投稿者「misakimichi」のアーカイブ

肥後民家村  熊本県玉名郡和水町

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肥後民家村  熊本県玉名郡和水町

江田船山古墳公園内の「肥後民家村」。熊本県着地型観光サイト「体験!くまナビ」は、次のとおり。入場無料。
旧境家住宅は、国指定重要文化財(昭和48年2月23日指定)。熊本県玉名郡玉東町原倉にあった民家。建築年代は文政13年(1830年)で、内部には玉名地方の生活用具や農具が展示されている。

肥後民家村(江田船山古墳公園内)

「肥後民家村」は、全国各地に残る古民家を移築した浪漫あふれる広大な村。上杉謙信に仕えた「旧布施家」(豪農屋敷)をはじめ「旧緒方家」(明和2(1765)年)、「旧境家」(文政13(1830)年)など貴重な屋敷が多く、体験工房と古民家ではガラス、木工、陶芸、能面などを手がける職人&アーティストがギャラリーや作業場として利用しています。それぞれ見学や体験できるほか、古民家での宿泊も可能。 
また、敷地内には江田船山古墳、虚空蔵塚古墳(共に国指定重要文化財)など数々の古墳が点在。金銅製冠帽、銅鏡6面、くつわ、大刀など驚くほど貴重な遺品が多数出土しています。…

和水町歴史民俗資料館  熊本県玉名郡和水町

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和水町歴史民俗資料館  熊本県玉名郡和水町

江田船山古墳公園内の「和水町歴史民俗資料館」。和水町HPは、次のとおり。
発掘出土品の記事は、熊本県 HP(地域振興部文化企画課 博物館プロジェクト班)「地域発 ふるさとの自然と文化 江田船山古墳 和水町」を参照。
http://www.pref.kumamoto.jp/site/arinomama/  玉名 史跡・遺跡 2009年11月30日記事。

和水町歴史民俗資料館
〒865-0136 和水町江田302(肥後民家村内) TEL(0968)86-4564
開 館 午前9時〜午後5時 (入館は午後4時30分まで)
休館日 月曜日 ※月曜日が祝日の場合はその翌日
入館料 無料
展示内容
先土器時代から古墳時代までの出土品を時代別に展示。縄文・弥生時代の土器や古墳時代の土師器・須恵器。また、江田船山古墳出土の冠帽・沓・装身具などの国宝のレプリカを展示しています。

江田船山古墳  熊本県玉名郡和水町

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江田船山古墳  熊本県玉名郡和水町

四国の帰り、2012年10月4日に「江田船山古墳公園」へ寄った。公園内の歴史民俗資料館・肥後民家村などは別掲。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。

江田船山古墳
所在地 熊本県玉名郡和水町江田

江田船山古墳(えたふなやまこふん)は、熊本県玉名郡和水町(旧菊水町)に所在する前方後円墳。清原(せいばる)古墳群の中で最古・最大の古墳で、日本最古の本格的記録文書である75文字の銀象嵌(ぎんぞうがん)銘をもつ大刀が出土したことで著名である[1]。国の史跡に指定されている。

概 要
この古墳は、5世紀末から6世紀初頭に築造されたと推測され、墳丘長62メートル[注 1]あり、盾形の周濠をもつ。古墳は1873年(明治6年)以降発掘され[2]、豊富な副葬品が出土している。これらの大部分は東京国立博物館に所蔵され、1965年(昭和40年)に国宝に指定されている[2]。

古墳の周りには、短甲[3]を着けた武人の石人が配置されている。このような古墳の周りに石人・石馬を配置するという独特の型式は、石人山古墳[4]に始まり、6世紀前葉の岩戸山古墳[5]で最盛期を迎え、以後、消滅する。この岩戸山古墳が527〜8年にヤマト王権(継体朝)と闘って敗北した筑紫君磐井の墓であると目されている。江田船山古墳も筑紫君一族の配下に連なって地域の中首長の墓であったことが想像できる。なお、最近の研究では、この古墳の被葬者は3名であると考えられている[1]。

