海部川河口・鞆 浦 徳島県海部郡海陽町
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』及びHP「一路一会 古い町並みと集落・四国」による解説は、次のとおり。
海部川
海部川(かいふがわ)は、徳島県海部郡を流れる二級河川。二級水系海部川の本流。環境省の調査で、全国で最も水がきれいな川36本の1つとの認定を受けている。
地 理
海部川は、高知県境に近い湯桶丸(標高1,372メートル)東面の槙木屋谷(轟山)に源を発して南東に流れ、紀伊水道に注ぐ流程36kmの川である。海部川上流部の山岳地帯は年間降雨量3,000ミリに達する全国有数の多雨地域(水源の森百選・平成の名水百選・四国のみずべ八十八カ所、とくしま水紀行50選)。
かつては林業で栄えた過疎地を流れる海部川水系は開発などの俗化を免れたため、ダムもなく、川の水で野点をするほどの清冽な流れと、豊かな植生を誇る。天然のヒラテナガエビ、鮎、アメゴ、ウナギなどの水生生物の宝庫であり、山のミネラルがそのまま海へたどり着く、日本では数少ない自然河川である。三間岩の淵や轟の滝(日本の滝百選)などの景勝地や河口のサーフィンポイントは自然を満喫しようとやってくるコアな人々や釣り人でにぎわい、中には海部川に魅せられて移住した人もいる。
鞆 浦
徳島県海部郡海部町鞆浦は、2006年合併【徳島県海部郡海陽町鞆浦】となった。
四国の東海岸を走る牟岐線。その終点である海部町は鞆浦港を中心に発展したちいさな町です。海部町は大部分が山地で、海に面しているのは実は海部川河口のわずかな面積しかありません。この河口に開けた小さな港町は三方を山で囲まれ、「鞆の形」に似ていることからかつては「鞆」と呼ばれていた事に始まります。
古くから海上交通の要衝であり、戦国期には豪族海部氏の「鞆城」も築かれていました。江戸期の土佐藩時代には鞆城は廃城となり、代わって陣屋が置かれ海部郡における軍事・政治の中心地でした。しかしその後、陣屋も日和佐へと移されます。
現在はひっそりとした静かな漁村です。建物の多くは大正から昭和初期に建てられたものがほとんどですが、メインストリートや路地裏にかけて塗家造りで本瓦の重厚感のある民家や千本格子の街並みなど、一風変わった漁村風景がそこにありました。