野母半島の桜名所へ花見(1) 元宮公園・黒浜ダム
2016年4月2日(土)快晴。午後から野母半島の桜名所へ妻らと花見。(1)は、布巻町の元宮公園と黒浜町の黒浜ダム。(2)は、野母崎樺島町の樺島灯台公園と野母町の権現山公園の様子(各9枚ずつ。妻撮影も含む)。
桜は今が満開、山桜も綺麗だった。黒浜ダムは、一周ウオーキング(約1.8Kⅿ)。
野母半島の桜名所へ花見(1) 元宮公園・黒浜ダム
2016年4月2日(土)快晴。午後から野母半島の桜名所へ妻らと花見。(1)は、布巻町の元宮公園と黒浜町の黒浜ダム。(2)は、野母崎樺島町の樺島灯台公園と野母町の権現山公園の様子(各9枚ずつ。妻撮影も含む)。
桜は今が満開、山桜も綺麗だった。黒浜ダムは、一周ウオーキング(約1.8Kⅿ)。
香焼の安保地区花壇チューリップと総合運動公園へ(2) 長崎市香焼町
2016年3月21日(月 振り替え休日)夕方、香焼の安保地区花壇チューリップと総合運動公園へ妻らとウォーキング。長崎市HPイベント情報によると、本年度のチューリップまつりは来週から開催となるが、チューリップはほとんど開花し見頃となっていた。
香焼の安保地区花壇チューリップと総合運動公園へ(1) 長崎市香焼町
2016年3月21日(月 振り替え休日)夕方、香焼の安保地区花壇チューリップと総合運動公園へ妻らとウォーキング。長崎市HPイベント情報によると、本年度のチューリップまつりは次のとおり。来週から開催となるが、チューリップはほとんど開花し見頃となっていた。花壇の写真は主に妻撮影。
第9回 香焼チューリップまつり開催!
今年も、香焼地区の春の風物詩「香焼チューリップまつり」を開催します。安保地区花壇では、40種類、5万本の色鮮やかなチューリップが咲き誇り、皆様を歓迎します。「綺麗な花のまち香焼」にお越しいただき、春の訪れを感じませんか。
オープニングイベント 平成28年3月27日(日曜日) 午前10時から午後3時 (予定)
場所(アクセス)
香焼安保地区花壇(地図参照)
長崎バス「香焼恵里行き」に乗り、「安保」で下車。
長崎駅より車で約30分(駐車場はありません。) ※イベント期間は臨時の駐車場有
岳路海岸の風景 長崎市蚊焼町岳路
2016年3月7日(月)夕方、岳路方面へウォーキング。折山バス停からホテルパルコ、産廃処分場前を通る市道により、岳路集落と海水浴場に下り、国道へ上がった。
目的は、国道499号改良工事による岳路海水浴場入口バス停下付近の「岳路みさき道」道塚の所在確認。前記事のとおり道塚は無事だったが、途中の岳路海岸の風景を写してきた。
「岳路みさき道」の道塚は無事だった 3月7日現地確認
長崎市三和地区の蚊焼町岳路付近で現在、一般国道499号(長崎・野母崎線)道路改良工事が各所で行われている。急なカーブが多く、バスなど離合が困難な区間の拡幅工事である。
私たちがこの工事で心配だったのは、岳路海水浴場入口バス停下にある「岳路みさき道」を示す貴重な道塚1本(今魚町建立)の所在である。この区間は第16工区で、昨年8月から本年3月までの工事期間となっている。
そろそろ工事が完成に近づき、きのう夕方、この道塚がどうなっているか、現地確認に行った。上の新国道歩道側からも望めるし、工事関係者に了解をもらい、現地を訪ね写真を写してきた。道塚はまったく移設されてなく、無事だった。
バス停から集落へ下る里道は新しく広い道となるようだか、その折り返しカーブ途中にこれからはなる。
永一尾の山の稜線を行く「みさき道本道」に対し、蚊焼・岳路・黒浜・尻喰坂・以下宿へと続く海岸回りの「岳路みさき道」もあったことを示す貴重な道塚である。長崎市の方には史跡指定と説明板をお願いしたい。
岳路の道塚については、本ブログ次を参照。
岳路回りのみさき道(岳路みさき道) https://misakimichi.com/archives/135?type=folderlist
岳路「みさき道」の踏査と草刈り整備 2013年4月 https://misakimichi.com/archives/3650
