投稿者「misakimichi」のアーカイブ

溝ノ口洞穴  曽於市財部町大塚原

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溝ノ口洞穴  曽於市財部町大塚原

鹿児島県教育委員会HPの「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。

溝ノ口洞穴
【所在地】曽於市財部町大塚原
【種 別】県指定天然記念物
【指定年月日】昭和 30 年1月 14 日

溝ノ口洞穴は都城市と接する山地を取り巻く狭い台地の末端部分にあり,入口の広さ 13.8m,高さ 8.6m,全長 224m の大規模な洞穴である。内部の幅の広い部分は 40m,狭い部分は 15m で,天井はアーチ型になっている。
洞穴は約2万5千年前に姶良カルデラから噴出した大隅降下軽石層と,シラス(入戸火砕流堆積物)の溶結した溶結凝灰岩の中に形成されている。雨水がシラスと降下軽石層の間にしみ込み,シラスや軽石を外に運び去って,徐々に空洞が拡大され,現在見られるような大きさになった。
シラスに関係したこのような洞穴は県内各地にあるが,溝ノ口洞穴は規模が大きく,落盤等による影響も少なく貴重である。
また,溝ノ口洞穴には縄文時代人の生活跡もあり,当時の生活を知る上でも重要である。

〈参考〉
溝ノ口洞穴内部は,入口から 60m 付近までは北 40 °西方向へのび,その後 120m 付近までは北方向へのびている。続いて西方向へのび 170m 付近まで進むと,再び北 40 °西方向となる。200m 付近には棚膳と呼ばれる平坦な所がある。
入口の岩肌には仏像が刻まれ,岩穴観音像が建立されている。

鹿児島県のアーチ式石橋 溝ノ口水路橋  曽於市財部町下財部

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鹿児島県のアーチ式石橋 溝ノ口水路橋  曽於市財部町下財部

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」鹿児島県の石橋によるデータは、次のとおり。

№4,223  溝ノ口水路橋

曽於市財部町下財部
橋幅:1.2m  径間:3.4m  拱矢:1.4m  環厚:33cm

(2009年)4月18日「日本の石橋を守る会」大会時、鹿児島の木原安す子さんから情報を頂きました。
この道路は溝ノ口岩穴に通じており、約5年前に訪れていますが、当時眼力がなかったのか、チェックしませんでした。
写真左に上部が少し見えています。

三連轟の滝  曽於市財部町下財部

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三連轟の滝  曽於市財部町下財部

曽於市観光協会サイト「そおナビ」による説明は、次のとおり。滝の上部は、九州電力の発電所取水路だった。

三連轟の滝  

「堅く固まった凝灰岩が溝ノ口川の水によって削られて段差ができた」とされる三連轟。
三つの滝の水の香りと大自然の中の風に囲まれ、身も心も癒されます☆
堅く固まった凝灰岩が溝ノ口川の水により削られて段差ができたもので、この上流にある三連轟や甌穴群、下流にある関之尾滝も同じ溶結凝灰岩でできています。
※加久藤火砕流堆積物:現在のえびの市を中心とするカルデラがおよそ34万年前に破局的噴火をおこし、そのときに発生した火砕流が溜まったもの。
関之尾滝(都城市)、須木の滝(小林市)、曽木の滝(伊佐市)なども同じ堆積物です。
※溶結凝灰岩:火砕流堆積物などが温度と圧力により固まったもの。

志布志の大クス  志布志市志布志町安楽

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志布志の大クス  志布志市志布志町安楽

鹿児島県教育委員会HPの「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。

志布志の大クス
【所 在 地】志布志市志布志町安楽 1519 − 2
【種  別】国指定天然記念物
【指定年月日】昭和 16 年 11 月 13 日

志布志町安楽の山宮神社境内の入口右側に,「蒲生のクス」や「塚崎のクス」と並ぶ大きなクスノキがある。樹高 22.0m,目通し周囲 18.6m,根廻り 24.3m で,推定樹齢は約 1,200年といわれる県下を代表するクスノキである。クスノキの基部には大きな空洞があり,根の一部には枯死部分も見られるが,土盛りや枝の支柱の設置など保護の手も加えられ,樹勢は良好である。
樹幹には,ハゼノキ,カクレミノ,ネズミモチ,トベラ等種子植物とシダ植物合わせて 18 科 24 種の着生植物が確認されており,蘚苔類も多く着生している。地上4 m ほどのところで6本の大枝に分かれ,東西約 43m,南北約 33m にわたって樹冠を広げ,樹形の良いことで知られている。
山宮神社の祭神は天智天皇などで,天智天皇行幸の際のお手植えのクスと伝えられる場所に,元明天皇により和銅2(709)年創建されたといわれる。山宮神社の名に改名されたのは明治になってからで,神事として春祭りの「カギヒキ,正月踊」(県指定無形民俗文化財)が有名である。

