長崎の古写真考 目録番号:な し 上野彦馬撮影「長崎の運河」

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:な し 上野彦馬撮影「長崎の運河」

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:な し 上野彦馬撮影「長崎の運河」
〔画像解説〕
長崎の運河とそこに浮かぶ木造の小舟。当時の長崎では数多くの運河が掘削され、物流の回路が形成されていた。「Nagasaki.Japan.One of the numerous Canals.intersecting the Native City.“Low water.”」(地元の街を交差する多数の運河のひとつ、低水位、長崎、日本)との書込みがある。

■ 確認結果

馬場章氏編「上野彦馬歴史写真集成」渡辺出版2006年刊54頁に掲載がある「41 長崎の運河」。画像解説は上記のとおり。
撮影者 上野彦馬  撮影・流通年 明治6年(1873)  所蔵者 学校法人産業能率大学
長崎大学データベースに見当たらない。具体的な撮影場所の解説がない。

写真中央左にアーチ式石橋が写る。新地蔵の銅座側門口に昔から架かっていた石橋「新地橋」である。後ろの木立の高台は大徳寺跡。左端奥から愛宕山の稜線が下る。
現在の十八銀行本店前あたり、中島川河口に架かっていた「新大橋」の上から、合流する銅座川を向いて、「新地橋」手前の舟だまりを写していると思われる。
新地橋の地図は、九州大学デジタルアーカイブから「長崎港新図」 明治27年(1894) 出島部分の拡大。

この作品は、上野彦馬撮影次の目録番号:6078「大徳寺跡から新地と出島を望む」を参照。
長崎大学附属図書館企画・編集「長崎大学コレクション 明治7年の古写真集 長崎・熊本・鹿児島」長崎文献社刊2007年初版の29頁による解説は次のとおり。
「新地橋」を大徳寺跡から、逆方向に写している。「新地橋」の貴重な石橋写真であるのに、「新地橋」には注目されていない。

21 大徳寺跡から新地と出島を望む   278×215
明治元年(1868)に廃寺になった大徳寺跡から新地ごしに出島を望む。明治2年(1869)に架設された出島右端の出島新橋と中島川河口部の長さ48.6mの新大橋、さらに梅香崎と西浜町を結ぶ梅香崎橋が見える。前ニ者は木製の桁橋である。出島右の茂みの中に県庁舎は見えない。遊歩道建設のための出島の築石の石垣が新しい。左の新地蔵裏の内海の埋立が進んでいるのがわかる。右の川は銅座川。(21・22・23は3枚組写真)

「新地橋」の記事は、  https://misakimichi.com/archives/2173
「広場場橋」の写真は、 https://misakimichi.com/archives/2348
https://misakimichi.com/archives/2462