月別アーカイブ: 2009年4月

長崎の古写真考 目録番号:3809 高鉾島(16) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3809 高鉾島(16) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。
確認が済んだものをその都度、最新の写真の状況を添えて報告したい。気の向くままの調査のため、目録番号の順は不同である。

目録番号:3809 高鉾島(16)
〔画像解説〕
神の島の海岸から見た高鉾島。高鉾島は、キリスト教の殉教の島として海外に知られ、パッペンベルグ(PAPPENBERG)島と呼ばれていた。現在の神の島教会付近から、高鉾島を撮影したもの。明治20年頃(1887)の写真。

目録番号:3874 高鉾島(21)
〔画像解説〕  同

■ 確認結果

長崎港口の「高鉾島」関係。目録番号:3809「高鉾島(16)」と目録番号:3874「高鉾島(21)」とも、撮影場所は「現在の神の島教会付近から」としているから、別に問題はない。
しかし、画一的な説明に感じる。撮影場所は、神の島教会側からではなく、教会とはまったく反対の海岸側の岩礁からである。
奥に見えるのは長崎港の港口で、現在は女神大橋が架かる。三角形の山は星取山であろう。

松の木が2本生えた岩は、地元では「ドンク岩」と言っていたようである。今は岩上に恵比須様のほか、白亜の聖母像が建つ。
昭和59年(1984)6月再建された合成樹脂製の高さ4.6mの聖母の白像。長崎港に出入りする船をやさしく見守っている。海岸の岩には、大きな甌穴があった。

長崎の古写真考 目録番号:3810 高鉾島(17) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3810 高鉾島(17) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:3810 高鉾島(17)
目録番号:3811 高鉾島(18)   関連作品:655 高鉾島(3)、5622 高鉾島(32)

■ 確認結果

長崎港口の高鉾島を写した古写真は、条件を「高鉾島」に指定して探すと、43作品がある。撮影場所の疑問があるものを、これまでも載せた。
上記の4作品も、撮影場所は「神の島」からではない。神の島側からだと、高鉾島の背後に写るのは、八郎岳から熊ヶ峰にかけての稜線となる。

最初の目録番号:3810 高鉾島(17)の古写真は、左側の島が「皇后島(鼠島)」、右が「高鉾島」である。八郎岳は皇后島の背後にある。2島の間は深堀の城山。高鉾島の右側の平たい島は香焼島。
したがって、この古写真は「神の島」からではない。小瀬戸町の長崎市小榊支所横から上がった「大悲寺墓地」の中段から撮影されている。

次の目録番号:3811 高鉾島(18)と関連作品:655 高鉾島(3)、5622 高鉾島(32)とも、これも古写真は「神の島」からではない。前記の小瀬戸町「皇后島(鼠島)」へ渡って写されている。
撮影場所は皇后島の南端、「神功皇后之御舊」碑が立つ海岸あたりからと思われる。そのため、高鉾島が近くに写り、左脇背後の島は、香焼島の左半分である。
ほしなべさんと宮さんへ。この海岸で夕方、50cm級ヒラメがゲットされました。

三菱重工業株式会社長崎造船所「史料館」 (2)  長崎市飽の浦町

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三菱重工業株式会社長崎造船所「史料館」 (2)  長崎市飽の浦町

安政4年(1857)に遡る三菱重工業長崎造船所の発祥から、今日までの長い歴史を物語る
900点余りの品々や写真類の史料を展示。同造船所が日本の近代化に果たした役割と偉業を後世に伝える史料館である。
市民を対象に一般公開されている。開館は主に平日のみ(要電話予約)。入場無料。館内は次のコーナーと中央や屋外に実物展示がある。

・岩崎家コーナー ・史料館の代表的記念物 ・官営期コーナー ・三菱創業期コーナー ・明治後期コーナー ・大正期コーナー ・昭和戦前期コーナー ・戦艦武蔵コーナー ・会社生活コーナー ・貴賓御来訪コーナー ・発電プラントコーナー ・戦後の造船コーナー ・客船コーナー ・その他の展示物
(1)は各コーナーの展示品、(2)は実物展示の機械類を。
同史料館パンフレットによる説明は次のとおり。詳しくは、三菱重工の同史料館HPがある。
http://www.mhi.co.jp/nsmw/introduction/history/archive/index.html

