月別アーカイブ: 2011年4月

長崎外の古写真考 目録番号:1764 大法要の人出

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1764 大法要の人出

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1764 大法要の人出
〔画像解説〕
大規模な法要である。中央に2列に並んだ僧侶の長い列が続く。周囲に溢れた人々がひしめいている。

■ 確認結果

目録番号:1764「大法要の人出」は、東京の池上本門寺で明治14年に行われた、「日蓮入滅後600年遠忌」の模様だと言われる。
石黒敬章編「明治・大正・昭和 東京写真大集成」新潮社2001年刊の285頁に、次のとおり解説している。HP「石黒コレクション」にも同じ写真が掲載されている。

【日蓮上人遠忌】Ⅱ16−13
本門寺は日蓮宗開祖日蓮の入滅の地である。日蓮は療養のため身延山を出立し常陸へ向かう途次、池上の領主で本門寺の創立者でもある池上宗仲の屋敷で、弘安5年(1282)10月13日に入滅。この写真は明治14年に池上本門寺で行われた、日蓮入滅後600年遠忌の模様だと言われる。
多くの僧侶と見物人が写っている。明治14年は日本に乾板はまだ伝わっていないので、湿板写真法で撮られた筈だ。しかし、これ程多くの人がいて、殆どブレていないのが不思議だ。写真師は不詳だが、相当の技術をもった人に違いない。場所は、経蔵背後の古くからある車坂だろうか。六切大。〔Y〕

長崎外の古写真考 目録番号:1202 和船(2)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1202 和船(2)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1202 和船(2)
〔画像解説〕
港に停泊している5艘の和船であるが、皆同型のようである。整理番号6-27「和船(1)」は帆を上げているが、同じ型である。これらの船は江戸中期から明治半ばまで活躍した北前船である。

■ 確認結果

目録番号:1202「和船(2)」は、東京の佃島前の風景である。石黒敬章編「明治・大正・昭和 東京写真大集成」新潮社2001年刊の261頁に、次のとおり解説している。

【大川に停泊中の荷船】Ⅱ12−10
同じ写真を大阪としている写真集があり惑わされたが、これは東京である。Ⅱ12−06と背景の家並みが同じであるし、帆柱の間に住吉神社の屋根も垣間見えるから、バックは佃島である。
一見したところ石川島灯台がないように思えるが、手前の弁財船の船尾の上部に、チラリと小さく見える屋根が灯台らしい。随分低い灯台だった。Ⅱ12−07の右に見える白い倉庫が、灯台より少し右手にあるから位置関係は合っている。〔Y〕

長崎外の古写真考 目録番号:1793 都踊り(1) ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1793 都踊り(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1793 都踊り(1)
〔画像解説〕
都踊りは京都祇園の芸妓の踊り。毎年4月1日から30日まで京都祇園の歌舞練場で催される。明治5年(1872)に始まる。したがって整理番号42-27、47-28、47-29の写真はこれ以後の撮影。

目録番号:1794 都踊り(2)   (掲載略)
〔画像解説〕
京都祇園で毎年開かれる都踊りの写真。鼓、三味線の伴奏で、芸妓が一人扇を開いて踊っている。背後は大きな屏風。

目録番号:1795 都踊り(3)   (掲載略)
〔画像解説〕
京都祇園で毎年4月に開かれる都踊りの写真。屏風を背に華やかな集団の踊り。「毎年踊り子と演奏者はもっとも有名な踊り子と歌い手である。」という意味の英語が付されている。

■ 確認結果

目録番号:1793「都踊り(1)」の左下キャプションを拡大すると、「IN KYOTO」のような英字が見える。〔撮影地域:京都〕で良いのではないか。
関連作品の目録番号:1794「都踊り(2)」、目録番号:1795「都踊り(3)」も同じ。

釣れた? 釣具店の釣人 (19)  長崎市平山町

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釣れた? 釣具店の釣人 (19)  長崎市平山町

長崎半島平山町の国道499号線沿い。釣具・えさ店。連日早朝4時オープン。背後は八郎岳。
Fishing shop OGAWA

釣人、早くも鯉のぼり。はちまきは、ガンバレ日本。

長崎外の古写真考 目録番号:1531 順磨の浦

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1531 順磨の浦

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1531 順磨の浦
〔画像解説〕
高台から須磨の海岸を撮影した写真である。民家と農夫が撮影されている。