史跡指定
1873年(明治6年)、地元の人物・池田佐十が「夢のお告げ」を受けて古墳を掘ったことが、江田船山古墳出土品発見の端緒となった。明治政府は白川県(現:熊本県)と交渉の上、発掘品を左十から当時の金額90円で買取り、博覧会事務局(現:東京国立博物館)に移した。[1]

整形をなし、しかも特殊な外観を示し、後円部に組合式家形石棺が置かれ、とくに銀象嵌銘の鉄製大刀が出土したところから古代文化を知るきわめて重要な遺跡として1951年(昭和26年)6月9日、国の史跡に指定された。

なお、1975年(昭和50年)に実施された江田台地一帯の確認調査の結果、幅約20メートルの周濠が墳丘をめぐる事実が判明したため、翌1976年(昭和51年)6月30日には、近接する塚坊主古墳および虚空蔵塚古墳が江田船山古墳の附(つけたり)として、国の史跡に追加指定されている。

遊子水荷浦の段畑  愛媛県宇和島市遊子

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遊子水荷浦の段畑  愛媛県宇和島市遊子

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。
「耕して天に至る」段畑の景観。宇和海へ突き出た三浦半島の北岸から、さらに出た蒋淵(こもぶち)半島の中端部に水荷浦はある。
宇和島南IC近くから、県道37号と県道345号により行く。

遊子水荷浦の段畑

遊子水荷浦の段畑(ゆすみずがうらのだんばた)は、愛媛県宇和島市遊子に位置する、急斜面に石垣を積み上げ作られた階段状の畑地である。
2004年(平成16年)の文化財保護法改正により創設された重要文化的景観選定制度により、四国地方で初めて2007年(平成19年)7月26日に重要文化的景観選定基準の「水田・畑地などの農耕に関する景観地」として、遊子水荷浦の段畑、の名称で選定を受けた。

概 要
四国西南地域に位置する愛媛県宇和島市遊子の水荷浦は、三浦半島の北岸から、宇和海及び宇和島湾に向かって分岐する岬の小さい集落である。
岬の急傾斜面には、小さな石を積み上げて形成された雛段状の畑地が形成されている。この畑地を水荷浦では「段畑(だんばた)」と呼んでいる。 この段畑を含む風景は、宇和海沿岸のリアス式海岸で営まれてきた半農半漁のくらしを示す独自の景観を形成している。

現 状
重要文化的景観を守るため、NPO法人「段畑を守ろう会」を中心として多様な活動が行われている。
・ふる里だんだんまつり
4月から5月のうち1日間だけ開催、初掘りジャガイモの即売会をメインにする収穫祭。[1]
・段畑ライトアップ
8月から9月のうち1日間だけ開催される竹とロウソクによる行灯で段畑を照らす夕涼みの会。[1]
・だんだん茶屋・だんだん屋
NPO法人「段畑を守ろう会」が運営する地産地消のレストランと直売所、直売所では段畑で収穫されたジャガイモを原料にしたオリジナル焼酎「段酎」が販売されている。営業時間9時から16時で定休日:月・木曜日 。[1]

(あとがき)
本ブログ2次の四国シリーズは、これで一応、完。八幡浜最終フェリーで別府へ、翌日、熊本県玉名郡和水町の江田船山古墳に寄り、有明フェリーで長崎へ夜、帰った。
徳島・高知の今回の走行距離は、2661km。前回の愛媛・香川は、約2800km。
遍路めぐりだけではない四国4県の魅力と見所を、私のヒマつぶしの観点から満載した。
解説はなるべく理解しやすい資料から引用した。場所説明も地図を掲げず略しているから、四国へ出かける際は、事前研究をくれぐれもお願いしたい。