「岳路みさき道」の私たちの考察は次のとおり。みさき道歩会研究レポート「江戸期のみさき道 第1集」平成17年発行の81〜82頁に掲載。
H 岳路回りのみさき道(岳路みさき道)
1 なぜ「岳路みさき道」というか
岳路に今魚町の道塚があることから、岳路回りのみさき道のコースがあったことが推定される。蚊焼から永一尾の山の稜線を行きゴルフ場の道塚から高浜へ出るいわゆる「みさき道本道」に対する、海沿いの蚊焼・岳路・黒浜・以下宿の集落を通って、高浜毛首の延命水の手前で本道と合流するもう一つの「みさき道」である。私たちが道を区別したり書きものをするとき、そう呼んでいるだけで、正式な名前でないし認知はされていない。
2 「岳路みさき道」とはどういった道か
蚊焼から先の永一尾の稜線に、道塚が見あたらないのは不思議なことであったが、妙道尼信女墓の所に道塚があったと記憶されている人(蚊焼桑原氏)はおり、徳道とゴルフ場にある道塚を結ぶと、この稜線の道が「みさき道」であったことは間違いない。関寛斎は「長人」を通っている。
しかし、このコースを外れて岳路に1本だけ、しかも同じ今魚町の道塚が離れてある。なぜか。わかったいきさつや詳しいコースは後に述べるが、これは海沿いに岳路を回るもう1本の「みさき道」であった。生活道として集落を結ぶ道がまずあったことは、当然なことである。本道との分岐は蚊焼西大道の道塚であることは往路で説明している。この道は実際歩いて楽なのである。
元禄十四年「肥前全図」に描かれている赤線の道は、この道のようであり、明治の後半期に入り栄上から蚊焼に抜ける道が整備されると、かえってこのコースの道が利用されたと考えられる。長崎—野母間の船便が運航され、外海が荒れたときは蚊焼まではなんとか船で来られたが、後は歩いて家に帰ったという体験談を聞く。
3 岳路の道塚とはどこにあるか
岳路グランドの先にある岳路海水浴場入口バス停留所から、岳路の集落へコンクリート舗装をされた道を100mほど下ると左手に電柱があり、斜面の上5m位のところにある。普段は蔓と棘に覆われわかりにくいが、電柱にプレートがあり踏み跡がある。地元の人はよく知っている。
すぐ上は国道で、左に傾いて立っている。正面「みさき道」左側面「今魚町」。下から見るので「今魚町」が正面に見える。
4 岳路の道塚はどこへ続く道か。「尻喰坂」(しっくいさか)とはどこか
道塚の周りは藪で道から離れた場所にあり、向きがおかしい。これまで発表された資料にあまりこの道塚はふれられず、疑問だった。岳路グランド駐車場の公衆便所上に地蔵祠があり、地蔵を関連づけて町境を登りみさき道の本道に合うほどよい道や、黒浜ダムの右尾根を上がり徳道に出る山道が見つかり、これではないかと一時考えた。しかし遠回りである。
無駄足を踏みながら、地図で以下宿に「尻喰坂」(しっくいさか)なる名前の道があることを知った。岳路から黒浜・以下宿と今の国道は海岸の断崖が続く。海岸は通れなかったはずと思い、この坂に分け入った。立派な街道が残り、以下宿の南の谷を上り高浜毛首の延命水へ道は続いていた。
「尻喰坂」とは、黒浜トンネルの手前から以下宿の老人ホーム「永寿園」先の地蔵堂に抜ける峠越えの坂である。厳密には以下宿側をいい、以下宿から上るのがきつく、その状態を言うという。延命水の地点は、往路において「のもざきの漫歩」の民話が紹介したとおり「野中の一本松」があり、黒浜のこどもたちが高浜の学校へ通うのにいつまでも使われた道であった。
5 岳路の道塚は位置を動いてないか
この道塚は、黒浜方面に行く国道とバス停から岳路集落へ下る細道の中間斜面に立っており、国道の路側、法面(のりめん)と思われるところである。しかも左へ大きく傾いている。国道の工事のとき土砂で流された可能性がある。岳路グランド上の地蔵と下の集落へ下る道ともあまり続かない地点である。なぜこの場所なのか、ずっと考えていた。
