月別アーカイブ: 2013年3月

長崎の古写真考 長崎古写真 松屋 長崎港 4

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

長崎の幕末・明治期古写真考 長崎古写真 松屋 長崎港 4

長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

NAGASAKI GENEI
長崎古写真   松屋(商店) MATSUYA  長崎港 4

■ 確認結果

「NAGASAKI GENEI」というサイトがある。ウェブ検索でなかなか表れないが、長崎の貴重な古絵葉書や古写真を多数、公開されている。
タイトル以外、特に説明がない。撮影地など一般にわかりにくいものを、取り上げ考えてみる。

長崎古写真の中にある「松屋(商店) MATSUYA  長崎港 4」は、長崎港の風景。煉瓦造の倉庫群が写るが、新地蔵所対岸の籠町日浦海岸と思われる。新地橋付近から撮影できる。
明治となってその間は埋め立てられ「十軒蔵」が建ち、現在でも片割れの屋根が1棟残る。

長崎の古写真考 長崎古写真 松屋 長崎港 1

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

長崎の幕末・明治期古写真考 長崎古写真 松屋 長崎港 1

長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

NAGASAKI GENEI
長崎古写真   松屋(商店) MATSUYA  長崎港 1

■ 確認結果

「NAGASAKI GENEI」というサイトがある。ウェブ検索でなかなか表れないが、長崎の貴重な古絵葉書や古写真を多数、公開されている。
タイトル以外、特に説明がない。撮影地など一般にわかりにくいものを、取り上げ考えてみる。

長崎古写真の中にある「松屋(商店) MATSUYA  長崎港 1」は、長崎港の風景。東山手の丘の上に覗くのは彦山である。
南山手の下り松付近の岬から撮影した貴重な写真と思われる。大浦や大浦海岸通りの外国人居留地はまだ造成されていない。

現在の写真は、高いビルのため写せない。松が枝国際観光埠頭ターミナルの高台から、山の姿を確認した。

黒浜ダムの稜線尾根縦走と草刈り整備  2013年3月

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

黒浜ダムの稜線尾根縦走と草刈り整備  2013年3月

2013年3月3日(日)快晴。黒浜ダムの稜線尾根縦走と草刈り整備。参加10人。みさき道歩会の例会。黒岳(標高243.6m)ほか、岳路尾根の2つのピークに登る。
黒浜10:00—尻喰坂峠10:33—市道出合11:21—黒岳12:22(昼食)13:00—みさき道鶴山分岐13:42—サイクリング道路14:07—岳路尾根157.5mピーク—136mピーク
15:03—岳路墓地16:19—黒浜16:35(徒歩距離 約6km)

三和行政センター前集合。黒浜へ車で移動し、10:00から歩き出す。黒浜トンネル手前から岳路みさき道により尻喰坂峠を目指す。峠の分岐で左の尾根道を上がると、黒浜からの市道といったん出合う。さらに登ってサイクリング道路を突っ切り、尾根道が急になると、黒岳山頂へ出る。
標高243.6m三角点と長崎要塞区域標第七号がある。黒岳はわれわれの通称。正式名は「石転シ(コロバカシ)」か。13:00まで昼食。

午後は黒岳からみさき道本道へ下り、旧野母崎・三和町境地点まで戻る。ここからサイクリング道路へ降りると、いよいよ岳路尾根の黒浜ダム稜線縦走となる。地図には5つの高いピークがある。特に157.5mピークと136mピークは展望が良い。稜線の道の踏査と整備しながら歩いたので、黒浜へ16:35戻った。上から黒浜ダムが良く見えなかったので、ダムは帰りに写した。
経験者向きのコース。地図のとおり鶴山往復の加味や、実際は尾根を黒浜ダム駐車場まで歩ける。

長崎の古写真考 長崎古写真 長崎港

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

長崎の幕末・明治期古写真考 長崎古写真 長崎港

長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

NAGASAKI GENEI
長崎古写真   1896年長崎港

■ 確認結果

「NAGASAKI GENEI」というサイトがある。ウェブ検索でなかなか表れないが、長崎の貴重な古絵葉書や古写真を多数、公開されている。
タイトル以外、特に説明がない。撮影地など一般にわかりにくいものを、取り上げ考えてみる。

長崎古写真の中にある「1896年長崎港」は、長崎港口の風景。左の山は天門峰である。
海上からの撮影と思われそうだが、船は揺れる。当時の写真機ではまだ無理だろう(スケッチはできる)。必ず陸地に撮影できたポイントがある。
長崎大学データベースには、この面で誤って「海上から」などとしているタイトルが多い。

現在の写真は、小ヶ倉埠頭から写してきたが、「1896年長崎港」の撮影地は、長崎市小ヶ倉支所後ろに、現在は埋め立て陸続きとなっている小島の「小ヶ倉神社」高台からか、島の瀬からと思われる。
ここに立たないと、天門峰と背後の山の稲佐山や福田ゴルフ場の稜線の重なりが合わない。
現在は完全に写せる場所が、どうしても限られる。

