長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6078 大徳寺跡から新地と出島を望む
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号:6078 大徳寺跡から新地と出島を望む
■ 確認結果
明治元年(1868)廃寺となった大徳寺跡は、現在「大徳寺公園」となって長崎市西小島1丁目にある。上野彦馬が撮影した目録番号:6078の作品。長崎大学附属図書館企画・編集「長崎大学コレクション 明治7年の古写真集 長崎・熊本・鹿児島」長崎文献社刊2007年初版の29頁に掲載がある。同解説は次のとおり。
21 大徳寺跡から新地と出島を望む 278×215
明治元年(1868)に廃寺になった大徳寺跡から新地ごしに出島を望む。明治2年(1869)に架設された出島右端の出島新橋と中島川河口部の長さ48.6mの新大橋、さらに梅香崎と西浜町を結ぶ梅香崎橋が見える。前ニ者は木製の桁橋である。出島右の茂みの中に県庁舎は見えない。遊歩道建設のための出島の築石の石垣が新しい。左の新地蔵裏の内海の埋立が進んでいるのがわかる。右の川は銅座川。(21・22・23は3枚組写真)
明治2年(1869)に架設された「出島新橋」と「新大橋」はわかるが、梅香崎と西浜町を結ぶ「梅香崎橋」が見えるとは、どの橋のことだろう。「出島新橋」「新大橋」と同時に架設された「梅香崎橋」は、新地と梅香崎を結ぶ橋である(当初は3橋とも木製)。梅香崎と西浜町は繋がらない。
この古写真の右端、銅座川に架かっている橋は、明治17年測図地形図によると新地蔵の銅座側門口に昔から架かっていた石橋ではないだろうか。
「左の新地蔵裏の内海の埋立が進んでいるのがわかる」も、周りの川が埋め立てられていることだろうか。次頁の「22 大徳寺方面から県庁方面を望む」においても、「手前の大きな漆喰の屋根は旧薩摩屋敷である」はどの区画を示すのか(現在の三菱UFJ信託銀行長崎支店一帯)、具体的に記してほしい。