月別アーカイブ: 2011年4月

深堀から香焼と伊王島大橋ウオーキング  平成23年4月

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深堀から香焼と伊王島大橋ウオーキング  平成23年4月

平成23年4月3日(日)曇り。伊王島大橋が3月27日開通したため、深堀から香焼と伊王島大橋ウオーキング。沖ノ島裏側へと歩く。参加9人。みさき道歩会の例会。
長崎バス深堀バス停9時30分発ー香焼ー香焼トンネルー伊王島大橋ー遠見岳11時50分着(昼食)ー畦の岩這ー伊王島港ー香焼ー深堀バス停14時50分着(徒歩距離 約15km)

開通後、2週目の日曜日。人出の混雑を予想したが、走る車が多いだけ。ウオーキングで歩くグループはほとんどいない。人間ウオッチングで期待した人にもあまり出会わなかった。
尾上海岸の砂浜で中学生のグループが、お別れのバーベキュー会か準備をしていた。安保地区のチューリップ花壇は満開。香焼新トンネルを抜けると伊王島大橋へ着く。

大橋を渡って、すぐ左方の遠見岳(標高149.1m)へ登り昼食。香焼総合公園展望台より、大橋の景観はこっちの山の中腹からの方が良い。歩いて山頂まで25分はかかる。本日の目的「長崎要塞地帯標」の標石を掘ると、第二地帯標「第十四号」だった。

午後は山頂から引き返し、途中の遠見番所跡から以前の旧道に入る。桜や大橋を眺めながらコンクリート坂段を下ると、荒々しい「畦の岩這」海岸へ出る。沖ノ島の外洋側。鬼の洗濯板のような岩場がある。大潮と重なり、潮が遠くまで引き、高島が浮んでいた。

乗越トンネルを通って、伊王島港で一応、解散としたが、こんな混雑の日にやすらぎ伊王島の温泉へ入れない。船の時間まで1時間あり、全員、深堀の方へ歩いて戻った。14時50分深堀帰着。距離数は15kmをオーバーした。
伊王島大橋の写真は、 https://misakimichi.com/archives/2652
要塞地帯標の標石は、 https://misakimichi.com/archives/2653
宮さんの参加記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/27549227.html

2−特 沖ノ島の遠見岳 (確認 長崎要塞第二地帯標 第十四号)

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2−特 沖ノ島の遠見岳 (確認 長崎要塞第二地帯標 第十四号)

陸軍省「長崎要塞第二地帯標」が、新たに思いがけない場所で見つかった。開通した伊王島大橋を伊王島側へ渡り、すぐ左手に登る沖ノ島の遠見岳(標高149.1m)。大橋から山頂まで歩いて25分ほどかかる。寛永20年(1643)、沖を航行する船を監視するため設けられた沖之島遠見番所の、山頂は「遠見所」跡だった。

4月1日、伊王島大橋をこの山から撮影に行き、要塞地帯標の標石を発見。「長崎要塞地帯略図」にない地点で、これまでの調査の盲点だった。
刻面は「陸軍省」「S.M.2d.Z. 長崎要塞第二地帯標」「明治三十二年六月十日」、埋没してわからなかった番号は、きょう掘って確認すると、「第十四号」だろう。
この標石としては珍しい上部に方角を示す「十」。四等三角点と方角は合致する。

「長崎要塞地帯略図」により伊王島灯台広場に残る標石は、第三地帯の「区域標」として私は整理していたが、良く写真を見ると刻面は、「長崎要塞第二地帯標」「第十五号」。
今回見つかった沖ノ島の遠見岳山頂のは、「第十四号」だから、その前の続き番号となる。伊王島として一体をなす島の端と端2本のみで、標石は島内には他にないだろうと思われる。

「長崎要塞地帯略図」どおりといかない、今回調査の標石だった。第二地帯は、要塞の「第一地帯から外方約4km内の区域」。線引きが海面の場合、海面に続く次の島や陸地の目立つ地点にこのような設置をしたことが考えられ、今後の参考となりうる。

