出水麓武家屋敷群  出水市麓町ほか ( 鹿児島県 )

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出水麓武家屋敷群  出水市麓町ほか

出水市HPの「歴史探訪」による説明は、次のとおり。出水麓武家屋敷群マップは、次を参照。
http://www.city.izumi.kagoshima.jp/izumi05/02rekisi/01bukeyashiki_02.asp
写真は、武宮邸・竹添邸・税所邸(以上は一般公開)、出水小学校御仮屋門、宮部邸の順。

武家屋敷(出水麓伝統的建造物群保存地区)

いにしえの鼓動が聞こえる。歴史に文化に、時をこえた浪漫はあの時代を見事なまでに残し今に、伝える。日本有数の武家屋敷群へようこそ

出水市の麓町を中心とした住宅地一帯は、平成7年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
出水麓は、出水郷に赴任する薩摩藩士の住宅兼陣地として、中世山城である出水城の麓の丘陵地帯を整地して作られたところです。その整地には、関ケ原の戦いの前年(1599年)、本田正親が初代地頭に着任してから、3代地頭の山田昌巖の治世下まで、約30年かかりました。出水麓は、薩摩藩内で最も規模が大きく、藩内のほかの麓は、出水に倣ったといわれています。

出水は、肥後(現在の熊本県)と薩摩の国境の町として、藩の防衛上重要な町であることと、一国一城制度下の薩摩藩の外城制度(島津氏による、藩体制強化のための政治制度)により、出水には数多くの薩摩藩士を郷士として住み着かせ、藩境の防衛の任に当たらせました。武家屋敷とそのまち並みは、当時からの薩摩藩士の気風を今に伝えるかのように、整然とした趣と閑静な佇まいを感じさせます。

国の重要伝統的建造物保存地区に選ばれたこの地区は、面積約44ヘクタールの広さを有し、県指定文化財である、出水御仮屋門をはじめ、武家門・石垣・生垣や竹添屋敷など4軒の建築物があるほか、伝統的建造物として特定された建造物などがほぼ昔の姿で残っており、当時の面影を今に伝えています。