■ 確認結果

目録番号:1531「順磨の浦」のタイトルは、「須磨の浦」が正しい。

長崎外の古写真考 目録番号:1527 港の風景(2)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1527 港の風景(2)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1527 港の風景(2)
〔画像解説〕
写真中に場所を特定する手掛かりはないが、整理番号3-1「横浜海岸通り(1)」との比較から、本写真も横浜海岸通りと思われる。着物にかんかん帽をかぶった男が柵の鎖に持たれて物思いに耽っているようである。

■ 確認結果

目録番号:1527「港の風景(2)」の沖の石垣らしいものは、台場のようである。横浜港にあった台場とすると「神奈川台場」。その一部と考えられる。
現在の横浜市神奈川区神奈川1丁目「神奈川台場公園」の一角。埋め立てられているが、遺跡が出ている。

次のHPを参照。
埋文よこはま20(PDF)   資料も同HPから
http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/cms_files_maibun/pr_brochure/my20L.pdf
横浜市 環境創造局 神奈川台場公園
http://www.city.yokohama.lg.jp/kankyo/park/make/kanagawadaiba.html

安保地区の花壇と香焼総合公園の桜  長崎市香焼町

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安保地区の花壇と香焼総合公園の桜  長崎市香焼町

2011年4月4日に妻が撮影。安保地区の花壇と香焼総合公園は、3月27日開通した「伊王島大橋」の手前となるので、寄ってください。
後ろの2枚、黄色の八重桜などは、4月9日に大村市大村公園で。

「海きらら」九十九島水族館  佐世保市鹿子前町

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「海きらら」九十九島水族館  佐世保市鹿子前町

2011年3月4日に妻が撮影。佐世保の観光イベント情報サイト SIGHT−SASEBO による説明は次のとおり。

西海パールシーリゾート 西海国立公園九十九島水族館「海きらら」

西海国立公園九十九島水族館「海きらら」は、国立公園に指定されている九十九島の海を再現した、全国的にも数少ない地域密着型の水族館。太陽の下で楽しむ屋外型大水槽をはじめ、映像と音楽、ライティングが幻想的な世界を創り出すクラゲドーム、可愛いイルカたちが泳ぐイルカプールは必見! 九十九島を海中散歩しているような、大人も楽しめる新水族館です。

■イルカ達が待ってるよ!
全国でも珍しい海の国立公園 西海国立公園。208の島々が広がる九十九島の海には、希少な植物や生物たちが生息しています。手つかずの大自然を体感できる『西海パールシーリゾート』内に、西海国立公園九十九島水族館『海きらら』がオープン!
早くもアイドルとして注目されているのが、3頭のイルカたち。天気のいい日は、九十九島の海を一望できる展望ロビーから外に出て、3頭の泳ぐ姿を間近に見ることができます。

■自然の海を覗いたような九十九島湾大水槽
約120種類13,000匹の生き物を展示した水深4.8m、水量650tの『九十九島湾大水槽』も魅力のひとつ。屋根がなく直射日光が降り注ぐのが最大の特徴で、水槽の深い部分から水面までを回廊式の通路から見ると、まるで海中を散歩しているよう。何時間でも生き物たちを眺めていたくなる空間です。

■癒しの空間「クラゲシンフォニードーム」
九十九島の海には約100種類のクラゲが確認されており、入れ替えを行いながら、全種類展示を目指しています。ドーム型のスクリーンに映し出される映像と癒しの音楽のなか、幻想的な光でクラゲが浮かびあがる仕掛けも。地下にはノーベル賞を受賞した下村脩博士研究コーナーもあり、オワンクラゲの展示や研究成果などの展示も予定されています。

その他にもカブトガニのコーナーや、九十九島の生き物に触れることのできるタッチング水槽、海の生き物遊具で遊ぶことができる広場もお見逃しなく。
館内を満喫した後、遊覧船やシーカヤック、ヨットで、九十九島の海風を体感するのもおススメ。
無数の島影で命を育んでいる海の生き物たちの知られざる魅力を、『海きらら』で存分に楽しんでください。