夏井海岸の火砕流堆積物  志布志市志布志町夏井

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夏井海岸の火砕流堆積物  志布志市志布志町夏井

鹿児島県教育委員会HPの「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。

夏井海岸の火砕流堆積物
【所 在 地】志布志市志布志町夏井字前田、字赤丸、字三ツ堀
【種  別】国指定天然記念物(地質)
【指定年月日】昭和24年6月8日

鹿児島県の地表の半分以上は、シラスとよばれる火砕流堆積物に覆われた台地からなり、鹿児島の風土を語る上で欠かせない要素となっている。鹿児島県志布志市夏井海岸沿いの崖には、このシラス台地を構成する入戸火砕流が典型的に分布するとともに、入戸火砕流の堆積以前に堆積していた日南層群、阿多鳥浜火砕流、夏井層、阿多火砕流などシラス台地の形成の歴史を辿る地層がそろっている。
なかでも入戸火砕流は、今から2.2〜2.5万年前、現在の鹿児島湾北部の姶良カルデラから噴出した火砕流で、南九州一帯に分布しており、火山国日本でも有数の巨大カルデラ噴火の堆積物である。同時期に噴出した火山灰はAT火山灰として知られ、遠く北海道でも確認されている。この噴火の際の噴出物総量は450立方kmに達し、平成2年から7年にかけて噴出した雲仙普賢岳の0.25立方kmをはるかにしのぐ。
志布志市夏井の海岸には、この入戸火砕流堆積物が典型的に露出する。歴史的にも石材として利用されるなど、南九州の歴史を辿る上で欠かせない火砕流堆積物として極めて重要である。

塚崎のクス  肝付町野崎字大塚

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塚崎のクス  肝付町野崎字大塚

鹿児島県教育委員会HPの「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。

塚崎のクス
【所 在 地】肝属郡肝付町野崎字大塚 2238
【種別】国指定天然記念物
【指定年月日】昭和 15 年2月 10 日

クスノキはクスノキ科の常緑高木で,材質に優れ,また材から樟脳が取れるので古くから植えられ,利用されてきた。日本では本州,四国,九州の暖地に生育しているが,野生のものであるかははっきりしない。
塚崎のクスは,鹿児島県では「蒲生のクス」,「志布志の大クス」に次いで大きなもので,目通り周囲 14m,高さ約 25m,推定樹齢 1,200 〜 1,300 年以上といわれ,塚崎古墳1号墳の上に生えている。現在も樹勢は盛んで,オオタニワタリやハゼノキなどの植物が 50種類以上も着生している。根元から地下にかけて大きな空洞があり,大蛇がすむという言い伝えや,大戦争が勃発する直前に枝が折れて知らせるという伝説も残っている。
所在地の大塚神社は,島津忠久(1179 〜 1227 年)が,薩摩,大隅,日向の守護職に補される際,家臣を薩摩に先行させ,武蔵国秩父権現大菩薩を島津家の守護神として勧請したといわれる。このクスノキは,その当時からの神木といわれ,今なお崇敬を受けている。

塚崎古墳群  肝付町野崎

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塚崎古墳群  肝付町野崎

鹿児島県教育委員会HPの「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。

塚崎古墳群
【所 在 地】肝属郡肝付町野崎 2238 他
【種別】国指定史跡
【指定年月日】昭和 20 年2月 22 日

高山町市街地から波見方面にいたる県道を約 2.3kmほど行った畑の中に点在する古墳群である。
古墳群は,塚崎と花牟礼の両地区にまたがり,前方後円墳4基,円墳 39 基の合計 43 基で構成される。最大のものは第 40 号の前方後円墳で,全長 66.5m,後円部の高さ9 m,墳丘には葺石が認められる。円墳で最大のものは第 43 号墳で,直径40m,高さ 6.5m である。また,第1号墳は直径 15m,高さ 3.3m の円墳で,墳丘のクスの大木は,国の天然記念物に指定されている。
畑の中の古墳の中には,永年の耕作などによって周囲が削り取られて方墳のようになったものがあるが,もともとは円墳である。この付近には,吾平・高山地方に多く分布する地下式横穴墓も点在しており,塚崎古墳群内だけでも 10 基程度あるといわれる。北薩地方に見られる地下式板石積石室墓などとは全く異なった形式で,明らかに異なる文化圏に属している。
塚崎古墳群は古墳時代前期・中期・後期の各時期を網羅しているといわれている。古墳時代は,3世紀後半から7世紀までである。しかし,南九州の畿内型の古墳は大和地方からすると約1世紀のずれがあり,南九州の前期の古墳は5世紀頃のものといわれている。
古墳は高塚古墳(墳丘をもつもの)と地下式古墳に大別され,高塚古墳は形状により,前方後円墳,前方後方墳,円墳,方墳,上円下方墳,その他に分けられる。南九州では前方後円墳と円墳だけが分布している。

