投稿者「misakimichi」のアーカイブ

菅原の地蔵道標1 九重町菅原(桐木) ( 大分県 )

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菅原の地蔵道標1 九重町菅原(桐木)

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。国道387号宝泉寺温泉先から桐木集落内の旧道へ入る。集落の中ほどに大萱葺屋根の家があり、手前の坂道を登るとすぐその左崖面にこの地蔵道標がある。宝光寺の手前カーブのところ。
九重町郷土誌には、「備考 歯の痛みをとる地蔵として、今でも参拝がある。この地蔵は、他より移転した物。総高67センチ」と記している。

菅原の地蔵道標1 すがわら
(玖珠)九重町(桐木)石道標(舟型) 高67㎝ 文化11(1814) 九重町郷土誌p239 原位置? (正面右端)「右 もり道」、(同左端)「左 やまうら道」/正面中央に地蔵立像を陽刻 1 C

鉾納社のケヤキと夫婦スギ  小国町黒渕(東蓬莱) ( 熊本県 )

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鉾納社のケヤキと夫婦スギ  小国町黒渕(東蓬莱)

サイト「気になる!くまもと」の老樹名木が語る『ふるさとの自然・歴史・暮らし』による記事は、次のとおり。
国道387号沿い。小国町出身の洋画家坂本善三美術館に至る道の角に、鉾納宮(鉾納社)がある。

樹齢1000年の鉾納社(ほこのみや)の欅(けやき)  (阿蘇郡小国町)

■年月の積み重ねを感じさせるケヤキ

神社の境内から行き交う人々を見守るようにそびえ立つ巨樹です。近くにある大杉がすらりとしているのに比べ、ゴツゴツとして苔むした幹の佇まいに堂々とした風格を感じます。
ケヤキ 町指定天然記念物
樹齢(推定) 1000年
幹囲 7.3メートル
樹高 18.3メートル

■ケヤキやスギの巨木がつくる鎮守の森

小国町の中心・宮原(みやのはる)地区から国指定天然記念物「阿弥陀杉」に向かう途中、国道387号から坂本善三美術館に曲がる右手の角に鉾納社(ほこのみや)があります。この境内には巨木が多くて神々しい鎮守の森を作っていますが、その曲がり角を見下ろすような位置に立っているケヤキの巨樹が「鉾納社の欅」です。樹肌はゴツゴツとして苔むし、道路より一段高い台地の縁に立っているため根が地表に現れ出て、岩の塊の一部のように見えます。
道路から境内に登って行く石段の右側に立つ、厳格な門番のような佇まいです。もともとは、神社を守る仁王像のように2本のケヤキが並び立っていましたが、西側の樹が枯れて1本だけになってしまったとのことです。樹高は現存する樹の方が高いのですが、幹囲は枯れた樹の方が大きかったそうです。一本だけでもこれだけ堂々としているのですから、二本がセットになって並んでいたときの姿はさぞかし立派だったことでしょう。

鉾納社は明治期に正式名を宝来(ほうらい)吉見神社と定めましたが、地元では古くからの名である鉾納社と呼ばれています。神武天皇の皇子国龍命(くにたつのみこと)とその妃が祀られています。神社の由来は詳しくはわかりませんが、言い伝えによると黒淵地区の久漏牟田(くろむた)の鉾洗(ほこあらい)から二振りの鉾が出土し、湧水できれいに洗いあげたところ見事に光り輝き、その鉾をお宮に納めたといわれます。
楼門の下には「夫婦杉」と呼ばれ、樹齢700年といわれる2本のスギの巨樹が、高さを競うように並んでそびえ立っています。勢いよく伸びた枝からは青々と葉が茂り、圧倒的な存在感があります。楼門に向かって右が男杉、左が女杉と呼ばれていて、二人三脚で小国郷を見守ってきたかのようです。夫婦杉のほかにも拝殿の横や境内に何本ものスギが大きく育っていて緑濃い鎮守の森を形成しています。境内には古い祠(ほこら)があって、そこに社(やしろ)を建て、安産祈願の小さな鳥居がつくられました。

