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紙屋関所跡の井戸  小林市野尻町紙屋 ( 北海道 )

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紙屋関所跡の井戸  小林市野尻町紙屋 

サイト「近世以前の土木・産業遺産」宮崎県リストによるデータは、次のとおり。小林市から東方に国道268号により野尻町紙屋まで向かい、紙屋大橋手前から左折する。紙屋小学校前を過ぎ、すぐ左の急坂を登ると、校庭プール側の反対角の石垣上が「紙屋関所跡」で、鉄板で蓋した「紙屋関所跡の井戸」が残る。

紙屋関所跡の井戸 かみや
小林市 野尻町紙屋<肥後街道> 石井戸 17世紀 市史跡 市教委 鉄板で蓋 薩摩藩の9つの関所の1つ紙屋関所に残る唯一の遺構 2 –

轟 橋・出会橋  豊後大野市清川町左右知 ( 北海道 )

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轟 橋・出会橋  豊後大野市清川町左右知

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋によるデータは、次のとおり。国道502号「道の駅きよかわ」から県道45号に入り、途中の清川中学校先から県道668号に入る。先が工事中だったので宇田枝から岩上橋を渡り県道410号に出た。難解な県道をひたすら進むと、柏野峠に轟橋・出会橋の案内標識があり、下って行くと奥嶽川に架かるこの2つの橋に出る。

上流のが「轟橋」。下流のが「出会橋」。轟橋手前に休憩所があり、私は一周遊歩道で「轟橋」を渡り、それから下流の「出会橋」を渡ってその川岸へ下り、念願のツーショット石橋を写した。この日は水量やや少なく、何とか流されずに対岸へ渡渉できたのは幸いだった。(現地説明板とツーショット3枚は、ズーム拡大)

№717   轟(とどろ)橋

豊後大野市清川町左右知地区
奥岳川
橋長:68.5m  径間: 左:32.18m 右:26.5m
架設:昭和9年(1934)
形式:2連石造アーチ
岩上橋を通り過ぎ左折、約5Km先です。
または、清川中学校の3差路を天然橋方面ではなく右折、約7Km。細い道を、橋の存在を信じてただ走るのみ。

日本に誇るアーチ石橋
「豊後大野市清川町(旧清川村)の奥嶽川に架かる二つの石橋“轟橋”と“出合橋”の径間(アーチの両端を結ぶ直線距離)がそれぞれ全国1位と2位であることが平成10年に行われた東和大学工学部建設工学科(福岡市)の徳永講師グループらの調査で明らかとなった。
調査の結果、轟橋の径間は32.102mと26.521m、出合橋は29.3mと確認され、それまで日本一とされていた熊本県美里町(旧砥用町)の霊台橋の28.4mより長いことが実証された。
もともと“轟橋”は1934年(昭和9年)に営林署の林道軌道橋として設置され昭和30年頃までは木材を満載したトロッコが渡っていた。
現在は町の左右知と平石を結ぶ生活道の一部として使われている。
また下流に架かる“出合橋”は1925年(大正14年)に旧清川村轟・平石地区の住民によって架けられた。」
豊後大野市

「営林署が清川村に、木材運搬用の石造軌道橋として昭和7(1932)年につくった。傾山麓の木材をトロッコに積み、ディーゼル機関車で牧口駅近くまで牽引した。昭和35(1960)年に全線(約30km)を村に払い下げ、現在は村道となっている。」

№23   出會橋

豊後大野市清川町左右知
形式:1連石造アーチ
橋長:32.3m  径間:29.3m
完成:大正14年(1925)
轟橋から下流に見えます。