二階堂家住宅おもてなかえ  肝付町大字新富

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二階堂家住宅おもてなかえ  肝付町大字新富

鹿児島県教育委員会HPの「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。

二階堂家住宅おもてなかえ
【所 在 地】肝属郡肝付町大字新富 5595
【種別】国指定有形文化財(建造物)
【指定年月日】昭和 50 年6月 23 日

一部変形はあるが典型的な二棟造りの家といえよう。建築年代ははっきりしないが同家の伝えによると文化7(1810)年ごろ建てられたとのことである。「なかえ」の一棟はその後,建てなおしたものという。
特徴としては茅葺きであること,「おもて」の縁側は南面して棟は東西に,「なかえ」の棟は南北にと,直角に交った雁行型に配し,樋で接した寄棟造りであることがあげられる。「おもて」の間取りは「とこん間」8畳,「おもてな」15畳,「なんど」4畳で外縁側,「おもて座敷」は「なかえ」より 18cm高く,庇は竹葺きである。
門は元文5(1740)年造立の記録があるとのこと。美しいカヤ屋根,風格ある武家門などとともに江戸時代郷士の住居のおもかげをよく残している。

岩渕上の隧道  肝付町新富神之市

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岩渕上の隧道  肝付町新富神之市

肝付町HPの「町指定文化財」による説明は、次のとおり。

岩渕上の隧道(昭和59年8月23日指定)

肝付町新富神之市、二階堂屋敷の西側を流れる用水路に隧道があります。
江戸時代初期、米作りの振興増産が奨励され、第19代島津光久(みつひさ)の命により、治水工事、新田開発、地籍などの農政に力が注がれました。
高山郷の地頭に宮之城島津家第4代図書久通(ずしよひさみち)が任命され、高山用水路や用水池を完成させ、新富、野崎の両村にわたり、高2000石の開田を成し遂げました。工事は、寛文元年(1661年)に起工、寛文
11年(1671年)に完成しました。

完成までにおよそ10年の歳月を要した大工事で、永山井手の取入れ口から池之園に至る約10キロメートルの予定地には、ところどころに堅い岩盤があり、工事は困難を極めたといいます。
第一次産業が盛んな肝付町にとって、その基礎を築いた工事であったと言っても過言ではありません。
岩渕上の随道の近くに「高山新溝記」(寛文11年建立)の石碑があります。

関連リンク:
湛水院の供養塔(平成22年3月16日町指定)  (宮之城島津家第4代図書久通の供養塔)

近くにある「高山新溝記」(寛文11年建立)の石碑は、本ブログ次を参照。
https://misakimichi.com/archives/4234

内之浦宇宙空間観測所(2 宇宙科学資料館分)  肝付町南方

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内之浦宇宙空間観測所(2 宇宙科学資料館分)  肝付町南方

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。(2)は、主な施設の「宇宙科学資料館」展示品を掲げる。

内之浦宇宙空間観測所

内之浦宇宙空間観測所(うちのうらうちゅうくうかんかんそくしょ、Uchinoura Space Center 、略称USC)は、日本の宇宙空間観測施設・ロケット打ち上げ施設である。世界でも珍しい山地に立つロケット発射場である。
2007年にDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれた。

主な概要
内之浦宇宙空間観測所は、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の施設の一つで、科学観測用衛星の打ち上げと追跡・管制を行っている。日本国内のロケット打ち上げ施設としては種子島宇宙センターと並ぶ存在である。立地条件が、市街地から離れ、物資輸送が便利で、東側が開け、国内で地表の自転速度が速い地域ということで、種子島とともに選ばれた。

前身は文部省宇宙科学研究所(ISAS)付属の鹿児島宇宙空間観測所で、JAXA統合後に現在の名称に改められた。秋田ロケット実験場に続く日本で2番目のロケット打ち上げ施設として1962年に起工され、1963年12月9日に開所された。旧名称の英略はKSCでケネディ宇宙センターと同じであった。しかし、命名はこちらの方が先であるという経緯もあり、かつては元祖KSCを名乗っていた。

日本最初の人工衛星である「おおすみ」(内之浦のある大隅半島にちなんで名づけられた)の打ち上げなど、ISASが独自に開発した固体燃料ロケットであるカッパ、ラムダ、ミューなどを用いての宇宙観測や技術試験、天文観測衛星・惑星探査機の打ち上げ、また、それらの追跡・管制を行っている。

内之浦では大型ロケットの打ち上げとしては世界的に珍しい傾斜発射を行うことを特徴としていた。これは、ロケットを早く海上に放出することで、万一事故が発生した場合の被害を少なくするためである。この傾斜発射台はイプシロンロケットでは不要な為、通常の垂直発射台に改造された。

主なロケット打ち上げ実績
・カッパロケット – K-8, K-9M, K-10 他 全100機以上
・ラムダロケット – L-2, L-3, L-4S, 他 全25機
・ミューロケット – M-4S, M-3SII, M-V 他 全32機
・イプシロンロケット – 1機
・観測ロケット等の多種多様な小型ロケット 全200機以上
計約400機が打ち上げられている。

主な施設
・Mセンター(ミューセンター)
・KSセンター
・打ち上げ管制センター
・レーダーセンター
・テレメーターセンター
・10メートルアンテナ
・20メートルアンテナ
・34メートルアンテナ
・宇宙科学資料館
ロケットや科学衛星、科学機器のモデルなどが展示されている。開館時間 08:30〜16:30、原則として年中無休、入館料無料。

所在地
鹿児島県肝属郡肝付町南方1791-13  三州自動車内之浦バス停からタクシーで約5分