わかったのは三和町の字名全図を役場で見せてもらった時である。字名でいえば「岳路首」「葉山」「樫木原」の三つの入り組んだ字の境点であった。字の境が街道や古道であったことが多いのは、平山台上長崎道分れから蚊焼峠間ですでに学習をしていた。やはりこの道塚は動いていないし、字の境がここでは街道だったのである。後で明治地図や蚊焼村図を手に入れ見てみても、この地点であった。
ただし、この推定が通用するのは、あくまで道塚や文献など証拠物があるときと考えている。
この岳路あたりも、字境はみごとに古道である。三和町だけの図しか持たないが、蚊焼から岳路を通り野母崎町の町境まで、次の「岳路みさき道」のコースは、ほとんど字境である。海水浴場入口の次のバス停は「岳路」で浦岡商店がある。この家の裏を街道が通っていたと主人が話したが、正にそのとおりであった。そして先に「東道上」「西道上」とも街道に関係すると思われる字名が出てくる。
6 蚊焼から岳路までの道はどうなるか
岳路の道塚とその先高浜延命水につながる道はわかったが、蚊焼から岳路まではどうなるか。これは、蚊焼西大道の道塚から道塚の指す「みさき道」の左道でなく、分岐の右道を試しに歩いていてほぼわかっていた。畑の中を下りながらいったん晴海台へ行く車道を突っ切り、墓地の脇からまっすぐ下ると蚊焼小学校の正門前に出る。途中に地蔵が多い。
蚊焼の大川沿いに左を行き、蚊焼浄水場先は左に折れる上流でなく、古葛根農地造成工事中の右脇を回って国道を横切り、松永建設に上る横の車道に入る。竹林となり先は畑道が続き、しばらく行くとエホバの証人のところで国道に出る。これが昔の街道である。鯨浜へ回る道や今の国道ではないのである。ここで畑をしていた人は元郵便配達で、自転車で毎日この道を通ったと聞かせてくれた。
後は岳路グランドへそのまま行き、駐車場上の地蔵を越して岳路海水浴場入口バス停に出る。
春の草花 安保花壇のチューリップなど
2016年3月5日(金)快晴。夕方から長崎市香焼町の安保地区花壇チューリップの咲き具合と伊王島大橋を渡り沖の島一周ウオーキングへ。
チューリップの開花にはまだ早く、地元で雑草の草取り手入れ中だった。いずれも妻の撮影。
安保地区花壇の2012年4月の開花状況は、本ブログ次を参照。
https://misakimichi.com/archives/3184
春の草花 河津桜とこぶしなど
雛祭りの2016年3月3日(木)快晴。やっと暖かくなり、長崎に春が来た。ウオーキングで妻が歩いている長崎市布巻町と平山町のサイクリング道路沿いに見た河津桜とこぶし。河津桜はみのり園奥にもあったらしい。
それに我が家の庭のクリスマスローズ、桜草、トサミズキ、ビオラ。いずれも妻の撮影。
伊能忠敬長崎測量足跡探訪ウォーキング 第2回 2016年2月
伊能忠敬は、文化10年8月19日から9月19日までの1か月に亘って長崎やその周辺を測量しているが、今日、長崎に於いて伊能の足跡を記す史料は極めて乏しい。僅かに『長崎志続編(続長崎実録大成)』に「8月19日、測量御用の為に、天文方高橋作左衛門手附伊能勘解由着。旅宿炉粕町大同庵。9月18日当地出立す」とあるのみである。
…そこで、伊能忠敬の測量日記、遠山景普日記、長崎オランダ商館日記(五)などをもとに、伊能の測量隊が長崎に到着し滞在していた頃の長崎の様子を明かにし、その理由を考察してみることにする。…
2016年2月20日(土)、長崎街道ネットワークの会主催により”伊能忠敬長崎測量足跡探訪ウォーキング 第2回(沿海)”が実施された。元伊能忠敬研究会入江正利氏とみさき道歩会の共催。
午前10時にJR長崎駅かもめ広場に集合、日記等から追跡図のとおり要所を訪ね、新地町市民病院前(運上所跡)で解散した。参加35人。参加料各回1000円は、資料代と伊能顕彰碑に充てる。
1月23日(土)に実施した第1回(市中)、桜馬場天満宮から炉粕町大同庵跡(現立正佼成会長崎教会の地)までの状況は、次を参照。 https://misakimichi.com/archives/5074
前記は、講師の長崎街道ネットワークの会会長江越弘人先生稿「伊能忠敬の長崎測量と長崎奉行」から主旨のみ抜粋。詳しい資料と説明は省き、実施状況を写真によって報告する。