鉾納社の横には小国町が誇る坂本善三美術館があります。坂本善三は明治44年(1911)小国町黒渕に生まれました。「グレーの画家」と称され、ヨーロッパでは日本の伝統的な美しさを表現する画家として高い評価を受けました。東京のアトリエを空襲によってすべて失った画伯は、戦後に帰郷して、ふるさとの自然などをテーマに抽象画を描き続けました。この美術館では昭和62年(1987)に亡くなるまで制作した代表的な作品177点を収蔵、展示しています。明治期の古民家を改築した美術館は、郷土の景観保全と創造に貢献したとして、平成7年に「くまもと景観賞」を受賞しています。

豊栄鉱山の間歩・尾平鉱山の間歩  豊後大野市緒方町上畑ほか ( 大分県 )

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豊栄鉱山の間歩・尾平鉱山の間歩  豊後大野市緒方町上畑ほか

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによる説明は、次のとおり。原尻の滝入口から県道7号により尾平越トンネルの方へ向かう。
豊栄鉱山は、上畑健男社手前から傾山九折登山口まで行くと、ここが鉱山跡である。「豊栄鉱山鉱害防止協会現場事務所」のある一帯である。
尾平鉱山は、尾平越トンネルの登りにかかるところまで県道をさらに進む。「資源環境センター尾平事務所」がある一帯である。

鉱山跡はいずれも立入禁止で、山林内に残るという間歩は、簡単には確認できない。尾平鉱山については、ほかのHPによると、尾平越トンネル手前約1.6kmのカーブあたりから、急斜面を500歩ほど下ると、「コウモリ坑」なるものがあるが、現在は鉄柵がありコンクリートで完全に塞がれていると記している。
私はこの日、夕方となりそんな元気はなく、間歩への降り口(カーブミラーがある多分、ここだろう)を確認しただけ。尾平越トンネル入口まで行って緒方町へ引き返した。

豊栄鉱山の間歩 ほうえい
豊後大野市 坑道 江戸期 市教委 山林内の各所に坑口が多数ある

尾平鉱山の間歩 おびら
豊後大野市 坑道 江戸期 市教委 山林内の各所に坑口が多数ある

健男社のスギと自然林  豊後大野市緒方町上畑 ( 大分県 )

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健男社のスギと自然林  豊後大野市緒方町上畑

豊後大野市HPの県指定文化財(天然記念物)による説明は、次のとおり。原尻の滝入口から県道7号により尾平越トンネルの方へ向かう。県道の傾山登山口の先に上畑健男社がある。

健男社のスギと自然林
健男社は上畑標高450mの山麓に位置する。参道には杉の巨木が並木をつくり、神殿の背後地にはモミの巨木を優占種とする自然林が残されている。近年林業開発により消滅のモミ林の貴重な残存林として学術的価値は高い。
所在地:緒方町上畑948-1  指定年月日:昭和52年3月31日

権 現 橋  緒方町上畑九折 ( 大分県 )

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権 現 橋  緒方町上畑九折

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋によるデータは、次のとおり。原尻の滝入口から県道7号により尾平越トンネルの方へ向かう。上畑健男社手前から傾山九折登山口へ入ると、その途中の奥嶽川に架かる。
登山口はかつて豊栄鉱山があった所で、そのための石橋だろう。現橋の左手、草むらの部分に確認できる。

№938  権現橋

緒方町上畑 九折
奥嶽川
橋長:22.5m  橋幅:4.5m  径間:   拱矢:
架設:昭和16年(1941)
犬返橋から県道7号線へ戻り、4.8Km南下。
九折方面へ左折、1.3Km先現橋の左手に架かっています。
下流側は深い谷で、どうやっても降りることはできません。
左岸上流側へ200mくらい進み、川へ降り、そこから下流へ歩いてこの場所へ出ます。
手前は現橋です。下流側から、かろうじて写っています。
現橋の左手、草むらの部分です。

