月別アーカイブ: 2013年3月

長崎の古写真考 長崎手彩色古写真 長崎の道路

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長崎の幕末・明治期古写真考 長崎手彩色古写真 長崎の道路

長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

NAGASAKI GENEI
長崎手彩色古写真  G86. STREET IN NAGASAKI 長崎の道路

目録番号: 5125 長崎本町中央公設市場

■ 確認結果

「NAGASAKI GENEI」というサイトがある。ウェブ検索でなかなか表れないが、長崎の貴重な古絵葉書や古写真を多数、公開されている。
タイトル以外、特に説明がない。撮影地など一般にわかりにくいものを、取り上げ考えてみる。

「長崎手彩色古写真」Cの中にある「G86. STREET IN NAGASAKI」は、現在の長崎市万才町下の築町の道路ではないだろうか。「メルカつきまち」の裏通りあたりで、万才町へ横に上がる石段のようなものがあるのは、ここである。

遠くに望むのは、鍋冠山の稜線と思われる。現在では長崎県庁の高台などでしか、山の稜線は確認できない。
長崎大学データベースでは、目録番号:5125「長崎本町中央公設市場」(本下町が正)がある。

長崎の古写真考 長崎古写真 長崎医学校

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長崎の幕末・明治期古写真考 長崎古写真 長崎医学校

長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

NAGASAKI GENEI
長崎古写真  不明 長崎あるいは例外 長崎医学校

■ 確認結果

「NAGASAKI GENEI」というサイトがある。ウェブ検索でなかなか表れないが、長崎の貴重な古絵葉書や古写真を多数、公開されている。
タイトル以外、特に説明がない。撮影地など一般にわかりにくいものを、取り上げ考えてみる。

長崎古写真の中にある「不明 長崎あるいは例外」の12枚目は、現在の長崎市坂本1丁目「長崎大学医学部」の前身となる「長崎医学専門学校」の当時の校舎である。当時の正門はこちら。
長崎古えはがき「長崎県立医学校ノ遠景」と校舎の配置が同じとわかる。背景の山は岩屋山の稜線の一部である。現在の長崎大学附属病院の裏手の高台から撮影している。

「21.平成の大学と病院」は、原爆後50年、平成7年の航空写真。大学記念会編「写真で見る医学部150年の変遷」80頁から。

長崎の古写真考 長崎古写真 松ヶ枝橋

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長崎の幕末・明治期古写真考 長崎古写真 松ヶ枝橋

長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

NAGASAKI GENEI
長崎古写真  不明 長崎あるいは例外 松ヶ枝橋

目録番号: 5203 大浦海岸通り(12)
〔画像解説〕
明治後期から大正期(1890〜1920)の絵葉書。大浦川河口から大浦海岸通りを写したもの。右端の橋は、松ヶ枝橋、端の建物はドイツ領事館。左端にイギリス領事館が見える。大正6年に電車が開通したので、それ以降の撮影。

■ 確認結果

「NAGASAKI GENEI」というサイトがある。ウェブ検索でなかなか表れないが、長崎の貴重な古絵葉書や古写真を多数、公開されている。
タイトル以外、特に説明がない。撮影地など一般にわかりにくいものを、取り上げ考えてみる。

長崎古写真の中にある「不明 長崎あるいは例外」の8枚目は、大浦川河口の「松ヶ枝」と思われる。現在の橋は、手前にずらして架けられている。昔の橋桁跡は前の位置に残る。
長崎大学データベース目録番号: 5203「大浦海岸通り(12)」に写る「松ヶ枝橋」と、手すりは大きさが違うようだが、背景の烽火山はほぼ同じ位置に写っている。

長崎の古写真考 長崎古写真 稲佐崎?

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長崎の幕末・明治期古写真考 長崎古写真 稲佐崎?

長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

NAGASAKI GENEI
長崎古写真  不明 長崎あるいは例外 稲佐崎?

目録番号: 5519 ホテル・ヴェスナーと桟橋
〔画像解説〕
稲佐お栄(道永えい)の経営していた「ホテル・ヴェスナー(春)」とそこに登るための桟橋。ホテルは明治26年(1893) 11月に完成した。現在の旭町・浜崎水産アパートの場所で、崖地の下を道路が通っている。背後が稲佐山である。この写真から当時の地形とホテルの場所がよく分かる。写真下の桟橋が「お栄の桟橋」。

■ 確認結果

「NAGASAKI GENEI」というサイトがある。ウェブ検索でなかなか表れないが、長崎の貴重な古絵葉書や古写真を多数、公開されている。
タイトル以外、特に説明がない。撮影地など一般にわかりにくいものを、取り上げ考えてみる。

長崎古写真の中にある「不明 長崎あるいは例外」の4枚目は、稲佐崎の海岸を長崎港奥の対岸から撮影しているのではないだろうか。稲佐崎の先端に、ホテル・ヴェスナーのような建物屋根が写り、海岸に白い桟橋がある。現在の写真は、稲佐橋の手前から写した。

背後の稜線は、稲佐山の中腹尾根だろう。悟真寺の方へ回って手前の市道から、ホテル清風・大鳥町・丸尾町方面を写してみた。対比写真のとおり、稜線は合う。
最後の写真は、稲佐崎のホテル・ヴぇスナー跡地。現在はマンションが建っている。

長崎の古写真考 長崎古写真 稲佐?

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長崎の幕末・明治期古写真考 長崎古写真 稲佐?

長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

NAGASAKI GENEI
長崎古写真  不明 長崎あるいは例外 稲佐?

