長崎の風景・史跡 (県 北)」カテゴリーアーカイブ

千尋藻の漣痕  対馬市豊玉町千尋藻

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千尋藻の漣痕  対馬市豊玉町千尋藻

国道382号線により豊玉町和坂交差点まで行き、右折して対馬上島の東海岸を回る県道39号線へ入る。千尋藻トンネルを出て集落への道を下ると、戸浦の小さな入り江に出る。
「千尋漣の連痕」は、右岸の海岸道を行くと、一軒家の先の海岸崖地に漣痕が見られる。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

千尋藻の漣痕  県指定天然記念物

指定年月日 昭和41年5月26日  所在地 下県郡豊玉町大字千尋藻字戸浦630
管理責任者 豊玉町
対馬は、全島がほとんど泥質の第三紀層よりなり、一括して対州層群とよばれている。地層は主として厚い頁岩か、頁岩・砂岩の互層である。頁岩に挟まる砂岩の上面や下面に、堆積作用のあらわれとして、水流や水の動揺の痕跡を留めているところが多い。上面の波状の起状は漣痕であり、下面には水流の流れによって泥がかきとられた跡を埋めた砂の型が底痕として残される。
千尋藻の漣痕は、昭和27年の台風時の崖くずれによって、地層面が露出したもので、対馬では比較的発見例は多いが、この漣痕が規模も大きくみごとである。

筒城七浜  壱岐市石田町筒城東触

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筒城七浜  壱岐市石田町筒城東触

筒城七浜は、壱岐島の東南部、石田町の東端にある海岸。壱岐空港が近くにあるので、印通寺港から県道23号線を行き、途中の分岐から壱岐空港方面の道へ入る。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」自然環境編による説明は次のとおり。

筒 城 七 浜  場所 ● 石田町筒城東触  アクセス ● 印通寺港から車で10分

石田町の東海岸一帯を筒城海岸といい、ここは石灰質の生物遺骸の破片を多く含んだ“白砂の浜”で、海岸砂丘も見られる。総延長4kmにもおよぶ美しい砂浜は、空と海のコバルトブルーに映え、まるで南国の海のように眩しい。小さな浜ごとにそれぞれ由緒ある名称があり、別名筒城七浜という。年間をとおしてマリンスポーツを楽しむことができ、浜の近くには民宿やペンションなど宿泊施設も多い。

原の辻遺跡  壱岐市芦辺町・石田町

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原の辻遺跡  壱岐市芦辺町・石田町

壱岐市芦辺町・石田町の平野部に広がる「原の辻遺跡」。弥生時代の大規模環濠集落跡で、「魏志倭人伝」に記載されている「一大(?支が定説)国」の中心的集落と推定されている。
HP「壱岐の島・原の辻遺跡(上)」によると、魏志倭人伝の記載(現代語訳)は次のとおり。
…また大海を渡ると千余里で、壱岐に到達する。この海を瀚海(かんかい:現在の玄界灘)という。長官を(対馬と)同じく卑狗といい、副官を卑奴毋離という。周囲は三百里ほど。竹木や草むらが多く、三千戸程の家がある。少し田畑があるが、これだけでは生活できず、(対馬と)同様に韓国・北九州と交易している。 

「原の辻遺跡」は、佐賀県吉野ヶ里遺跡と並ぶ国指定の特別史跡。芦辺港と印通寺港を結ぶ県道23号線の中間くらいの県道沿いにある。
長崎県の「壱岐・原の辻展示館」があり、壱岐市による歴史公園が整備中であった。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

原の辻遺跡  特別史跡(国指定)

指定年月日 平成12年11月24日  所在地 壱岐郡芦辺町・石田町
管理団体 芦辺町・石田町
原の辻遺跡は、弥生時代を中心とする大規模な多重環濠集落であり、中国の歴史書『魏志倭人伝』記載の「一支国」の王都として特定された極めて重要な遺跡である。
遺跡は、平野に張り出した台地と低地一帯に立地し、100haほどの範囲が推定される。環濠内と低地には居住域が拡がり、台地中央の頂部に高床建物をもつ祭儀場跡が存在する。6箇所の墓域では、石棺墓・土壙墓を主体として、中国鏡・銅剣・腕輪の青銅器、ガラス玉・勾玉などが副葬された有力者の墓も認められる。台地西側の低地では、日本最古の船着き場跡が発見され、周辺の低地では稲作を行っていたことが確認されつつある。
遺物は、青銅製馬車具、三翼鏃・中国貨幣(五銖銭・貨泉・大泉五十)、鉄器、朝鮮半島系土器、床大引き材、ココヤシ製笛など、大陸との交流・交易を物語る遺物が多く出土している。
指定面積は、161,491.23㎡。

