月別アーカイブ: 2015年9月

佐敷峠を貫く佐敷隧道(国道3号旧道)  芦北町白岩 ( 熊本県 )

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佐敷峠を貫く佐敷隧道(国道3号旧道)  芦北町白岩

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。県道27号肥薩おれんじ鉄道佐敷高架橋を下ったすぐ先から船津橋へ左折、橋を渡った三叉路中央が国道3号旧道であり、佐敷隧道へ向かう。

佐敷太郎峠

佐敷太郎峠(さしきたろうとうげ)は、熊本県葦北郡芦北町大字海浦と熊本県葦北郡芦北町大字花岡を結ぶ国道3号の峠である。津奈木太郎峠と赤松太郎峠とともに三太郎峠と呼ばれている。薩摩街道時代からの難所の一つであった
沿革
1900年代前半 – 佐敷隧道完成
1965年(昭和40年) – 佐敷トンネル完成
2009年(平成21年) – 南九州西回り自動車道田浦IC – 芦北IC間開通に伴い新佐敷トンネル供用開始。
交通
国道3号 : 海浦駅付近から佐敷側の山裾までを旧道をショートカットするように佐敷トンネルが通っている。
国道3号旧道 : 山頂部を佐敷隧道で越える。
肥薩おれんじ鉄道線 : 海浦駅 – 佐敷駅間の単線トンネル。
南九州西回り自動車道 : 田浦IC – 芦北IC間を新佐敷トンネルで佐敷太郎峠を越える。

船津の井戸  芦北町道川内 ( 熊本県 )

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船津の井戸  芦北町道川内

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。県道27号の肥薩おれんじ鉄道佐敷高架橋を下ったすぐ先から船津橋へ左折。佐敷小学校正門前まで行く。北側へ入る路地奥に船津の井戸がある。

船津の井戸 ふなつ
(葦北)芦北町 石井戸 江戸期 町教委 井戸端も切石敷 2 C

境 橋  出水市境町 ( 鹿児島県 )

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境 橋  出水市境町

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」鹿児島県の石橋によるデータは、次のとおり。国道3号の水俣市・出水市境に現在の境川橋があり、水俣側橋脇から東南へ境川の肥薩おれんじ鉄道鉄橋下まで行くと、上流の薩摩街道に境橋が架かる。

№1,453 境 橋

出水市境町-水俣市大字袋字神川
境川
橋長:13.5m  橋幅:4.9m  径間:11.3m  拱矢:3.4m
架設:明治16年(1883)
国道3号線、水俣市・出水市境から120m南を左折、200m先JRの高架下に薩摩街道の標柱がありますので、線路に沿って北東へ130mの境川に架かっています。
(境橋の北詰の道路は、境川右岸沿いに国道3号線へ出ます)

史跡 境橋
「野間の関を通ってこの境川を越えると、肥後の国になります。
薩摩藩主の参勤交代の主要道路でしたが、藩境であるため、防衛の必要から橋はありませんでした。
この橋は、明治十六年(1883)肥後の石工によって建造されました。
アーチ型一連の石橋です。
鉄道や国道三号の開通までは肥薩交流の接点として、多くの人々が往来したことでしょう。
今、静かに時の流れの中にあります。」
出水市教育委員会 平成十七年二日

日本一のお地蔵様  出水市麓町 ( 鹿児島県 )

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日本一のお地蔵様  出水市麓町

出水市HPの「観光地紹介」による説明は、次のとおり。出水市麓町の八坂神社境内にある。

■ 日本一のお地蔵様

日本一のお地蔵様 大正14年、真言宗の僧侶斑目仏師によって建立された地蔵尊です。一刀彫りでは”日本一”。台座まで含めると高さ4.15mあります。交通安全、無病息災、子育てや延命などの御利益があるとされています。出水市麓町の八坂神社境内にあります。

出水麓武家屋敷群  出水市麓町ほか ( 鹿児島県 )

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出水麓武家屋敷群  出水市麓町ほか

出水市HPの「歴史探訪」による説明は、次のとおり。出水麓武家屋敷群マップは、次を参照。
http://www.city.izumi.kagoshima.jp/izumi05/02rekisi/01bukeyashiki_02.asp
写真は、武宮邸・竹添邸・税所邸(以上は一般公開)、出水小学校御仮屋門、宮部邸の順。

武家屋敷(出水麓伝統的建造物群保存地区)

いにしえの鼓動が聞こえる。歴史に文化に、時をこえた浪漫はあの時代を見事なまでに残し今に、伝える。日本有数の武家屋敷群へようこそ

出水市の麓町を中心とした住宅地一帯は、平成7年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
出水麓は、出水郷に赴任する薩摩藩士の住宅兼陣地として、中世山城である出水城の麓の丘陵地帯を整地して作られたところです。その整地には、関ケ原の戦いの前年(1599年)、本田正親が初代地頭に着任してから、3代地頭の山田昌巖の治世下まで、約30年かかりました。出水麓は、薩摩藩内で最も規模が大きく、藩内のほかの麓は、出水に倣ったといわれています。

出水は、肥後(現在の熊本県)と薩摩の国境の町として、藩の防衛上重要な町であることと、一国一城制度下の薩摩藩の外城制度(島津氏による、藩体制強化のための政治制度)により、出水には数多くの薩摩藩士を郷士として住み着かせ、藩境の防衛の任に当たらせました。武家屋敷とそのまち並みは、当時からの薩摩藩士の気風を今に伝えるかのように、整然とした趣と閑静な佇まいを感じさせます。

