥後の石工の技と考えられ、県下で最も勝れた江戸期の石橋です。(明治42年3月一部改築)」
高千穂町教育委員会

甲斐有雄の道標群  高森町・高千穂町 ( 宮崎県 )

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甲斐有雄の道標群  高森町・高千穂町

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県及び宮崎県リストによるデータは、次のとおり。高森町「津留−長野」旧道中間の森林内に在った道標は、高千穂町分とも現在12本が、宮崎県高千穂町河内染野の亀頭山城址内「甲斐有雄道標公園」に移設、屋外展示されているので、私はここを訪ねた。
亀頭山城址へは、高森峠トンネルを抜け、柳から国道325号へ入る。寧静ループ橋先の川内郷大橋手前に城址入口案内板がある。ここから徒歩で15分、車(普通車以下)で5分。
最後の写真は、高森峠の九十九折り旧国道の道。

甲斐有雄の道標群 かい・ありお
(阿蘇)高森町・宮崎/(西臼杵) 高千穂町 甲斐有雄道標公園 (高千穂町) 石道標(12基) 文久元(1861)〜明治42(1909) 高千穂町教育委員会 高森町の津留〜長野旧道中間の森林内の道標は高千穂町の甲斐有雄道標公園に移設(写真は、高千穂町のもの) 熊本県を中心に、ほぼ半世紀の間に約1900基にもおよぶ道標を立てた石工の生誕地/このうち江戸期は1861-67年しかないので、甲斐有雄の立てた初期の道標は高森町内に限定されると推定できるが、時代の特定はされていない 4 B

甲斐有雄の道標群 かい・ありお
(西臼杵)高千穂町・熊本/(阿蘇)高森町 甲斐有雄道標公園 石道標(12基) 文久元(1861)〜明治42(1909) 高千穂町教育委員会/WEB(みさき道人) 高森町の津留〜長野旧道中間の森林内の道標を甲斐有雄道標公園に移設/時代の特定ができないため、「保存評価」を低くしてある 熊本県を中心に、ほぼ半世紀の間に約1900基にもおよぶ道標を立てた石工の生誕地/このうち江戸期は1861-67年しかないので、甲斐有雄の立てた初期の道標は高森町内に限定されると推定できるが、時代の特定はされていない 4 B

えびの高原と不動池  宮崎県えびの市

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えびの高原と不動池  宮崎県えびの市

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。

不 動 池

不動池(ふどういけ)は、九州南部のえびの高原北東部にある直径約200メートルの火山性湖沼である。
周りを高さ約20メートルの急斜面に囲まれており流入流出する川はない。雨の少ない冬期には水位が約2メートル低下し、1月から2月にかけて結氷することもある。水質は強い酸性(pH=4.5)を示すが、酸性度は年々弱まる傾向を示している。強い酸性水質のために生物は少ないが、ハリミズゴケ、ウマスギゴケ、ユスリカ、ゲンゴロウなどが確認されており、生物種数は年々増加傾向にある。池岸の地質は輝石安山岩であり、池底には火山砂礫が堆積している。
生物が少ないことと砂礫地質のために透明度が高く、水深が比較的大きいことから特徴的な濃い青色(フォーレル水色標準3番または4番)を呈する。近くを県道1号が通っており、池を見おろす駐車場付近は日中多くの見物客で賑わう。

形成
不動池は霧島火山群に属する火口の跡であり、おおむね3000年前にここから流出した溶岩が六観音御池と甑岳の間に残されている。噴火に伴って水蒸気爆発が発生し深い窪地(マール)が形成され、やがて水が溜まって池となった。

参考文献
・えびの市郷土史編さん委員会編 『えびの市史 上巻』 宮崎県えびの市、1994年
・田中正明 『日本湖沼誌』 名古屋大学出版会、1992年
・水沼栄三 「霧島山頂火口湖の水質」 『霧島山総合調査報告書』 霧島山総合研究会、1969年