西海国立公園九十九島水族館 海きらら
□開館時間/9:00〜18:00(7月18日〜10月、3月) 9:00〜17:00(11〜2月)
※最終のご入館は閉館の30分前になります。
□入館料/大人(高校生以上)1,400円 小人(4歳〜中学生)700円
□休館日/なし(年中無休)

■西海パールシーリゾート
佐世保市鹿子前町1008番地 TEL0956-28-4187 駐車場/有り・有料  
交通/車:西九州自動車道佐世保中央I.Cより7分
バス:佐世保駅前より市バス「鹿子前観光船桟橋」行きで25分

3−特 戸町岳新戸町登山口 (確認 長崎要塞第三地帯標 第二十五号)

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3−特 戸町岳新戸町登山口 (確認 長崎要塞第三地帯標 第二十五号)

長崎市立戸町中学校裏交差点から、円成寺新戸町霊苑を通り、車道終点の一軒家横から戸町岳への登山道に入る。標石は山道を100mほど進んだ左手にある。上部が欠け石の後ろにあり、登りのときはよほど注意しないと、標石とは気付かない。きょうも行きがけ素通りした。
登山道下は現在、新戸町4丁目の大型団地222区画「ウェリスパーク南長崎」が部分完成して分譲中。団地の「新戸町配水槽」建物のちょうど上の場所のフェンス反対側に、標石はある。団地内の道路からも登山口へ出られる。

私はこの登山道を、幾度となく通った。草つきにも隠れていたのだろう。まったくこれまで気付かなかった。下りのときも団地開発の方へ目が向きがちだった。
標石は2009年3月1日、会の例会「土井首から熊ヶ岳・戸町岳へ」のとき、戸町岳からの下りで、後ろを歩いていた宮さんらが見つけ写真も撮影していた。その話をきょう、初めて聞いた。現地をきょう宮さんと訪ね、標石を確認してきた。

標石の刻面は、「陸軍省」「長崎要塞第三地帯標」「第二十五号」「明治三十ニ年六月十日」。
なぜ「第三地帯標」なのだろう。「長崎要塞地帯略図」に合わないような地点で、「2−特 大崎林道鹿尾町尾根」の標石と同じ。鹿尾町のは「長崎要塞第三地帯標」「第十八号」、改刻部分は「2ndZ」とある。
ここ新戸町のも、上部が欠けわからないが、同じような改刻標石で「2ndZ」とあったのではないだろうか。「第二地帯標」と思われるが、上部は欠けているのは細工をしたような感じもする。
要塞法は数次の改正があった。区域の変更、標石の改刻・転用などがあったりして、頭が混乱している。

長崎要塞第二地帯標 香焼調査は見当たらず

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長崎要塞第二地帯標 香焼調査は見当たらず

わが家から見える伊王島大橋。左の高い山は、大橋を渡った沖ノ島の「遠見岳」。山頂「遠見所」跡で4月1日、「長崎要塞第二地帯標 第十四号」が見つかったことにより、香焼側の尾ノ上海岸竹崎鼻の山(54mピーク)、安保の香焼新トンネル上の山(92mピーク)も、念のため調査。
「長崎要塞地帯略図」により、4年前、栗ノ浦地区や、深堀赤土から香焼にかけての海岸は調査済みであったが、地帯標の標石は発見できなかった。

きょう4月7日、宮さんを同行。2つのピークを調査する。尾ノ上海岸竹崎鼻の山(54mピーク)は、山頂に平らな広場があったが、標石類は何もなかった。
安保の香焼新トンネル上の山(92mピーク)へすぐ移動。恵里団地上の栗ノ浦との里道峠の所から尾根伝いで行く。基準点のようなものは、かなり離れた高台にあった。途中、炭鉱の試掘のような場所があっただけ、こちらも標石類は何もなかった。

きょうの成果は、車に戻る直前、宮さんが「戸町岳の新戸町登山口で、要塞地帯標を見た」と話す。それも2年前の会の例会、戸町岳下りのとき。おやおや、その標石は私はまったく知らない。「新発見だ!」とすぐ新戸町登山口へ向かった。(これは次の記事へ)
佐世保市の高橋さんが、きょう沖ノ島「遠見岳」の標石調査に来てるはずだが、連絡が取れない。高橋さんにとっては残念なこととなった。

宮さんの調査同行記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/27574300.html