国の重要伝統的建造物保存地区に選ばれたこの地区は、面積約44ヘクタールの広さを有し、県指定文化財である、出水御仮屋門をはじめ、武家門・石垣・生垣や竹添屋敷など4軒の建築物があるほか、伝統的建造物として特定された建造物などがほぼ昔の姿で残っており、当時の面影を今に伝えています。

六十間土手  出水市住吉町・今釜町 ( 鹿児島県 )

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六十間土手  出水市住吉町・今釜町

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。国道3号米ノ津小学校近くから海岸道路沿いの老人ホーム鶴寿園正門まで行くと、松原となった六十間土手と水路の犬童川が確認できる。
出水市の付随情報では、「六十間土手は、本市の今釜干拓(名古浦から福之江港)まで約2キロの干拓工事の内最後の潮止工事の場所(約100m)のことをいいます。地元ではこの干拓地の堤防すべてを含めて六十間土手と親しみを込め呼んでいる」そうである。

六十間土手 ろくじゅっけん
出水市 土堤防 長100m 元禄16(1703) 市史跡 市教委 大規模な修復/C化 海水の浸入を防ぐため八代海と今釜新田の間に築かれた堤防 3 C

五万石溝とトンネル群・底水道  出水市大川内〜出水〜米ノ津 ( 鹿児島県 )

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五万石溝とトンネル群・底水道  出水市大川内〜出水〜米ノ津

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。トンネル群は、国道447号から一本松大橋を渡り、水之頭バス停から用水路跡に沿い取入れ口まで向かうと随所に見られる。
平良川底水道は、国道328号西之口交差点から出水市青年の家への市道に入り、武本小原下まで行くと、平良川の橋脇に史跡説明板がある。
最後の「五万国溝」資料は、出水市教育委員会「出水の文化財」平成14年再改定出版の117〜118頁から。

五万石溝 ごまんこく、みぞ
出水市 (出水麓伝建地区内) 用水路(石積) 長約20㎞→長50m(現存部) 享保19(1734) 市史跡 市教委/現地解説板 昭和52使用停止→ほとんどが埋立てられて道路化/展示保存 施主:薩摩藩4代藩主・島津吉貴/米ノ津川上流の下平野に井堰を築いて取水し、水の頭・折尾野・城山等の山麓を迂回して大野原を横切り、洗切海岸(福之江)に至る用水路

五万石溝のトンネル群 ごまんこく
出水市 <五万石溝> 素掘トンネル(水路) 23ヶ所(総延長878m) 享保19(1734) 市史跡 出水の史跡と文化財p117-18/WEB(みさき道人) 昭和52使用停止/23ヶ所掘られたトンネルの幾つかが可視状態で残っている 写真は、延長は短いが中に入ることのできるもの/個々のトンネルの現状は名称を含め把握されていない 2-4 B

五万石溝の底水道 ごまんこく、みぞそこ
出水市 平良川/<五万石溝> 川底トンネル(水路) 長1.0m,幅1.0m(3連) 享保19(1734) 市史跡 市教委/現地解説板 昭和52使用停止→東側のみ遺構が残る 五万石溝に造られた2ヶ所の底水道(川底を横断する水路)の1つ/石梁に完成年が刻字 3 B

五万石溝とトンネル群・底水道  出水市大川内〜出水〜米ノ津 ( 鹿児島県 )

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五万石溝とトンネル群・底水道  出水市大川内〜出水〜米ノ津

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。トンネル群は、国道447号から一本松大橋を渡り、水之頭バス停から用水路跡に沿い取入れ口まで向かうと随所に見られる。
平良川底水道は、国道328号西之口交差点から出水市青年の家への市道に入り、武本小原下まで行くと、平良川の橋脇に史跡説明板がある。
最後の「五万国溝」資料は、出水市教育委員会「出水の文化財」平成14年再改定出版の117〜118頁から。

五万石溝 ごまんこく、みぞ
出水市 (出水麓伝建地区内) 用水路(石積) 長約20㎞→長50m(現存部) 享保19(1734) 市史跡 市教委/現地解説板 昭和52使用停止→ほとんどが埋立てられて道路化/展示保存 施主:薩摩藩4代藩主・島津吉貴/米ノ津川上流の下平野に井堰を築いて取水し、水の頭・折尾野・城山等の山麓を迂回して大野原を横切り、洗切海岸(福之江)に至る用水路

五万石溝のトンネル群 ごまんこく
出水市 <五万石溝> 素掘トンネル(水路) 23ヶ所(総延長878m) 享保19(1734) 市史跡 出水の史跡と文化財p117-18/WEB(みさき道人) 昭和52使用停止/23ヶ所掘られたトンネルの幾つかが可視状態で残っている 写真は、延長は短いが中に入ることのできるもの/個々のトンネルの現状は名称を含め把握されていない 2-4 B

五万石溝の底水道 ごまんこく、みぞそこ
出水市 平良川/<五万石溝> 川底トンネル(水路) 長1.0m,幅1.0m(3連) 享保19(1734) 市史跡 市教委/現地解説板 昭和52使用停止→東側のみ遺構が残る 五万石溝に造られた2ヶ所の底水道(川底を横断する水路)の1つ/石梁に完成年が刻字 3 B