長崎の古写真考 長崎古写真 自動車

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

長崎の幕末・明治期古写真考 長崎古写真 自動車

長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

NAGASAKI GENEI
長崎古写真        自動車 Automobile 1915年(1)

長崎手彩色古写真   長崎港 B-206 HARBOUR NAGASAKI (PART 2)

■ 確認結果

「NAGASAKI GENEI」というサイトがある。ウェブ検索でなかなか表れないが、長崎の貴重な古絵葉書や古写真を多数、公開されている。
タイトル以外、特に説明がない。撮影地など一般にわかりにくいものを、取り上げ考えてみる。

長崎古写真の中にある「自動車 Automobile 1915年(1)」に写る十字架の塔は、長崎手彩色古写真にある「中町カトリック教会」であろう。
したがって、自動車が走る通りは、一段上の筑後町との間の交差点と思われる。

長崎の古写真考 長崎手彩色古写真 女神の小島

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

長崎の幕末・明治期古写真考 長崎手彩色古写真 女神の小島

長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

NAGASAKI GENEI
長崎手彩色古写真  69 高鉾島

長崎古えはがき   長崎女神検疫所          

目録番号:3839 女神検疫所
〔画像解説〕 
明治後期から大正初期(1900年前後)の長崎港口の女神検疫所の全景。手彩色の絵葉書である。明治13年(1880)年に、長崎市市街地から遠く離れた、長崎港口の女神に外国船のための検疫所が設置された。

■ 確認結果

「NAGASAKI GENEI」というサイトがある。ウェブ検索でなかなか表れないが、長崎の貴重な古絵葉書や古写真を多数、公開されている。
タイトル以外、特に説明がない。撮影地など一般にわかりにくいものを、取り上げ考えてみる。

長崎手彩色古写真の中にある「69 高鉾島」は、写真中央の沖に浮ぶ島が「高鉾島」である。
さて、左手前の小島はどこだろうか。これは、長崎古えはがきの「長崎女神検疫所」や、長崎大学データベースの目録番号:3839「女神検疫所」に写る。
現在の女神大橋交差点、長崎市戸町5丁目「長崎市南部下水処理場」敷地角や国道となったあたりにあった小島であろう。

小島は古絵図の「長崎港警備図」や「長崎港精図」にも表れている。いちばん場所がわかりやすいのは、明治17年測図国土地理院旧版地図である。
島の名前やいつ埋立てられたかは不明である。

長崎の古写真考 長崎手彩色古写真 長崎港

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

長崎の幕末・明治期古写真考 長崎手彩色古写真 長崎港

長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

NAGASAKI GENEI 長崎手彩色古写真
長崎港

目録番号: 977 ドンの山から見た長崎港と出島
〔画像解説〕 
中央に出島、手前に新地蔵、梅ケ崎の居留地が写っている。出島の海側の線が鮮明に見える。新地と居留地を結ぶ木橋(梅ケ崎橋)が写っている。

■ 確認結果

「NAGASAKI GENEI」というサイトがある。ウェブ検索でなかなか表れないが、長崎の貴重な古絵葉書や古写真を多数、公開されている。
タイトル以外、特に説明がない。撮影地など一般にわかりにくいものを、取り上げ考えてみる。

「長崎手彩色古写真」長崎港の中にある写真は、撮影地の説明がないが、長崎大学データベースの目録番号: 977「ドンの山から見た長崎港と出島」(超高精細画像のタイトル「十人町より」は間違い)のとおり、ドンの山から(手彩色古写真の実際は、まだ下の方。中新町車道終点の墓地あたり?)撮影していると思われる。
この項は、本ブログ次を参照。  https://misakimichi.com/archives/3538

「徳三寺境」の標石  長崎市田上2丁目

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

「徳三寺境」の標石  長崎市田上2丁目

田上2丁目の徳三寺右側から祝捷山公園へ坂段を登ると、上の公園のフェンス角にある。公園駐車場からもすぐ行ける。一部欠けているが、「徳三寺境」と刻む古い標石。
2007年2月には、徳三寺からのこの登り口近くで、昭和13年「長崎市史」に記している明治
44年「祝捷山登口」碑が見つかっているので、本ブログ次の記事も参照。
https://misakimichi.com/archives/5435

長崎市立博物館編「長崎学ハンドブックⅡ 長崎の史跡(南部編)」平成14年発行の86頁は、次のとおり。
141 観音寺跡 (所在地:田上2丁目9・10番 徳三寺)
黄檗宗。元禄年間(1688〜1704)隠元の法孫天洲が開創。維新後廃寺となったが、杉山徳三郎によって徳三寺(臨済宗・大悲山)が明治29年に開創された。島原藩主高力攝津守忠房は大浦に別荘を構えていたが、同寺の楊柳泉で点てた茶を好んだといわれ、忠房が楊柳泉と命名したという。