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武功山から烽火山・日見峠へ  平成23年5月

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武功山から烽火山・日見峠へ  平成23年5月

平成23年5月15日(日)快晴。武功山から烽火山(標高426m)・日見峠へ。参加15人。みさき道歩会の例会。きょうの目的は、烽火山頂の亀石下にある宮さんが見つけた石の刻字調べと、本河内高部ダムのまぼろしの石橋をあわよくば皆なで見る。
中川八幡神社9時30分発ー武功山ー烽火山11時38分着(昼食)ー中尾峠ー日見トンネル西口ー蛍茶屋14時53分着(徒歩距離 約10km)

中川八幡神社境内内から鳴滝不動堂を通り、武功山の尾根へ上がる。大荷床から烽火山頂までもかなりの登りが続き、烽火山かま跡11時38分着。12時10分まで広場で昼食。
亀石下にある石の刻字は、苔をはがすと「多久志与?」の4字のみ。太田南畝石の近くにも
「1919」の刻字がある石を見つけた。イタズラ書きにしては手が込み、解明をお願いしたい。

午後は楽なコース。木場峠の分岐から右へ入り、日見峠方面へ向かう。植林内の平坦な尾根道。中尾峠13時05分着。この峠を越えて新大工町に青果業を開いた「徳永又吉之像」がある。
日見峠上まで行くつもりだったが、途中から日見トンネル西口へ直接下る。ここにも小さな石橋がある。

長崎街道を下り蛍橋から対岸へ渡って、本河内高部ダムのまぼろしの石橋を見に行く。G・W中は渇水でだいぶん見えていたが、その後の雨で水位が上がり、もう見えなくなっていた。代わりに一の瀬橋を見て、蛍茶屋電停14時53分着解散。
まぼろしの石橋4月30日は、https://misakimichi.com/archives/2683
宮さんの参加記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/27815719.html

長崎の古写真考 目録番号:3842 茂木街道の水車小屋

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3842 茂木街道の水車小屋

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:3842 茂木街道の水車小屋
〔画像解説〕
明治末年に撮影された茂木街道道中の水車小屋。旅人はこの場所で休息したようで、明治初期にも同じ場所での水車小屋の写真が残されている。写されている人物は子供の行水のようである。明治初期の水車と比べると、轍が大きく改良されている。

目録番号: 365 茂木街道(1)
〔画像解説〕
茂木街道は長崎から茂木への街道。写真はこの街道途中にある田上を撮影。田上はこの街道の峠になり、街道の要所であった。

■ 確認結果

目録番号:3842「茂木街道の水車小屋」は、次の目録番号: 365「茂木街道(1)」と同じ場所の水車小屋を、明治末期になって撮影した写真である。建物が変わっているが、黄囲線の部分。水車小屋のすぐ側に下って写している。
明治初期にも同じ場所での水車小屋の写真が残されているという作品を、目録番号: 365「茂木街道(1)」とすると、水車の轍は、撮影の高度差があるため、同じ大きさか、かえって小さくなったように感じる。

目録番号: 365「茂木街道(1)」の作品は、次の記事を参照。新しくわかった古写真もある。
https://misakimichi.com/archives/1521
https://misakimichi.com/archives/1835
https://misakimichi.com/archives/2210
この場所の水車小屋は、誤解が多いため再掲した。茂木街道の明治新道(旧県道)は、2枚目古写真の右外山腹を通る。水車小屋は道途中ではない。谷間へわざわざ下る。
上から眺めるのは良いが、休息所としてはあまり考えられない。左方に街道の道のように見えるのは、実は畑の端や水路なのである。

長崎外の古写真考 目録番号:6778 軽業師(2)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:6778 軽業師(2)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:6778 軽業師(2)

■ 確認結果

目録番号:6778「軽業師(2)」は、古写真.jp: 幕末明治時代 日本古写真 販売のHPでは、「曲芸師」のタイトルで、〔撮影者:スチルフリード〕、〔年代:明治10年頃〕となっている。

長崎外の古写真考 目録番号:6694 九段坂と燈明台(3)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:6694 九段坂と燈明台(3)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:6694 九段坂と燈明台(3)

目録番号: 244 九段坂と燈明台(1)
〔画像解説〕
神田方面から皇居内濠に沿って麹町の大地にあがる急勾配の坂。関東大震災後道路改正行事で緩くなった。明治4年に東京湾の漁船の目印にと燈明台が建てられた。遠景に望まれる丸天井の建物は駿河台のニコライ堂である。

