長崎外の古写真考 目録番号: 755 富士山と小川

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 755 富士山と小川

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 755 富士山と小川
〔画像解説〕
様々な地点から、富士山を撮った古写真は多数存在する。本写真はその中では極めて素朴で寂しい風景となっている。演出されていないありのままのこのような風景が、当時の真の日本風景かもしれない。

目録番号:1213 富士山の遠望(1)
〔画像解説〕
場所は特定できないが、富士山が正面に見える。中景は川が流れ、川岸に沿った道路に篭に乗った人物、それを先導するこうもり傘をさした男などがはっきりと見える。前景窪みの工作物は何であろうか、識別できない。

目録番号: 612 柏原からの富士山(4)
〔画像解説〕
柏原は駿河湾に注ぐ勝間田川河口左岸に位置する。中央を通る田沼街道沿いに小商人・小職人の町屋が並び、川崎湊の発展に伴ってにぎわいを見せたという。町から外れた、景観の良い街道筋であろう。

■ 確認結果

目録番号: 755「富士山と小川」は、2枚目の目録番号:1213「富士山の遠望(1)」と同じ場所であろう。3枚目の目録番号: 612「柏原からの富士山(4)」も同じ。次の記事をまず参照。
https://misakimichi.com/archives/2376
現在の静岡県富士市沼田新田あたりの光景。2枚目の中景の川と見えるのは、富士沼(浮島沼)。前景窪みの工作物は、工事中の排水路。開削が完成して木橋を架け、沼の水を川のように流しているのが、1枚目の目録番号: 755「富士山と小川」の様子?と思われる。

平凡社「大日本全国名所一覧 イタリア公使秘蔵の明治写真帖」2004年11月 初版第二刷発行の218頁 駿河之国に、同じような写真が「柏原富士沼」として掲載されている。同解説は次のとおり。
⑦ 柏原富士沼  (現、富士市沼田新田あたり) 原宿と吉原宿の間、柏原の排水路あたりから北を向き、浮島沼(富士沼、須津沼とも呼ばれた)とその先の富士山を撮影。

以前の記事のとき、地元「鈴川倶楽部」から、次のコメントをもらい、場所を特定できている。
2010/6/27(日) 午前 7:55  鈴川倶楽部です。場所は特定できて、現在の柏原の昭和放水路です。右に見える山は愛鷹山で透水性が少なく、雨がふると浮島沼に流れ込み、その出口が田子の浦ひとつしかなかったので、浮島沼周囲の村は冠水被害に会いました。そこで、地形的に掘割をしやすいスイホシと呼ばれたこの地を、もうひとつの吐き出し口に開削しました。