長崎の古写真考 目録番号:な し 「(長崎名所) 諏訪神社ノ遠景」

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:な し 「(長崎名所) 諏訪神社ノ遠景」

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:な し 「(長崎名所) 諏訪神社ノ遠景」

■ 確認結果

現在の長崎市八幡町、中島川の大井手橋近くにあった、坂本龍馬らが倒幕議論したとされる料亭「玉川亭」の写真が、初確認された朝日新聞長崎地域版2010年11月27日付の記事を前に紹介していた。  https://misakimichi.com/archives/2455
写真は、英国の写真家F・ベアトが1864〜66年に撮影。横浜開港資料館に所蔵され、ベアト写真集に掲載されている。

「玉川亭」跡は、現在「キリスト教友愛社会館 友愛八幡町保育園」となっている。このあたりは、中島川の本流と西山川が合流し、「二股」と呼ばれる所。「玉川亭」は川魚料理が有名で、多くの会談に利用されたようだ。

位置的に「玉川亭」を撮影していると思われる写真を見つけた。撮影年代は新しくなるが、「All-view of Suwa Shrine Nagasaki. (長崎名所) 諏訪神社ノ遠景」の絵葉書。ブライアン・バークガフニさんのサイトだろう「長崎古えはがき」の、諏訪神社全景の中に掲載されていた。

この写真は、若宮稲荷神社中段の大鳥居あたりから撮影されている。中央に諏訪神社の白い鳥居と長坂が見える。左下は光源寺。甍の右先に写っている格式のある建物が、「玉川亭」のように思えたのだが…。
現地の上、下へ行って良く確認すると、これは私のまったくの誤認。後ろに「伊勢宮会館」とあるとおり、伊勢宮神社付近の建物であった。

「友愛八幡町保育園」の左横には、高い「七福マンション」などが建っている。7枚目の写真では、光源寺の甍のまだ左上先の位置となる。したがって、絵葉書の古写真には「玉川亭」は写っていない。
残念な結果となったので、この記事はタイトルから修正した。大井手橋下の中島川は、子どもたちの自然学習で賑わっていた。