■ 確認結果

目録番号:6694「九段坂と燈明台(3)」は、次の目録番号: 244「九段坂と燈明台(1)」と同じ写真である。〔撮影者:小川一真〕となろう。

長崎外の古写真考 目録番号:6589 東海道 栢原

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:6589 東海道 栢原

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:6589 東海道 栢原

■ 確認結果

目録番号:6589「東海道 栢原」は、〔撮影地域:静岡〕である。地名の「栢原」は、現在の富士市「柏原」で良いのではないか。

長崎外の古写真考 目録番号:6495 浦カスミ

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:6495 浦カスミ

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:6495 浦カスミ

■ 確認結果

目録番号:6495「浦カスミ」のタイトルの意味がわからない。〔撮影地域:東京〕とすると、「霞ヶ関」のどこか官庁前の風景ではないだろうか。

この外、わからない漢字をカタカナ書きなどしているタイトル作品が次のとおりある。
目録番号: 222 静  岡 薩?峠と富士山
峠名は「薩埵峠」(さつたとうげ)。  https://misakimichi.com/archives/2361
目録番号:5031 横  浜 横浜ばつ町の通りと群衆
目録番号:6207 横  浜 横浜本村ガードハウス
目録番号:6534 東  京 深川神ソウ地
目録番号:6601 神奈川 相模大山ライ山

長崎外の古写真考 目録番号:6024 中国の幼児 ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:6024 中国の幼児 ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:6024 中国の幼児

目録番号:6026 京劇の女優

■ 確認結果

目録番号:6024「中国の幼児」と目録番号:6026「京劇の女優」は、整理番号の続きの作品から、〔撮影地域:中国〕と考えて良いのではないか。

長崎外の古写真考 目録番号:6001 ロシアの軍艦

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:6001 ロシアの軍艦

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:6001 ロシアの軍艦

■ 確認結果

目録番号:6001「ロシアの軍艦」は、写真下の英文にあるとおり、艦名は「ASKOLD」、撮影地は「FROM PORT ARTHUR」、すなわち、英語表記で「旅順港」のことと思われる。

遼東半島の中国北東部の主要な港。アヘン戦争時、イギリス海軍のアーサー中尉指揮するフリゲートが寄港したことで、ポート・アーサー(Port Arthur, Порт-Артур)の名称が欧米に知られるようになった。(ウィキペディア)

旅順港は次の記事も参照。 https://misakimichi.com/archives/2550

長崎外の古写真考 目録番号:5970 富士山(2)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:5970 富士山(2)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:5970 富士山(2)

目録番号:5037 河口湖からの富士山
〔画像解説〕
山梨県富士河口湖町所在の河口湖畔から富士山を望んだ写真である。写真の湖面に富士山が逆さに映るため、「逆さ富士」の光景を収める目的で撮影されたものであろう。河口湖東北端に位置する産屋ヶ崎周辺から湖面に浮かぶ帆掛け船とともに富士山方向を望み撮影されたものであろう。

■ 確認結果

目録番号:5970「富士山(2)」は、次の目録番号:5037「河口湖からの富士山」のとおり、山梨県河口湖から撮影した富士山であろう。
富士山の姿や、特に雪渓の形がまったく同じだろう。

東京都小笠原諸島の陸軍省「父島要塞第二地帯標」

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東京都小笠原諸島の陸軍省「父島要塞第二地帯標」

これも佐世保市住まい、陸軍省要塞地帯標や海軍省軍港境域標の標石探しと研究をされている高橋輝吉氏から寄せられた資料である。高橋氏は佐世保のみならず、全国へも出かけ、これら標石の調査をされ、数多くの標石を見つけられている。
本文は、東京都小笠原諸島の陸軍省「「父島要塞第二地帯標」の記録である。2007年(平成
19年)頃、地元に依頼し調査されたよう。以前に写真はもらっていた。高橋氏が当時、わざわざ父島まで出かけたかと思っていたが、そうではなかった。

高橋輝吉氏稿  東京都小笠原諸島の陸軍省「父島要塞第二地帯標」

東京都小笠原諸島の「父島」は、軍事本などによりますと、グアム・サイパン・硫黄島など南方方面に行く艦隊の基地でした。要塞地帯標の標石が必ず有ると思い、父島の郷土史家の方へ電話により問い合せると、「そんな標石は有りません」と初めは疑ったようでした。
「本などによりますと、父島には陸・海軍が艦持ちにて、多くの兵科が父島を要塞化しています。港の見える所などに標石は有ります…」。こちらからいろいろな資料を送り、やっと解かってもらえました。

世界遺産のことが有ったのかなー。戦いが長くなれば第二の硫黄島?になった島。1ヶ月位しますと、小笠原国立公園父島「中山峠」の写真と書類が送られてきました。先方は、何分不慣れなため、標石の近接写真がありませんでしたが、「S.M」と「昭和十六年一月十日」は読めます。
もう4年ほど前の話です、父島の方からの書類をどこにしまったたかわからず、やっと2、3日前見つけました。参考のため写真・資料を送ります。