史 料 館

この史料館は、長崎造船所が日本の近代化に果たした役割を永く後世に残そうと、昭和60年(1985年)10月に開設したものです。
史料館に利用されている赤煉瓦の建物は、明治31年(1898年)7月三菱合資会社三菱造船所に併設の「木型場」として建設されたもので、三菱重工業株式会社発祥の長崎造船所に現存する最も古い建物です。
昭和20年(1945年)8月の空襲に於ける至近弾や原子爆弾の爆風にも耐えて百年の風雪に磨かれた赤煉瓦は、わが国の近代工業の黎明期に於ける長崎造船所の華やかな門出を偲ばせるに十分です。
館内は11コーナーに分かれ、安政4年(1857年)に長崎造船所前身の長崎溶鉄所建設が着手されたときから現在まで900点を展示しています。
日本最古の工作機械や海底調査の泳気鐘、日本で最初の国産蒸気タービンの技術の進歩を物語る珍しい品々のほか写真等で長崎造船所の歴史的変遷を示しています。

(史料館の一般公開について)

公開日時:平日の午前9時から午後4時30分まで
(土、日、祝日及び長崎造船所の休業日は休館)
見学申込:事前に電話で御予約ください。
TEL:095−828−4134 FAX:095−828−4124

三菱重工業株式会社長崎造船所「史料館」 (1)  長崎市飽の浦町

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三菱重工業株式会社長崎造船所「史料館」 (1)  長崎市飽の浦町

安政4年(1857)に遡る三菱重工業長崎造船所の発祥から、今日までの長い歴史を物語る
900点余りの品々や写真類の史料を展示。同造船所が日本の近代化に果たした役割と偉業を後世に伝える史料館である。
市民を対象に一般公開されている。開館は主に平日のみ(要電話予約)。入場無料。館内は次のコーナーと中央や屋外に実物展示がある。

・岩崎家コーナー ・史料館の代表的記念物 ・官営期コーナー ・三菱創業期コーナー ・明治後期コーナー ・大正期コーナー ・昭和戦前期コーナー ・戦艦武蔵コーナー ・会社生活コーナー ・貴賓御来訪コーナー ・発電プラントコーナー ・戦後の造船コーナー ・客船コーナー ・その他の展示物
(1)は各コーナーの展示品、(2)は実物展示の機械類を。
同史料館パンフレットによる説明は次のとおり。詳しくは、三菱重工の同史料館HPがある。
http://www.mhi.co.jp/nsmw/introduction/history/archive/index.html

史 料 館

この史料館は、長崎造船所が日本の近代化に果たした役割を永く後世に残そうと、昭和60年(1985年)10月に開設したものです。
史料館に利用されている赤煉瓦の建物は、明治31年(1898年)7月三菱合資会社三菱造船所に併設の「木型場」として建設されたもので、三菱重工業株式会社発祥の長崎造船所に現存する最も古い建物です。
昭和20年(1945年)8月の空襲に於ける至近弾や原子爆弾の爆風にも耐えて百年の風雪に磨かれた赤煉瓦は、わが国の近代工業の黎明期に於ける長崎造船所の華やかな門出を偲ばせるに十分です。
館内は11コーナーに分かれ、安政4年(1857年)に長崎造船所前身の長崎溶鉄所建設が着手されたときから現在まで900点を展示しています。
日本最古の工作機械や海底調査の泳気鐘、日本で最初の国産蒸気タービンの技術の進歩を物語る珍しい品々のほか写真等で長崎造船所の歴史的変遷を示しています。

(史料館の一般公開について)

公開日時:平日の午前9時から午後4時30分まで
(土、日、祝日及び長崎造船所の休業日は休館)
見学申込:事前に電話で御予約ください。
TEL:095−828−4134 FAX:095−828−4124

矢太楼から高平町へ下る  長崎市風頭町・高平町

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矢太楼から高平町へ下る  長崎市風頭町・高平町

風頭公園の桜を見た後、ホテル矢太楼入口左に高平町へ下る標識があり、長崎玉成高校グランド脇を通りながら、急な坂段道を鍛冶屋町の清水寺まで下った。桜のグランド奥の新しい建物は、玉木学園が平成7年設置した「長崎医療技術専門学校」。
長崎は坂の町である。風頭山の三角点は、標高152.0m。これより少し高い矢太楼から、その建物の下をまっすぐ下るような道となる。

