月別アーカイブ: 2011年6月

長崎外の古写真考 目録番号: 629 渡し舟(1) ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 629 渡し舟(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 629 渡し舟(1)
〔画像解説〕
人や荷物を大量に運ぶ事のみを目的とする平底の渡し舟。船頭が前後に1人ずつ長い竿を操っている。乗船者全てが髷を結っているので、幕末から明治初期の頃と考えられる。場所不明。

目録番号:4886 渡し舟(7)

■ 確認結果

目録番号: 629「渡し舟(1)」と、次の目録番号:4886「渡し舟(7)」は、同じ写真である。場所は東京の多摩川下流「川崎・六郷の渡し」と思われる。
この項は次の記事を参照。  https://misakimichi.com/archives/2617

〔撮影者:F.ベアト〕ではないだろうか。(掲載を略したが、目録番号:3975「渡し舟(4)」、目録番号:4068「渡し舟(5)」も、ベアト撮影のため後掲する)
小沢健志氏編「新版 写真で見る 幕末・明治」世界文化社2000年刊219頁に「村の渡し舟 1860年代 ベアト」として掲載されている。同解説は次のとおり。

村の渡し舟 1860年代 ベアト
渡し舟は村と村を繋ぐ水上の足として、住民や物資の運搬に重要な役割を果たした。写真では大勢の人々が見られるが、実際には定員があり、こんなには乗せられなかったようだ。

長崎外の古写真考 目録番号:4054 合わせ鏡(3)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:4054 合わせ鏡(3)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:4054 合わせ鏡(3)
〔画像解説〕
日本髪の結い具合を、合わせ鏡でみている女性。丸髷で既婚とわかる。鏡はそれぞれ大きさが違い、重ねて収納する。右に長火鉢。左にも化粧鏡が。

目録番号:4880 合わせ鏡(4)
〔画像解説〕
目録番号4054と同じ写真。周辺を楕円でトリミング。

■ 確認結果

目録番号:4054「合わせ鏡(3)」は、次の目録番号:4880「合わせ鏡(4)」のとおり、〔撮影者:F.ベアト〕である。
横浜開港資料館編「F.ベアト写真集2−外国人カメラマンが撮った幕末日本」明石書店2006年刊88頁に、「134.化粧」として掲載されている。

長崎外の古写真考 目録番号:4080 子守をする子供たちと老女

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:4080 子守をする子供たちと老女

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:4080 子守をする子供たちと老女
〔画像解説〕
子守をしている子供たちは、防寒のために赤ん坊を背負った上にねんねこ半天(はんてん)を着ている。しかし、足袋を履いている子供と素足で草履(ぞうり)を履いている子供がいる。

■ 確認結果

目録番号:4080「子守をする子供たちと老女」は、〔撮影者:F.ベアト〕でないだろうか。
小沢健志氏編「新版 写真で見る 幕末・明治」世界文化社2000年刊168頁に「子供たち 1860年代 ベアト」として掲載されている。同解説は次のとおり。

子供たち 1860年代 ベアト
背景から察すると、冬の日に境内の日向で撮られた光景と思われる。まだあどけない少女の多くが、赤ん坊を背負い、ねんねこ半纏を着ている。この時代、子守の仕事をはじめとして、幼子も貴重な労働力であった。

長崎外の古写真考 目録番号:3962 子供を背負う母親(2) ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:3962 子供を背負う母親(2) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:3962 子供を背負う母親(2)
〔画像解説〕
子供を背負った母親は、長着に羽織を着ている。背負われた子供は、袖に紋(もん)のついた晴れ着を着ていることから、祝い事と思われる。

目録番号:4062 子供を背負う母親(3)   (同写真 掲載略)

目録番号:4896 子供を背負う母親(4)
〔画像解説〕
子供を背負った母親は、長着に羽織を着ている。背負われた子供は、袖に紋(もん)のついた晴れ着を着ていることから、祝い事と思われる。

■ 確認結果

目録番号:3962「子供を背負う母親(2)」と、目録番号:4062「子供を背負う母親(3)」(同写真 掲載略)は、次の目録番号:4896「子供を背負う母親(4)」のとおり、〔撮影者:F.ベアト〕である。
横浜開港資料館編「F.ベアト写真集1−幕末日本の風景と人びと」明石書店2006年刊162頁に、「226.母と子」として掲載されている。