「伊王島大橋」が3月27日に開通  長崎市伊王島町

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「伊王島大橋」が3月27日に開通  長崎市伊王島町 

長崎新聞2011年3月28日の”ながさきニュース”は次のとおり。写真は4月1日撮影。1枚目は香焼側の総合公園展望台から、8枚目以降は伊王島側の遠見岳中腹から。

長崎「伊王島大橋」開通  離島結び利便性や交流拡大に期待

長崎市の離島、伊王島町と本土側の同市香焼町を結ぶ「伊王島大橋」が27日、開通した。橋の供用開始で島と同市中心部は車で30分。通勤・通学、救急搬送など島民の生活の利便性向上や交流人口の拡大が期待される。

橋は、一般県道伊王島香焼線の一部で全長876メートル。片側1車線で歩道が北側にあり、通行は無料。県が1997年度から建設を進めていた。総事業費約120億円。1日平均625台の利用を見込んでいる。

開通式には地元関係者ら約200人が出席。中村法道知事は「住民の利便性や物流の効率化、地域産業の活性化に寄与すると期待している」とあいさつ、テープカットで開通を祝った。東日本大震災を受け、くす玉割りや楽器演奏などは行われなかった。
午後には一般車両の通行が始まり、県内外からの車で早速、島内がにぎわった。

4月3日、会で実施した「深堀から香焼と伊王島大橋ウオーキング」の様子は、
https://misakimichi.com/archives/2654

長崎外の古写真考 目録番号: 755 富士山と小川

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 755 富士山と小川

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 755 富士山と小川
〔画像解説〕
様々な地点から、富士山を撮った古写真は多数存在する。本写真はその中では極めて素朴で寂しい風景となっている。演出されていないありのままのこのような風景が、当時の真の日本風景かもしれない。

目録番号:1213 富士山の遠望(1)
〔画像解説〕
場所は特定できないが、富士山が正面に見える。中景は川が流れ、川岸に沿った道路に篭に乗った人物、それを先導するこうもり傘をさした男などがはっきりと見える。前景窪みの工作物は何であろうか、識別できない。

目録番号: 612 柏原からの富士山(4)
〔画像解説〕
柏原は駿河湾に注ぐ勝間田川河口左岸に位置する。中央を通る田沼街道沿いに小商人・小職人の町屋が並び、川崎湊の発展に伴ってにぎわいを見せたという。町から外れた、景観の良い街道筋であろう。

■ 確認結果

目録番号: 755「富士山と小川」は、2枚目の目録番号:1213「富士山の遠望(1)」と同じ場所であろう。3枚目の目録番号: 612「柏原からの富士山(4)」も同じ。次の記事をまず参照。
https://misakimichi.com/archives/2376
現在の静岡県富士市沼田新田あたりの光景。2枚目の中景の川と見えるのは、富士沼(浮島沼)。前景窪みの工作物は、工事中の排水路。開削が完成して木橋を架け、沼の水を川のように流しているのが、1枚目の目録番号: 755「富士山と小川」の様子?と思われる。

平凡社「大日本全国名所一覧 イタリア公使秘蔵の明治写真帖」2004年11月 初版第二刷発行の218頁 駿河之国に、同じような写真が「柏原富士沼」として掲載されている。同解説は次のとおり。
⑦ 柏原富士沼  (現、富士市沼田新田あたり) 原宿と吉原宿の間、柏原の排水路あたりから北を向き、浮島沼(富士沼、須津沼とも呼ばれた)とその先の富士山を撮影。

以前の記事のとき、地元「鈴川倶楽部」から、次のコメントをもらい、場所を特定できている。
2010/6/27(日) 午前 7:55  鈴川倶楽部です。場所は特定できて、現在の柏原の昭和放水路です。右に見える山は愛鷹山で透水性が少なく、雨がふると浮島沼に流れ込み、その出口が田子の浦ひとつしかなかったので、浮島沼周囲の村は冠水被害に会いました。そこで、地形的に掘割をしやすいスイホシと呼ばれたこの地を、もうひとつの吐き出し口に開削しました。