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法恩寺跨線橋  高知県安芸郡奈半利町

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法恩寺跨線橋  高知県安芸郡奈半利町

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」によるデータは、次のとおり。

№5,586    法恩寺跨線橋

高知県安芸郡奈半利町乙
橋幅:2.98m  径間:3.3m  拱矢:1.5m  環厚:36cm
輪石:31列

法恩寺跨線橋 魚梁瀬(やなせ)森林鉄道遺産
「建設年 昭和6年頃
構造様式 石造アーチ橋
三光院から南の旧道へ向かう跨線橋。建造は昭和6年頃といわれています。石造アーチ橋で、上部歩行部分の長さは5.55m、階段の長さは4.495m。地元では“アーチ橋”の呼び名で親しまれ、現在も南からのアプローチとして利用されています。」

左手山の上の三光院への参道です。階段を上りきったところに三光院。
寺から奈半利貯木場が見渡せます。

吉良川町の町並み  高知県室戸市吉良川町

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吉良川町の町並み  高知県室戸市吉良川町

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。

吉良川町

吉良川町(きらがわちょう)は、高知県室戸市北西部にある町丁。町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

概 要
国道55号沿いにあり、室戸岬から北西に約16kmに位置する。
吉良川町は古来より木材や薪などの森林資源の集積地として京阪神に出荷していた。鎌倉時代の「京都石清水八幡宮文書目録」にも木材産地として吉良川の名が記されている。明治時代より近郊で産出するウバメガシから備長炭が生産されるようになった。大正時代になると製炭技術が発達し吉良川炭は日本を代表する良質な備長炭となっていった。京阪神を中心に海路で出荷され、帰りの船で日用品を持ち帰り、その交易で明治から昭和初期にかけて繁栄した。その経済力を背景に町並みが形成された。

重要伝統的建造物群保存地区データ
・名称 – 室戸市吉良川町重要伝統的建造物群保存地区
・種別 – 在郷町
・伝統的建造物 – 建造物:120棟・工作物:42・環境物件:1 計163
・面積 – 18.3ヘクタール
・選定年月日 – 1997年10月31日

室戸岬灯台  高知県室戸市室戸岬町

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室戸岬灯台  高知県室戸市室戸岬町

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。

室戸岬灯台
所在地 高知県室戸市室戸岬町6939

室戸岬灯台(むろとざきとうだい)は、高知県室戸市室戸岬町の室戸岬付近の高台に立つ白亜の鉄造灯台。周辺は、室戸阿南海岸国定公園に指定され、太平洋を望む風光明媚の地。光達距離26.5海里(約49km)は日本一。また、日本に6箇所しかない直径2.6メートルの第一等フレネル式レンズを備えた第1等灯台でもある。更には、日本の灯台50選の一つ、その歴史的価値から海上保安庁によってAランクの保存灯台にも指定されており、まさに日本を代表する灯台のひとつと言ってよい。

歴 史
・1899年(明治32年)に初点灯された。鉄製で白一色に塗装され、現在も原形を保っている。当初は石油ランプであった。
・1917年(大正6年)に電化された。
・1934年(昭和9年)9月の室戸台風により灯台レンズが破損したため修理が行われた。
・1945年(昭和20年)3月、太平洋戦争末期、アメリカ軍空母機動部隊が室戸岬沖80キロに接近。アメリカ軍の艦載機による機銃掃射を受け、灯台レンズが破損する。(現在でも灯台には4つの弾痕が刻み込まれている)
・1953年(昭和28年)10月、日本で初めて電動駆動装置(回転機械制御用の電動駆動機器)の採用。

付属施設
・無線方位信号所(中波標識局、レーマークビーコン)

最御崎寺  高知県室戸市室戸岬町

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最御崎寺  高知県室戸市室戸岬町

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。

最御崎寺
所在地 高知県室戸市室戸岬町4058-1

最御崎寺(ほつみさきじ)は、高知県室戸市室戸岬町に位置する寺院。室戸山(むろとざん)、明星院(みょうじょういん)と号す。宗派は真言宗豊山派。四国八十八箇所霊場の第二十四番札所であり、土佐で最初の札所である。室戸岬では東西に対峙している第二十六番札所の金剛頂寺を西寺(にしでら)と呼ぶのに対し、東寺(ひがしでら)と呼ばれる。寺号は「火つ岬」(火の岬)の意。
本尊真言:のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おんあり きゃまり ぼり そわか
ご詠歌:明星の 出ぬる方の 東寺 暗き迷は などかあらまじ

