田上の徳三寺近くに明治44年「祝捷山登口」碑が見つかる

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田上の徳三寺近くに明治44年「祝捷山登口」碑が見つかる

写真のとおり由緒ある珍しい標石が、田上の徳三寺近くで見つかっている。2月21日見学に行った。
「祝捷山登口」と刻んだ碑は現在、国立長崎病院前バス停上の寺駐車場の入口左隅に置いてある。徳三寺の話によると、寺前の県道工事のとき折れたのが発掘され、補修して横たえていると言う。
碑の寸法は、24cm角、高さ114cm。正面「祝捷山登口」、左面「道仙松在此山中」、右面「此坂路百間改築 明治四十四年十月竣工 田中直三郎」

この石らしい記録は、昭和13年「長崎市史地誌編名勝舊蹟部」祝捷山の項で見つけた。
「西北なる小島、田上方面よりの入口には各石柱を対立せしめ小島口には日耀千旗影、山呼萬歳声と刻し、田上口には武威揚海外、義気貫天中と刻す、西道仙の題する所である」。
碑の背面に刻字はないようだが、別のところの石とは考えられない。旧茂木街道沿いから祝捷山へは両方の登り口があった。

「祝捷山」とは、日露戦争の戦勝を記念し西道仙が命名。田中直三郎が整備した。山頂の自然石にも大正3年山名が彫られ、現在運動公園となって隅に移設されている。「祝捷山登口」碑はこれより年代が古い。
西道仙書の田上口の1本「武威揚海外」も、この横に現存して立っていた。