須ノ川公園  愛媛県南宇和郡愛南町

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須ノ川公園  愛媛県南宇和郡愛南町

国道56号宿毛街道沿い。愛南町HP観光スポットによる説明は、次のとおり。
5枚目写真は、鳥越トンネル上方の小岩道林道途中から。

須ノ川公園

足摺宇和海国立公園内にある「日本の渚100選」に選ばれた須ノ川海岸。海岸は玉の浜石が特徴で、沖を望むと真珠貝の養殖イカダがまるでじゅうたんのように広がっています。
約1キロメートル続く、海岸沿いに植林されたウバメガシ林は青く澄んだ美しい海と見事に調和しています。そして、美しい海の中を覗けば、さらに美しいサンゴが…。
毎年夏になると親子連れや若者のグループがキャンプや海水浴に訪れる須ノ川公園。ここ須ノ川公園ではそんな美しい海を堪能できるシュノーケリングや、初心者の方でも安心してシーカヤックも体験できます。
なお、公園内には売店のほか、シャワー設備(有料)、テントサイトなども完備!すぐ近くのグリーンパークすのかわでオートキャンプをするもよし、同じくすぐ近くの「ゆらり内海」で潮湯に浸かり、レストランで愛南町の特産品を味わうもよし。…

柏  島  高知県幡多郡大月町

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柏  島  高知県幡多郡大月町

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。
大月町から県道43号で行く。島内へ入らず史跡「柏島石堤」は見忘れ。大堂海岸方面は通行止めだった。

柏  島

柏島(かしわじま)は、高知県幡多郡大月町にある島である。足摺宇和海国立公園に指定されている。

概 要
宿毛湾の南に突き出た大月半島の先端に位置し、2本の橋で半島と繋がっている。柏島橋は
1967年(昭和42年)に、新柏島大橋は1993年(平成5年)に、それぞれ竣工した。自動車、バイクなどで直接行ける場所としては高知県最西である。

島の大半は丘陵で北東に向かってなだらかに傾斜している。北東の平坦部に集落があり、漁港もここにある。南側が最も高く山上に柏島灯台があり、南岸から南西岸にかけては断崖となっている。

豊後水道と太平洋の境にあり、黒潮の流入で周囲の海は温暖である。このため1,000種類近い魚種が確認でき、島の北部にはテーブルサンゴなどの珊瑚礁がある。スキューバダイビング、釣りなどのレジャーで賑わう。島の東側と半島で囲まれた入り江では鯛の養殖が行われている。松竹映画・釣りバカ日誌14 お遍路大パニック!(2003年(平成15年)公開)のロケ地となった。

柏島石堤
柏島石堤は、江戸時代初期、土佐藩執政の野中兼山によって慶安 – 寛文年間(1648年 – 1673年)の26年間にわたり建造された防波堤である。島の北、東、南の3面に馬蹄状に築いた。規模は、長さ690m(6町20間)、高さ3m(1間4尺)、幅1.8m(1間)。 これにより、波浪が激しく漁業に不向きであった島を土佐西部有数の好漁場に変え、島民の生活安定が図られた。高知県文化財(記念物・史跡)に指定されている。

更に島の南岸と半島側の間に、長さ272m(2町30間)、高さ2.7m(1間半)の突堤を築いて砂を敷き浅瀬を造って漁場とした。現在、この突堤の上には防波堤が築かれている。

観 音 岩  高知県幡多郡大月町

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観 音 岩  高知県幡多郡大月町

大月町から県道43号柏島ニツ石線で行く。柏島の手前。展望所まで徒歩5分。
大月町HP観光案内は、次のとおり。

観 音 岩

紺碧の大海原にそびえたつ、観音様そっくりの姿をした30mの岩。寛永15年(1638年)、島原の乱鎮圧団の慰問使雨ノ森九太夫は帰途、傷が悪化、一条の光を頼りに寄港した柏島で息を引き取った。その際に光芒を発したと言われています。まさに聖域を思わせるこの観音岩は、その昔沖を航行する船に一条の明かりを送ったという伝説があります。