歴 史
空海は都での学問に飽き足りず、19歳頃からの約5年間、山林修行を続けた。延暦11年(792年)、19歳の空海は、室戸岬にほど近い洞窟(御厨人窟)で虚空蔵求聞持法に励んだとされる。寺伝によれば空海は大同2年(807年)に、嵯峨天皇の勅願を受けて本尊の虚空蔵菩薩を刻み、本寺を開創したとされる。当初は奥の院四十寺のある四十寺山頂にあり、現在地に移ったのは寛徳年間(1044年 – 1055年)頃といわれている。

嵯峨天皇以降歴代天皇の信仰が篤かった。足利尊氏によって土佐の安国寺とされる。その後火災により焼失したが、元和年間(1615年 – 1624年)には土佐藩主山内忠義の援助を受け僧の最勝が再興する。堂塔を建立、七堂伽藍を有したという。明治に入って神仏分離令によって荒廃するが、大正3年(1914年)には再建された。阿南室戸歴史文化道の指定を受けている。

室戸岬  高知県室戸市室戸岬町

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室戸岬  高知県室戸市室戸岬町

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。
室戸山最御崎寺・室戸岬灯台は、別掲する。

室戸岬

室戸岬(むろとざき、むろとみさき)は、高知県室戸市に属し、太平洋に面する岬。国の名勝(1928年指定)、および室戸阿南海岸国定公園に指定されている。北緯33度14分34秒東経134度10分
35秒。

高知県を代表する観光地の一つで、JR四国の特急「むろと」にもその名が用いられている。但し「むろと」は徳島県側の牟岐線を室戸岬方面へ向かう列車であり、高知県域は走らない(一時期甲浦駅まで運転されていたことはある)。

地 理
安芸山地が太平洋に落ち込む南端。太平洋に大きく突き出し、紀伊水道と土佐湾を分ける。泥岩・砂岩・斑れい岩により、海岸段丘や岩礁、奇岩が形成されている。冬でも温暖で、亜熱帯植物が繁茂する。
室戸岬灯台が立つ。1899年(明治32年)初点灯で海抜154.7m、実効光度と光達距離で日本一を誇る。「日本の灯台50選」の一つで、歴史的価値から保存灯台ともされている。
黒潮の流れる沖合いは台風銀座でもあり、室戸岬は強風で知られる。1934年(昭和9年)の室戸台風や1961年(昭和36年)の第2室戸台風では台風が付近に上陸し、その名を残すこととなった。後者では測候所の風速計が壊れてしまい、最大瞬間風速は「84.5m/s以上」と記録されるにとどまっている。

名所・旧跡・観光スポット
・室戸岬灯台
・四国八十八箇所第二十四番札所 室戸山最御崎寺
・御厨人窟 修行中の弘法大師がこの地で悟りを得たという伝承がある
・青年大師像 
・中岡慎太郎像
・シレスト室戸
・ゴロゴロ浜

鹿岡の夫婦岩  高知県室戸市室戸岬町

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鹿岡の夫婦岩  高知県室戸市室戸岬町

国道55号を室戸岬へ南下していると、手前の鹿岡(かぶか)鼻に立つ大岩。現地説明石碑文は、次のとおり。いよいよ高知県へ入った。

鹿岡の夫婦岩

南路志に云う 往古より大晦日の晩夫婦岩の間鵜の碆に「竜燈」がともるとこの神火を地元では「かしょうさま」と云い立岩の峯々を超えて大滝の上に舞い上がり四方山麓の家々に請じ入れられて六年を迎える浄火となったと云う

宍喰浦の化石漣痕  徳島県海部郡海陽町

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宍喰浦の化石漣痕  徳島県海部郡海陽町

国指定文化財等データベースが、現在、臨時メンテナンス中で利用できないため、Weblio辞書の同データを載せる。

史跡名勝天然記念物

名称: 宍喰浦の化石漣痕
ふりがな: ししくいうらのかせきれんこん
種別: 天然記念物
都道府県: 徳島県
市区町村: 海部郡海陽町
指定年月日: 1979.11.26(昭和54.11.26)
指定基準: 地1
解説文
第3紀始新世から漸新世に生成された舌状漣痕で、露頭面積も広く、彫刻も深く、かつ数種の異型のものが別々の層をなしている。細互層の砂岩下面には、当時の生物の生態痕などの底痕が残されている。
流れ漣痕としてその規模、保存状況などわが国でも代表的なものであり学術上の価値は高いと認められる。

海部川河口・鞆 浦  徳島県海部郡海陽町

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海部川河口・鞆 浦  徳島県海部郡海陽町

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』及びHP「一路一会 古い町並みと集落・四国」による解説は、次のとおり。