七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」歴史文化編による説明は次のとおり。

原の辻遺跡  場所 ● 芦辺町・石田町  アクセス ● 芦辺港から車で10分

紀元前2〜3世紀から紀元3〜4世紀にかけて形成された大規模な多重環濠集落で、芦辺町と石田町にまたがる台地上を中心に、東西、南北ともに約1km四方に広がっている。平成7年、原の辻遺跡は『魏志倭人伝』の中の「一支国」の王都と特定された。発掘調査途中のため、古代史を書き換えるような発見が相次いでいる。
最近では人面石が話題になった。ムンクの絵のようなユニークなもので、3〜4世紀に作られたもの。また棹秤に用いる錘らしきものも出土し、事実だとすると7世紀とされていた度量衡整備が、さらに400年以上もさかのぼることになる。出土品は原の辻資料館に展示されている。
平成13年に弥生時代のものとしては国内3カ所目の国特別史跡に指定。

壱岐安国寺跡  壱岐市芦辺町深江栄触

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壱岐安国寺跡  壱岐市芦辺町深江栄触

安国寺は、芦辺町の南にあり芦辺港から県道23号線により行く。印通寺港からなら原の辻遺跡を通り、同県道により行く。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

壱岐安国寺跡  県指定史跡

指定年月日 昭和49年4月9日  所在地 壱岐郡芦辺町深江栄触546
所有者 安国寺
足利尊氏・直義兄弟は夢窓疎石の勧めによって、平和を祈願し、元弘以来の戦死者の菩提をとむらうため、暦応元年(1338)頃から約10ヵ年にわたり、全国六十六国二島にそれぞれ一寺一塔をつくった。そして貞和元年(1345)に光厳上皇の院宣によって、寺を安国、塔を利生と称した。
壱岐安国寺はこの時創建されたものではなく、既存の海印寺を安国寺にあてたもので、そのため壱岐安国海印寺と呼ばれている。安国寺の開山は無隠元晦で、京都南禅寺から観応元年(1350)以後に来島して開いた。以来火災にあうこともなく、高麗版大般若経などを蔵して今日にいたっている。一利生塔は今日伝わっていない。

はらほげ地蔵  壱岐市芦辺町諸吉本村触八幡浦

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はらほげ地蔵  壱岐市芦辺町諸吉本村触八幡浦

「はらほげ地蔵」は、芦辺町の東、「左京鼻」のある八幡半島の八幡浦海岸岸壁の海岸にある。
芦辺からなら県道24号線、郷ノ浦港なら県道173号線、印通寺なら県道24号線により芦辺町諸吉二亦触交差点近くまで行き、「左京鼻」の方へ向かう。
八幡浦へ入って、八幡保育所先から漁港の岸壁へ出ると、「はらほげ地蔵」の六地蔵が海岸に祀られている。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」神社仏閣編による説明は次のとおり。

はらほげ地蔵  場所 ● 芦辺町諸吉本村触八幡浦  アクセス ● 芦辺港から車で10分

六地蔵は六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)において衆生の苦患を救うという六種の地蔵である。海女で有名な八幡浦の海中に祀られている。自然石の頭部で、腹が丸くえぐられているので、はらほげ地蔵と呼ばれている。何時、誰が、何のために祀ったかはっきりしたことはわからないが、遭難した海女の冥福のため、鯨の供養慰霊のためなどと伝えられる。胸の穴は、満潮になって地蔵が水没しても供え物が流れないように、船から供え物ができるように、あるいは流行の疫痢の疫病退散祈願のためなどと言われる。

壱岐長者原化石層 (2)  採集された化石の写真

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壱岐長者原化石層 (2)  採取された化石の写真

壱岐市芦辺町諸吉本村触の「壱岐長者原化石層」で採集された魚類や植物の葉の化石。
寄八幡神社が所蔵している化石の一部を写させてもらった。 

「イキウス」は、アメリカの魚類学者のジョルダンによって、大正8年(1919)に、魚類化石の新属・新種として、イキウス・ニッポニクスが記載されている。
魚類の大部分はコイ科に属し、魚類相は中国大陸のものに近い。本層は、新生代第三紀中新世中期を示す。(長崎県HP「長崎県の文化財」の説明から)

壱岐長者原化石層 (1)  壱岐市芦辺町諸吉本村触

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壱岐長者原化石層 (1)  壱岐市芦辺町諸吉本村触

「左京鼻」は芦辺町の東、八幡半島の北先端にある。芦辺港から芦辺大橋を渡り、壱岐市役所芦辺庁舎の方へ行き、「清石浜」を通り海岸沿いの道を行く。
郷ノ浦港からなら県道173号線、印通寺港からなら県道24号線により芦辺町諸吉二亦触交差点まで行き、八幡半島の南岸回りで「左京鼻」へ向かう。

「壱岐長者原化石層」は、「左京鼻」のちょうど反対側となる八幡半島の南先端部にある。「長者原崎」といい、八幡浦へ方へ回って屏風岩から漁港の寄八幡神社にかけて、この海岸部一帯に化石を多産する層がある。

従って、芦辺側なら「左京鼻」の園地を越えると、途中の道に「屏風岩」展望台があり、寄八幡神社へ着く。郷ノ浦・印通寺側なら「はらほげ地蔵」の方を通って寄八幡神社へ行く。化石層は神社の先から海岸部へ行くと見られる。後の写真が「屏風岩」
寄八幡神社が所蔵している化石を写させてもらったので、(2)はその写真集。 
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