竜串海岸  高知県土佐清水市竜串

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竜串海岸  高知県土佐清水市竜串

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。

竜 串

竜串(たつくし)は高知県西部の足摺岬近辺にある奇勝。竜串海岸ともいい、土佐清水市にある。狭義では竜串のみを指し、広義では周辺の見残し海岸を含める一帯を指す。いずれも足摺宇和海国立公園に属する。
なお、名の由来は不明であり、竜を串刺したような景観から名付けられた説やアイヌ語に因む説、臥竜山の竜臥(たつふし)が転訛した説、など諸説が立てられている。

竜串の見所
竜串海岸
竜串の一帯は砂岩と泥岩の層が互いになっており、その層が波食、風食を受け形成されたもの。中でも一直線上に、丸みを帯びた節理が見られる大竹小竹は竜串を象徴する代表的なものである。他にしぼり幕、欄間石、蛙の千匹連れ、千畳敷などの名所がある。

見残し海岸
竜串から千尋岬を南下したところにある海岸。見残しという地名は弘法大師がこの景勝地を見残したことに因むと言われる。竜串層といわれる地層から成っており、砂岩、泥岩が長年の波食、風食作用によって岩肌に無数の襞と甌穴を生み出しているのが特徴。屏風岩がよく知られるほか、博打岩、人魚御殿などの見所がある。

自 然
この竜串・見残し一帯は化石の宝庫でもあり、貝類を始め、パイプと呼ばれる生痕化石が多く見られる。他に波食による漣痕も多く確認できる。

竜串海中公園
周辺の海域は竜串海中公園に指定されており、水中展望塔が設けられている。温暖なために珊瑚が棲息しているが、近年は海洋の汚染や白化現象などにより、個体数が激減、保存運動を呼びかけている。
また、入り江を利用して真珠貝の養殖も行われている。

落窪海岸の化石漣痕  高知県土佐清水市下益野

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落窪海岸の化石漣痕  高知県土佐清水市下益野

国道321号足摺サニーロード、土佐清水市下益野の落窪海岸。現地説明板は、次のとおり。

足摺宇和海国立公園  化石漣痕  −土佐清水市 落窪海岸ー

化石漣痕は波や水流の影響で水中の堆積物の表面につくられた凹凸が、そのまま地層面に残されたものをいい、昭和21年の南海道地震で隆起した落窪海岸から爪白海岸にかけての海食台(新第三系中新統の地層)に豊富に見ることができます。特に千尋岬(ちひろみさき)、竜串(たつくし)を中心とする地域の化石漣痕は、昭和28年11月、国の天然記念物に指定されており、地質学の研究を行ううえで貴重なものです。また、すぐれた自然景観を有する足摺宇和海国立公園の代表的景観となっています。…
平成6年8月   環境庁・高知県

松尾のアコウ自生地  高知県土佐清水市松尾

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松尾のアコウ自生地  高知県土佐清水市松尾

県道27号(足摺岬公園線)から松尾漁港へ下る途中の松尾天満宮にある。高知県HP「高知の文化財」による解説は、次のとおり。
現地訪問を忘れたため、画像は高知県から提供を受けた。

松尾のアコウ自生地

名称ふりがな まつおのあこうじせいち
指定等 国指定 記念物(天然記念物)  指定年月日 : 大正10年 3月 3日
所在地・所有者 高知県土佐清水市松尾 松尾天満宮境内 ・ 松尾部落
解 説         
松尾天満宮の境内に3株の大きなアコウがある。
そのうちの1本は、気根がイスノキに巻きついているが、アコウ、イスノキとも健在である。他の2本のうちの1本は、巻きつかれた木が枯死してしまって、アコウの木が空洞をつくった形になっている。
最大のものは、胸高周囲約9m、樹高約25mに達する巨樹である。
アコウは一応亜熱帯植物といわれているが、高知県の室戸岬や足摺岬周辺の海岸では所々で生育している。
アコウはその特異は気根の形態から、タコノキと呼ばれたり、また榕樹と書かれることもあるが、これらはいずれもアコウとは別の植物である。