「徳三寺境」の標石  長崎市田上2丁目

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「徳三寺境」の標石  長崎市田上2丁目

田上2丁目の徳三寺右側から祝捷山公園へ坂段を登ると、上の公園のフェンス角にある。公園駐車場からもすぐ行ける。一部欠けているが、「徳三寺境」と刻む古い標石。
2007年2月には、徳三寺からのこの登り口近くで、昭和13年「長崎市史」に記している明治
44年「祝捷山登口」碑が見つかっているので、本ブログ次の記事も参照。
https://misakimichi.com/archives/5435

長崎市立博物館編「長崎学ハンドブックⅡ 長崎の史跡(南部編)」平成14年発行の86頁は、次のとおり。
141 観音寺跡 (所在地:田上2丁目9・10番 徳三寺)
黄檗宗。元禄年間(1688〜1704)隠元の法孫天洲が開創。維新後廃寺となったが、杉山徳三郎によって徳三寺(臨済宗・大悲山)が明治29年に開創された。島原藩主高力攝津守忠房は大浦に別荘を構えていたが、同寺の楊柳泉で点てた茶を好んだといわれ、忠房が楊柳泉と命名したという。