烏嶽円形分水  豊後大野市緒方町小原 ( 大分県 )

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烏嶽円形分水  豊後大野市緒方町小原

市報「ぶんごおおの」2009年8月号No.53による記事は、次のとおり。原尻の滝入口から県道7号により尾平越トンネルの方に向かう。烏嶽の麓、小原地区に案内標識あと2.4kmがあり大規模林道「宇目・小国線」へ入る。しばらく進むと右下への入口道があり、徒歩で10分ほど下った森の中に、直径約4mの円形分水がある。
豊後大野市では1カ所だけ。竹田市にもあるが、全国をみても30カ所程度しかない珍しい構造物らしい。

烏嶽円形分水
緒方町小原地区に烏嶽円形分水がある。長谷緒井路本線の水を小原方面と上緒方方面に分水するため、水路の水はサイフォンの原理を利用して、円形分水の手前から潜り中央から吹き上がる。
昭和13年の通水から71年間、常に一定の比率で分水され合理的な構造。豊かな実りを願った先人たちの思いが今も生き続けている。(通水時期は毎年5月連休明けから9月末)

木南切のエノキ・木南切のタブノキ  豊後大野市清川町平石(柏野) ( 大分県 )

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木南切のエノキ・木南切のタブノキ  豊後大野市清川町平石(柏野)

豊後大野市HPの市指定文化財(天然記念物)による説明は、次のとおり。「木南切のエノキ」は、轟橋手前から県道410号へ上がる坂道町道の入口右にある。「木南切のタブノキ」はこの町道を上がって行き、県道410号へ出る途中から左にバラス農道を少し下る。

木南切のエノキ
木南切の市道脇、轟地区に向かって右側にあるエノキの巨木で、ニレ科エノキ属の落葉高木である。樹高15m、胸高幹囲5.5mである。
所在地:清川町平石(柏野)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)

木南切のタブノキ
木南切の墓地にあるタブノキは、クスノキ科タブ属の常緑高木である。胸高幹囲2.6mなどの巨木で覆われている。他にカゴノキ、スギ、ヤマザクラなどが生育している。
所在地:清川町平石(柏野)
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和63年10月1日清川村指定)

轟 橋・出会橋  豊後大野市清川町左右知 ( 北海道 )

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轟 橋・出会橋  豊後大野市清川町左右知

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋によるデータは、次のとおり。国道502号「道の駅きよかわ」から県道45号に入り、途中の清川中学校先から県道668号に入る。先が工事中だったので宇田枝から岩上橋を渡り県道410号に出た。難解な県道をひたすら進むと、柏野峠に轟橋・出会橋の案内標識があり、下って行くと奥嶽川に架かるこの2つの橋に出る。

上流のが「轟橋」。下流のが「出会橋」。轟橋手前に休憩所があり、私は一周遊歩道で「轟橋」を渡り、それから下流の「出会橋」を渡ってその川岸へ下り、念願のツーショット石橋を写した。この日は水量やや少なく、何とか流されずに対岸へ渡渉できたのは幸いだった。(現地説明板とツーショット3枚は、ズーム拡大)

№717   轟(とどろ)橋

豊後大野市清川町左右知地区
奥岳川
橋長:68.5m  径間: 左:32.18m 右:26.5m
架設:昭和9年(1934)
形式:2連石造アーチ
岩上橋を通り過ぎ左折、約5Km先です。
または、清川中学校の3差路を天然橋方面ではなく右折、約7Km。細い道を、橋の存在を信じてただ走るのみ。