景色は写真のとおり。清水寺近くなると、油屋町出身の大浦お慶の墓があった。市街地や長崎港の景色が良い道である。しかし、急な坂段ばかりで登る気はしないコース。長崎人は昔から苦労している。
崇福寺写真の中央奥、山の白い建物がホテル矢太楼。

長崎大学経済学部  長崎市片淵4丁目

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長崎大学経済学部  長崎市片淵4丁目

長崎市片淵4丁目の「長崎大学経済学部」構内の風景。アーチ石橋の「拱(こまねき)橋」とグランドにある桁石橋2つを確認に行ったが、構内の景色も写してきた。
「拱橋」は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/578
「拱橋」は、平成19年(2007)12月、文化庁の登録有形文化財となった。現地説明板は次のとおり。
拱(こまねき)橋 (旧長崎高商拱橋)

石造単アーチ橋、橋長17m、幅員9.1m
長崎大学経済学部の前身である長崎高等商業高校は西山川左岸東側に造成されたため、西山川を横断して道路と接続すべく明治36年(1903)11月30日に拱橋が架設された。高商設立当時の構造物である。拱橋上流には明治39年(1906)に西山橋。大正13年(1924)に片淵橋、すぐ下流には矢場下橋(大正13年)が建設されたが、すべてコンクリート橋である。
トラス形式の鉄製橋梁では学校正門前の橋梁には相応しくないため、上部空間が開かれた上路式アーチ橋が選ばれたと考えられる。石材の表面は細かく加工され、日本の石造橋が持つ土着性から離れた、端正な近代的設計がなされた石橋である。

振り返ると立山公園の桜も見える。片渕中学校跡地に建設中の長崎済生会病院もだいぶんできている。長崎大学経済学部HPによると、学校の沿革は次のとおり。

●長崎大学経済学部の沿革

長崎大学経済学部は、その前身である長崎高等商業学校が、東京高商(一橋大)、神戸高商(神戸大)に次ぐ第三高商として明治38年3月に長崎県西彼杵郡上長崎村片淵郷(現長崎市片淵)の地に設立されて以来、一世紀の歴史を迎えました。
長崎高等商業学校は、わが国近代史と歩みを同じくして発展を遂げた後、第二次世界大戦中の昭和19年4月に長崎経済専門学校と改称されました。なお、その際、長崎工業経営専門学校が併設されましたが、同校は終戦後間もない昭和21年4月にその使命を終えて廃止されました。 
多くの人材を経済界・実業界に輩出した長崎経済専門学校は、昭和24年4月に国立学校設置法の公布により新制大学制度に組み込まれ、経済学科、商学科の2学科を有する新制長崎大学経済学部として新たに発足しましたが、平成17年には、本学部にとって高商設立以来100周年を記念しました。

風頭公園さくら祭り  長崎市伊良林3丁目

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風頭公園さくら祭り  長崎市伊良林3丁目

4月7日、寺町墓地から登って行ったら、風頭公園へ着いた。花見がまだできた。
花見情報HPによると、「風頭公園の桜」は次のとおり。

風 頭 公 園

370本のソメイヨシノにボンボリが灯り、桜まつりが開催されます。初夏にはあじさいの花も楽しむことができ、広く市民に親しまれています。坂本龍馬銅像が見られ、眺望が素晴らしいです。
桜祭り 3月26日〜4月10日 風頭公園桜まつり カラオケ大会、チャリティーバザール、ハタあげ大会、もちつき大会など。
夜 桜 3月26日〜4月10日 18:30頃〜21:00頃 公園一帯に400個のぼんぼり。
時 間 24開放 露店なし 宴会可。
交 通 JR長崎駅からバス約25分 「風頭山」下車徒歩約10分。

崇 福 寺  長崎市鍛冶屋町

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崇 福 寺  長崎市鍛冶屋町

長崎市鍛冶屋町、崇福寺通りのメイン「崇福寺」。入り口の赤門は、その華麗な形から「竜宮門」と呼ばれる。楼門にある扁額「聖寿山」は黄檗宗(禅宗)の祖・隠元の書によるもの。崇福寺は国宝や重要文化財がズラリ揃っている。拝観料 大人300円。
長崎webマガジン「ナガジン」の、発見!長崎の歩き方「寺町界隈ぶらり散歩道」による寺の説明は次のとおり。
聖寿山 崇福寺(黄檗宗)