■ 確認結果

「NAGASAKI GENEI」というサイトがある。ウェブ検索でなかなか表れないが、長崎の貴重な古絵葉書や古写真を多数、公開されている。
タイトル以外、特に説明がない。撮影地など一般にわかりにくいものを、取り上げ考えてみる。

長崎古写真の中にある「不明 長崎あるいは例外」の3枚目は、稲佐、淵神社付近の海岸を、長崎港奥の対岸から撮影したのではないだろうか。
背後は稲佐山の南東尾根だろう。黄囲線の稜線ピークがポイントとなる。宝珠山の全体が写っていたら、わかりやすいのだが…。

長崎の古写真考 長崎古写真 大徳寺

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長崎の幕末・明治期古写真考 長崎古写真 大徳寺

長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

NAGASAKI GENEI
長崎古写真   長崎名所 TEA HOUSE DAITOKUJI

■ 確認結果

「NAGASAKI GENEI」というサイトがある。ウェブ検索でなかなか表れないが、長崎の貴重な古絵葉書や古写真を多数、公開されている。
タイトル以外、特に説明がない。撮影地など一般にわかりにくいものを、取り上げ考えてみる。

長崎古写真の中にある「長崎名所 TEA HOUSE DAITOKUJI」は、現在の長崎市西小島1丁目「大徳寺公園」内の風景。
明治元年建立の鳥居はそのまま。展示古写真によると、茶屋は当時、3軒あった。

長崎の古写真考 長崎古写真 諏訪神社を望む

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長崎の幕末・明治期古写真考 長崎古写真 諏訪神社を望む

長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

NAGASAKI GENEI
長崎古写真   REAL PHOTO 諏訪神社を望む

■ 確認結果

「NAGASAKI GENEI」というサイトがある。ウェブ検索でなかなか表れないが、長崎の貴重な古絵葉書や古写真を多数、公開されている。
タイトル以外、特に説明がない。撮影地など一般にわかりにくいものを、取り上げ考えてみる。

長崎古写真の中にある「REAL PHOTO 諏訪神社を望む」は、中央右側に諏訪神社の長坂が斜めに見える。長崎市寺町の「興福寺」あたりから撮影していると思われる。
高いビルのため、諏訪神社の長坂が確認できない。現在の写真は、興福寺と浄安寺の間の墓地高台の道から写してみた。

これと同じような写真は、長崎古えはがきの「長崎名所 諏訪神社ノ遠景」がある。この撮影地は、若宮稲荷神社中段の大鳥居あたりからである。手前に写っている寺が「光源寺」である。
この項は、本ブログ次を参照。  https://misakimichi.com/archives/2844

長崎の古写真考 長崎古写真 新地橋

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長崎の幕末・明治期古写真考 長崎古写真 新地橋

長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

NAGASAKI GENEI
長崎古写真   REAL PHOTO 新地橋

■ 確認結果

「NAGASAKI GENEI」というサイトがある。ウェブ検索でなかなか表れないが、長崎の貴重な古絵葉書や古写真を多数、公開されている。
タイトル以外、特に説明がない。撮影地など一般にわかりにくいものを、取り上げ考えてみる。

長崎古写真の中にある「REAL PHOTO」は、中央左側に石橋のようなものが写っている。背後の丘は大徳寺と考えられるので、石橋とすると、新地蔵所入り口「新地橋」と思われる。
上野彦馬撮影「長崎の運河」が、同じような撮影地から写した写真となっており、「新地橋」の姿がはっきり撮影されている。
この項は、本ブログ次を参照。 https://misakimichi.com/archives/2764

長崎の古写真考 長崎古写真 長崎港

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長崎の幕末・明治期古写真考 長崎古写真 長崎港

長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

NAGASAKI GENEI
長崎古写真   長崎港

■ 確認結果

「NAGASAKI GENEI」というサイトがある。ウェブ検索でなかなか表れないが、長崎の貴重な古絵葉書や古写真を多数、公開されている。
タイトル以外、特に説明がない。撮影地など一般にわかりにくいものを、取り上げ考えてみる。

長崎古写真の中にある「長崎港」は、長崎港の風景。東山手の丘の上に覗くのは彦山である。前の記事「「松屋(商店) MATSUYA  長崎港 1」と同じ場所から撮影されているが、和船が4隻大きく写っている。
南山手の下り松付近の岬から撮影した貴重な写真と思われる。大浦や大浦海岸通りの外国人居留地はまだ造成されていない。

現在の写真は、高いビルのため写せない。松が枝国際観光埠頭ターミナルの高台から、山の姿を確認した。

長崎の古写真考 長崎古写真 長崎港

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長崎の幕末・明治期古写真考 長崎古写真 長崎港

長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

NAGASAKI GENEI
長崎古写真   長崎港

■ 確認結果

「NAGASAKI GENEI」というサイトがある。ウェブ検索でなかなか表れないが、長崎の貴重な古絵葉書や古写真を多数、公開されている。
タイトル以外、特に説明がない。撮影地など一般にわかりにくいものを、取り上げ考えてみる。

長崎古写真の中にある「長崎港」は、長崎港の風景。煉瓦造の倉庫群が写った前の記事「松屋(商店) 長崎港4」と同じ小山のような感じがする。
戸町番所の国分町の山が似ているが、戸町側や小菅ソロバンドックから見ても、左奥背後の山がどうしても合わなかった。

これもやはり、新地蔵所対岸の籠町日浦海岸と思われる。小山は大徳寺上の山ではないか。小島養生所が建つ前の、相当古い写真と考えられる。
新地橋付近から左に愛宕山まで写さなかったら撮影できる。左奥背後の山は、高平町の高台と白木方面の彦山?となる。間違いがあったら、後日修正したい。