長崎外の古写真考 目録番号:1068 米屋と土蔵

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1068 米屋と土蔵

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1068 米屋と土蔵
〔画像解説〕
土蔵造りの二階建ての米屋と土蔵。店先には米俵を乗せた大八車が置かれ、そのまわりには10人程の人が正面を向いて立っている。暖簾には「萬屋」と書かれている。土蔵の扉は2つとも開かれている。

■ 確認結果

目録番号:1068「米屋と土蔵」は、横浜の英字新聞 ファー・イースト Vol.2 No.6 1871/8/16 に掲載された写真である。
資料は、九州大学デジタルアーカイブから。

長崎外の古写真考 目録番号:1065 江ノ島の神社

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1065 江ノ島の神社

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1065 江ノ島の神社
〔画像解説〕
江ノ島神社は仁寿3年(853)慈覚大師により創建されたと伝えられる。日本三大弁財天の一つで、お岩屋と三宮からなる。写真は市寸島比売命を祭る中津宮。

■ 確認結果

目録番号:1065「江ノ島の神社」は、横浜の英字新聞 ファー・イースト Vol.2 No.8 1871/9/16に掲載された写真である。
資料は、九州大学デジタルアーカイブから。

長崎外の古写真考 目録番号: 909 由比ヶ浜からの江ノ島

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 909 由比ヶ浜からの江ノ島

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 909 由比ヶ浜からの江ノ島
〔画像解説〕
由比ヶ浜からの江ノ島とあるが、写っているのは小動岬のようであるから、おそらく手前の七里ヶ浜よりの撮影か。立っている人物は渡し舟の船頭らか。

■ 確認結果

目録番号: 909「由比ヶ浜からの江ノ島」は、横浜の英字新聞 ファー・イースト Vol.2 No.7 
1871/9/1 に掲載された写真である。
資料は、九州大学デジタルアーカイブから。

長崎外の古写真考 目録番号:1081 鎌倉大塔宮 ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1081 鎌倉大塔宮 ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1081 鎌倉大塔宮
〔画像解説〕
大塔宮は鎌倉市二階堂にある後醍醐天皇の皇子護良親王を祭神とする神社。鎌倉宮ともいう。明治2年(1869)に建立。本殿裏に親王が幽閉されたと伝えられる土牢がある。

目録番号:1088 頼朝の墓
〔画像解説〕
源頼朝は正治元年(1199)53歳で死去。その遺骸は鎌倉市西御門の丘陵の持仏堂に納められた。石囲いの中の古びた五輪の石塔。石垣の前後には大きな樹木が立っている。

■ 確認結果

目録番号:1081「鎌倉大塔宮」(写真は違うが、2人は同一人物)と、次の目録番号:1088「頼朝の墓」は、横浜の英字新聞 ファー・イースト Vol.2 No.7 1871/9/1 に掲載された写真である。
資料は、九州大学デジタルアーカイブから。

長崎外の古写真考 目録番号:1091 箱 庭

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1091 箱 庭

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1091 箱 庭
〔画像解説〕
室内に置かれた箱庭。木で囲まれた枠の中に細い棒で二階建ての家が組み立てられ、小さな樹木や草花、灯篭、庭石が置かれている。背後の壁にはカーテンが掛かっている。

■ 確認結果

目録番号:1091「箱庭」は、横浜の英字新聞 ファー・イースト Vol.2 No.5 1871/8/1 に掲載された写真である。
資料は、九州大学デジタルアーカイブから。

長崎外の古写真考 目録番号:5331 熊本城(5)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:5331 熊本城(5)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:5331 熊本城(5)

■ 確認結果

目録番号:5331「熊本城(5)」は、横浜の英字新聞ファー・イーストの写真だろうか。〔撮影者:上野彦馬〕か、調査が必要である。
小沢健志氏編「新版 写真で見る 幕末・明治」世界文化社2000年刊112頁に「熊本 1877年ころ ファー・イースト」として掲載されている。同解説は次のとおり。上記の中心をアップしただけの同じ写真と思われる。

熊本 1877年ころ ファー・イースト
熊本城の外壕。坪井川畔に並ぶ民家。画面中央には、はるか遠くに熊本城が見える。