海部川

海部川(かいふがわ)は、徳島県海部郡を流れる二級河川。二級水系海部川の本流。環境省の調査で、全国で最も水がきれいな川36本の1つとの認定を受けている。

地 理
海部川は、高知県境に近い湯桶丸(標高1,372メートル)東面の槙木屋谷(轟山)に源を発して南東に流れ、紀伊水道に注ぐ流程36kmの川である。海部川上流部の山岳地帯は年間降雨量3,000ミリに達する全国有数の多雨地域(水源の森百選・平成の名水百選・四国のみずべ八十八カ所、とくしま水紀行50選)。

かつては林業で栄えた過疎地を流れる海部川水系は開発などの俗化を免れたため、ダムもなく、川の水で野点をするほどの清冽な流れと、豊かな植生を誇る。天然のヒラテナガエビ、鮎、アメゴ、ウナギなどの水生生物の宝庫であり、山のミネラルがそのまま海へたどり着く、日本では数少ない自然河川である。三間岩の淵や轟の滝(日本の滝百選)などの景勝地や河口のサーフィンポイントは自然を満喫しようとやってくるコアな人々や釣り人でにぎわい、中には海部川に魅せられて移住した人もいる。

鞆  浦
徳島県海部郡海部町鞆浦は、2006年合併【徳島県海部郡海陽町鞆浦】となった。

四国の東海岸を走る牟岐線。その終点である海部町は鞆浦港を中心に発展したちいさな町です。海部町は大部分が山地で、海に面しているのは実は海部川河口のわずかな面積しかありません。この河口に開けた小さな港町は三方を山で囲まれ、「鞆の形」に似ていることからかつては「鞆」と呼ばれていた事に始まります。

古くから海上交通の要衝であり、戦国期には豪族海部氏の「鞆城」も築かれていました。江戸期の土佐藩時代には鞆城は廃城となり、代わって陣屋が置かれ海部郡における軍事・政治の中心地でした。しかしその後、陣屋も日和佐へと移されます。

現在はひっそりとした静かな漁村です。建物の多くは大正から昭和初期に建てられたものがほとんどですが、メインストリートや路地裏にかけて塗家造りで本瓦の重厚感のある民家や千本格子の街並みなど、一風変わった漁村風景がそこにありました。

轟九十九滝  徳島県海部郡海陽町

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轟九十九滝  徳島県海部郡海陽町

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。時間がなく、「轟の滝本滝」と、その上部の「二重の滝」しか写していない。

轟九十九滝
所在地 徳島県海陽町平井王余魚谷

轟九十九滝(とどろきくじゅうくたき)は、徳島県海部郡海陽町にある滝。日本の滝百選、四国のみずべ八十八カ所に選定されている。

概 要
海部川の支流で吉野丸(1119メートル)を源流とする王餘魚谷川(かれいたにがわ)水域にある。轟九十九滝とは轟神社の周囲に点在する滝の総称で、九十九とは「多い」という意味である。

轟の滝(本滝、別名・王餘魚滝(かれいだき))が主となる滝であり落差58メートルと徳島県一を誇る。轟神社の奥部にあり摂社の本滝神社のご神体である。毎年11月第2日曜日には秋祭りが行われ、御輿が滝壺に入る滝渡御(たきとぎょ)は祭の勇壮なクライマックスとなっている。

本滝の上部には、二重の滝、横見の滝、船滝、丸渕滝、鳥返滝、大烏小烏滝、三十三才滝、そして本滝より遊歩道を1500メートル登った地点に轟神社奥宮の鍋割神社ご神体である鍋割滝がある。 主要な滝は本滝も含めこの9滝であるが、他にも大小様々な滝がある。なお、最下部にある轟本滝から最上部の鍋割滝までの所要時間は片道徒歩約1時間である。

大浜海岸  徳島県海部郡美波町

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大浜海岸  徳島県海部郡美波町

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。城は日和佐城。

大浜海岸

大浜海岸(おおはまかいがん)は、徳島県海部郡美波町(旧日和佐町)日和佐浦に位置する延長約500mの砂浜である。

概 要
名前は「大きな浜」であることに由来し、日和佐川河口の近くは小浜と呼ばれる。ウミガメの産卵地として名高く、1967年に大浜海岸のウミガメおよび産卵地の名前で国の天然記念物に指定された。また1996年には日本の渚百選に選定された。

ウミガメ
毎年5月から8月にかけて、アカウミガメが産卵のために上陸する。時間帯は夜が多いが、昼間の事例も稀にある。頭数は年によって区々であるが、21世紀に入ってからは年間30頭前後で推移している。ウミガメの保護を目的に、5月20日から8月20日までの期間は、砂浜及びその周辺道路において規制が敷かれるほか、美波町の保護監視員による活動も行われている。