日本に誇るアーチ石橋
「豊後大野市清川町(旧清川村)の奥嶽川に架かる二つの石橋“轟橋”と“出合橋”の径間(アーチの両端を結ぶ直線距離)がそれぞれ全国1位と2位であることが平成10年に行われた東和大学工学部建設工学科(福岡市)の徳永講師グループらの調査で明らかとなった。
調査の結果、轟橋の径間は32.102mと26.521m、出合橋は29.3mと確認され、それまで日本一とされていた熊本県美里町(旧砥用町)の霊台橋の28.4mより長いことが実証された。
もともと“轟橋”は1934年(昭和9年)に営林署の林道軌道橋として設置され昭和30年頃までは木材を満載したトロッコが渡っていた。
現在は町の左右知と平石を結ぶ生活道の一部として使われている。
また下流に架かる“出合橋”は1925年(大正14年)に旧清川村轟・平石地区の住民によって架けられた。」
豊後大野市

「営林署が清川村に、木材運搬用の石造軌道橋として昭和7(1932)年につくった。傾山麓の木材をトロッコに積み、ディーゼル機関車で牧口駅近くまで牽引した。昭和35(1960)年に全線(約30km)を村に払い下げ、現在は村道となっている。」

№23   出會橋

豊後大野市清川町左右知
形式:1連石造アーチ
橋長:32.3m  径間:29.3m
完成:大正14年(1925)
轟橋から下流に見えます。

岩 上 橋  豊後大野市清川町宇田枝 ( 大分県 )

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岩 上 橋  豊後大野市清川町宇田枝

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋によるデータは、次のとおり。国道502号「道の駅きよかわ」から県道45号に入り、天然橋より300m東進し、右折。約1km先右折、奥獄川を渡るとき、左手に見える。

№22   岩上橋

豊後大野市清川町 宇田枝(うたえだ)
市指定有形文化財
形式:1連石造アーチ
橋長:26.0m  橋幅: 2.8m  径間:26.08m
完成:大正8年(1919)
天然橋より300m東進し、右折。約1Km先右折、奥獄川を渡るとき、左手に見えます。

岩上橋
「旧合川村の村道として架設されたもので村内では深谷橋についで2番目に古いものです。
昭和56年に下流に新岩上橋が架設され今は歩道橋として保存されています。平成5年の台風のとき奥嶽川が増水し、左岸の壁石が崩壊しましたが復旧工事で直されています。他の部分は架設当時のまま残っています。なお、水面から橋面までの高さは 14.5m です。」
市教育委員会

天 然 橋  豊後大野市清川町宇田枝 ( 大分県 )

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天 然 橋  豊後大野市清川町宇田枝

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋によるデータは、次のとおり。国道502号「道の駅きよかわ」から県道45号に入り約2km、清川中学校の左手先の奥岳川に架かる。

№21   天然橋

豊後大野市清川町 宇田枝
市指定有形文化財
橋長:15.0m  橋幅:3.0m  径間:15.0  拱矢:6.0m
完成:大正10年(1921)
国道502号線「道の駅きよかわ」より県道45号線に約2Km。清川中学校の左手先。道の駅に観光パンフレットが置いてあり、石橋の地図も掲載してあります。
奥獄川の最下流にあります。水の青さがとても綺麗です。

天然橋
「この天然橋は、奥嶽川に架設された主要県道宇目清川線の橋であったが、昭和60年8月、上流に新橋が架設されて現在は、廃道となっている。
架設記念碑によれば、明治9年に木橋が架けられたが、その後たびたび補修を要したため、上流に向かって右岸の牧口村左草区と左岸の合川村宇田枝区で協議の上、大正9年10月に起工し、翌10年3月に竣工しており、工費は5,772円で、地元住民を中心に160名が5,300余円を寄付している。
石工は、棟梁が竹田町(当時)在住の山下嘉平で、本村の界寿光、工藤子己両氏の名前もある。水面からの高さは14.7mある。
・大正10年(1921年)3月架設
・橋長15m、橋幅3m、径間15m」
市教育委員会