後ろの3枚は、私が帰りに寄った新地湊公園”長崎ランタンフェスティバル”会場の様子。
この項は、本ブログ次なども参照。長崎市観光政策課からは新年度予算がつけば、同地にさるく説明板を設置したいとの回答はあっている。
伊能忠敬長崎測量の止宿は、諏訪神社下の地
https://misakimichi.com/archives/4394
伊能忠敬測量隊本陣・別宿跡などの碑 杵築市杵築
https://misakimichi.com/archives/4909
伊能忠敬の足跡伝承 熱海・伊豆山の老舗旅館に標柱新設 静岡新聞NEWS(2015/12/2)
http://www.at-s.com/news/article/culture/shizuoka/175572.html
野母崎の早咲き河津桜が満開 長崎市野母町
「河津(かわづ)桜」は、長崎県内では北松浦郡佐々町の佐々川下流桜づつみ遊歩道、大村市の国道34号沿い久原公園、西海市・佐世保市の西海橋公園などにあるが、長崎市野母崎地区野母町の河津桜1本も、今満開と聞いて訪ねた。
河津桜は2月〜3月上旬に開花する早咲きの桜。早咲きオオシマザクラ系とヒカンザクラ系の自然交配種と推定されている。野母町のは、2001年に同町の川原泉さんが静岡県の知人から苗を譲り受け、大事に育ててきた(長崎新聞から)ものらしい。
鮮やかなピンクの花に、メジロやヒヨが集まり蜜をなめる。青空のきのうだったら良かったが、きょうは曇り日で写りが悪かった。場所がわかりにくいが、前野母小学校のところから、権現山展望公園へ旧登山道路の狭い車道を上がる。民家が終わりとなるあたりすぐ右手畑上に満開の桜が見える。
このカーブ先を少し登った左下土手にも、椿や河津桜?のような小さい幼木を見た。権現山展望公園の新登山道路と合流するまだ手前である。
静岡県河津町観光協会HPによる「河津桜の概要」は、次のとおり。
河津桜の原木
学名:Prunus lannesiana Wils. cv. Kawazu-zakura カワヅザクラの原木は、伊豆急河津駅から天城山へ向かって1.2kmの地点、河津町田中の飯田氏宅の庭にあります。1999年(平成11年)現在の樹齢約50年、樹高約10m、樹巾約10m、幹周約115cmです。
河津桜の由来
河津桜の原木を、河津町田中の飯田勝美氏(故人)が1955年(昭和30年)頃、偶然発見したさくらの苗を、現在地に植えたものです。1966年(昭和41年)から開花が見られ、1月下旬頃から淡紅色の花が約1ヶ月にわたって咲き続けました。
伊東市に住む勝又光也氏は1968年(昭和43年)頃からこのサクラを増殖し、このサクラの普及に大きく貢献されました。一方、県有用植物園(現農業試験場南伊豆分場)は、賀茂農業改良普及所、下田林業事務所(現伊豆農林事務所)や、河津町等と、この特徴ある早咲きサクラについて調査をし、このサクラは河津町に原木があることから、1974年(昭和49年)にカワヅザクラ(河津桜)と命名され、1975年(昭和50年)には河津町の木に指定されました。
カワヅサクラは早咲きオオシマザクラ系とヒカンザクラ系の自然交配種と推定されています。
河津桜の特徴
落葉高木、樹形は広卵状で樹皮は紫褐色で光沢があり、若枝は褐色、無色。葉は開花後に展開する。成葉は倒卵状楕円形で先は尾状鋭尖形、基部は円形、長さ12.5〜15.0cm、巾6.0〜6.8cmで厚い。縁は単鋸歯だが、重鋸歯が混じり、鋸歯の先は芒状、腺はない。表面は濃緑色、裏面は淡緑色、両面ともに無毛。側脈は約10本。葉柄は長さ2.0〜2.2cmで無毛、上部に一対の蜜腺がある。托葉は長く、分岐多い。(日本サクラの種・品種マニュアル<財>日本花の会)
我が家の庭の草花
この前の思わぬ大雪で、鉢植えなどだいぶん枯らかした。我が家の狭い庭で、今の時季やっと咲きはじめた花は、クリスマスローズだけ。20年ほど前から、妻が種まき・株分けなどして育てている。
まだ寒く外出ネタはなく、暇つぶしに見てもらう。