壱岐長者原化石層  県指定天然記念物

指定年月日 昭和51年2月24日 所在地 壱岐郡芦辺町諸吉本村触 所有者 寄八幡神社
芦辺町八幡浦の南に突出した長者原崎に露出し、層理のよく発達した珪藻土質の地層であり、古くから植物の葉や魚の化石を多産することで名高い。含化石層は、長者原崎をはさんで東西に分かれ、100〜200mの延長をもって露出する。地層の走向はほぼ東西に分れ、南へ10〜14°傾斜する。西側の屏風岩の地層が指定されている。
本層の化石の研究は古くから断片的に行われているが、アメリカの魚類学者のジョルダンによって、大正8年(1919)に、魚類化石の新属・新種として、イキウス・ニッポニクスが記載されている。
最近では、石田町林徳衛氏が、植物化石(葉化石)40科67属83種、昆虫化石7科10種、魚類化石4目6科12〜16種、蛇化石1種を報告した。魚類の大部分はコイ科に属し、魚類相は中国大陸のものに近い。本層は、新生代第三紀中新世中期を示す。

七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」自然環境編による説明は次のとおり。

長者原化石層  場所 ● 芦辺町諸吉本村触八幡浦  アクセス ● 芦辺港から車で10分、下車して徒歩5分
八幡半島の南端に、白い地層が露出している。手で触れると、まるでチョークのような感触で白い粉が手に残る。これは植物性プランクトンである珪藻の遺骸が堆積してできた土質で、古くから植物や魚の化石が産出する。大正8年に魚類化石の新種イキウス・ニッポニクスが発見された。魚類相は中国大陸のものに近い。かつて大陸と地続きで日本海が大きな淡水湖だった頃の記憶が、この地層には詰まっている。
県の天然記念物に指定されているので、化石採集はできない。

屏 風 岩    場所 ● 芦辺町諸吉本村触  アクセス ● 芦辺港から車で20分

八幡半島南端に、屏風を倒したように白い岩が露出している。長者原化石層と同じ珪藻土層で、むき出しになった地層はまるでバウムクーヘンのよう。珪藻土層の間に、小石を包含した黒い地層が一本入っているが、火山の噴火による火砕流が火山灰の層であろう。

左京鼻・清石浜  壱岐市芦辺町諸吉本村触ほか

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左京鼻・清石浜  壱岐市芦辺町諸吉本村触ほか

「左京鼻」は芦辺町の東方、八幡半島の先端にある。芦辺港から県道24号線により芦辺大橋を渡り、大石トンネルは通らず壱岐市役所芦辺庁舎の方へ行き、「清石浜」を通り海岸沿いの道を行く。
郷ノ浦港からなら県道173号線、印通寺港からなら県道24号線により芦辺町諸吉二亦触交差点まで行き、八幡半島の南岸回りで「左京鼻」へ向かう。

後の2枚の写真が、芦辺港から左京鼻に向かう途中の「清石浜」など。
奥に左京鼻のある八幡半島が写る。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」自然環境編による説明は次のとおり。

左 京 鼻   場所 ● 芦辺町諸吉本村触  アクセス ● 芦辺港から車で15分

八幡半島のなだらかなスロープ状の草原を進むと、玄界灘に面して切り立った総延長約1kmにも及ぶダイナミックな海蝕崖に行きつく。ここの海蝕岩は玄武岩特有の柱状節理で、左京鼻の海中からは細い柱を束ねたような奇岩が突き出ている。壱岐島誕生神話の八本の柱の一つ「折柱」である。海鵜のおびただしいフンに覆われているが、遠目には武骨な玄武岩が化粧を施したように美しい。

清 石 浜   場所 ● 芦辺町諸吉東触   アクセス ● 芦辺港から車で5分

芦辺港の南東海岸には約500mの美しい砂浜が広がる。海水浴の各種施設も充実している。背後には砂丘が広がる。冬には水鳥が乱舞して、また違った風情を見せてくれる。

男岳神社と石猿群  壱岐市芦辺町箱崎諸津触

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男岳神社と石猿群  壱岐市芦辺町箱崎諸津触

芦辺港から右方の瀬戸浦へ県道を進み、瀬戸小学校の方へ右折して広い道を上がって行くと男岳神社裏手の参道入口駐車場に着く。神社へはここから歩いて10分くらい。
女岳と一帯は公園として整備されており、下にダムがある。山頂とダムの間の中腹を回る車道があり、この道を行くと山頂の神社まで車で登られるようだ。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」神社仏閣編による説明は次のとおり。

男嶽神社と石猿群  場所 ● 芦辺町箱崎諸津触  アクセス ● 芦辺港から車で15分

猿田彦命が祭神。拝殿横の石段には200体を超す石猿が並んでいる。家内安全、合格祈願、子宝祈願など、願掛け、成就に奉納されたもの。最初は牛の健康や繁殖を祈願し石牛を奉納していたというが、今では石猿が圧倒的に多い。新しいもの古いもの、さまざま表情が入り交じって楽しい。男岳は山全体が御神体で人は入山できず、麓から参拝していたというが、いまは境内まで車で行くことができるようになった。壱岐で二番目に高い男岳展望所からは全島が見渡せる。