長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 629 渡し舟(1) ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号: 629 渡し舟(1) 関連作品 目録番号:4867 同(7)
〔画像解説〕
人や荷物を大量に運ぶ事のみを目的とする平底の渡し舟。船頭が前後に1人ずつ長い竿を操っている。乗船者全てが髷を結っているので幕末から明治初期の頃と考えられる。場所は不明。
目録番号:1695 渡し舟(3)
〔画像解説〕
英語のタイトル通り、船上には、人、牛、荷物が見え、まさに「フェリーボート」である。場所は不明であるが、波の静かさから、かなり大きな川の河口か、湖沼の渡りであろう。
目録番号:3975 渡し舟(4) 関連作品 目録番号:4068 同(5)
〔画像解説〕
九人の男性を乗せた渡し舟が川岸を離れようとしている。船には人力車も乗せられている。渡し場には材木や、荷駄を積んだ二頭の馬、大勢の人の姿が見える。背後には四、五軒の藁葺き屋根の家が建っている。
■ 確認結果
目録番号: 629「渡し舟(1)」、目録番号:3975「渡し舟(4)」とも、東京の多摩川下流「川崎・六郷の渡し」であろう。関連作品は同写真。
2枚目の目録番号:1695「渡し舟(3)」も、舟の形や川の景色から、同渡しと思われる。
歌川広重 保永堂版より「川崎・六郷の渡し」は、”web浮世絵”から。北斎・広重の浮世絵と東海道の古写真ーその3 に、「1860年代「川崎六郷の渡し」ベアト?撮影」 の写真(目録番号:3975「渡し舟(4)」と同じ)が掲載されていて、「川崎・六郷の渡し」とわかった。
現在の六郷の渡し碑・説明板などの写真は、HP「多摩川の渡し」から。
現在は、新六郷橋(ろくごうばし)が、東京都大田区東六郷と神奈川県川崎市川崎区本町との境の多摩川に架かる。国道15号(第一京浜国道)の橋である。
六郷は東海道が多摩川を横切る要地。慶長5年(1600年)に徳川家康が六郷大橋を架けさせた。数回、架け直され、貞享元年のものが江戸時代最後の橋になった。1688年(貞享5年)の洪水以後、橋は再建されず、かわりに六郷の渡しが設けられた。
1874年(明治7年)1月に鈴木左内が私費で六郷の渡しに左内橋を架けた。木橋で通行料を徴収した。この橋は1878年(明治11年)9月に洪水で流された。
左内橋が流された後しばらく橋がない状態が続いたが、地元の人々が六郷架橋組合を作って
1883年(明治16年)に有料の橋を架け、六郷橋と名づけた。(ウィキペディア)