寛永6年渡来した唐僧超然が寛永9年(1632)、官許を得て創建した。檀家に福州出身の人が多いことから「福州寺」ともいう。
正保3年(1646)に上棟の「大雄宝殿」と元禄後期に改築の「第一峰門」は国宝に指定。 文化財は次のとおり。

崇福寺大雄宝殿(国宝)、崇福寺第一峰門(国宝)(海天門・唐門・二の門・中門・赤門)、崇福寺三門(国指定重要文化財)(楼門)、崇福寺鐘鼓楼(国指定重要文化財)、
崇福寺護法堂(国指定重要文化財)(天王殿・関帝堂・韋駄殿・観音堂)、崇福寺媽祖門(国指定重要文化財)
崇福寺本堂の聯額(れんがく)(県指定有形文化財)、崇福寺の梵鐘(県指定有形文化財) 、崇福寺本堂の仏像群(県指定有形文化財)(釈迦三尊と十八羅漢)、崇福寺の媽祖堂(県指定史跡)
崇福寺大釜(市指定有形文化財)、仏涅槃図(市指定有形文化財)、即非禅師書火化(ひけ)の偈(げ)(市指定有形文化財)、即非禅師書規条六則(きじょうろくそく)(市指定有形文化財)、即非禅師書落成(らくじょう)の偈(げ)(市指定有形文化財)、即非禅師書中天紅日麗(市指定有形文化財)、崇福寺蔵 仏舎利塔並びに舎利殿(市指定有形文化財)、崇福寺三塔(市指定史跡)、即老和尚闍維處(じゃいしょ)(市指定史跡)、仏師氾道生(はんどうせい)の墓(市指定史跡)、唐僧玉岡の墓(市指定史跡)

清 水 寺  長崎市鍛冶屋町

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清 水 寺  長崎市鍛冶屋町

長崎市鍛冶屋町、清水寺の中門となる石門を訪ねた。本堂は現在、改築工事中。寺裏の墓地までも何とか行けた。
清水寺のこの石門には、明和(江戸末期)の文字が刻まれているらしいが、確認できない。
長崎webマガジン「ナガジン」の、発見!長崎の歩き方「寺町界隈ぶらり散歩道」による寺の説明は次のとおり。
長崎山 清水寺(清水観音 清水寺)(真言宗霊雲寺派)

元和9年(1623)創建。山城国の僧(京都清水寺の真言僧)慶順が仏像を抱いて来崎し、薬師石(瑞光石)が光った場所に寺を開いたと言い伝えられている。
清水寺本堂(県指定有形文化財)、清水寺の梵鐘(市指定有形文化財)、絹本著色不動明王三童子像(国指定重要文化財)
長い坂段、本堂前の石畳、石造りの欄干、清水寺内に使われているほとんどが 風頭の石を使用。京都清水寺の僧だった開基の慶順は、この寺を京都の清水寺以上の名所にしたいと考え、清水の舞台に模した石の舞台を造ったと言われている。
瑞光石は本堂裏にあり、石の裏に千手観音の種子(頭文字)が梵字で刻まれている。

参道途中に江戸末期、製茶貿易で名をはせた長崎の女傑「大浦お慶」が信仰していた「歓喜天」が祀ってある聖天堂がある。お慶は油屋町の油問屋・大浦太平次の娘。利益で国事に奔走していた坂本龍馬、高杉晋作、大隈重信などを援助したことで知られる。
明治17年56歳で死去。お慶の墓石は清水寺本堂から100m程上った隣町の高平町にある。

晧 台 寺 (2)墓地の主な墓  長崎市寺町

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晧 台 寺 (2)墓地の主な墓  長崎市寺町

長崎市寺町通りの晧台寺。(1)は、仁王門、山門、大仏殿の建築物が県文化財に指定されたニュース。(2)は、墓地の主な墓など訪ねる。
長崎webマガジン「ナガジン」の、発見!長崎の歩き方「寺町界隈ぶらり散歩道」による寺の説明は次のとおり。
海雲山 晧台寺(曹洞宗)

慶長13年、肥前国松浦郡山口村(現在の佐世保市相浦町)洪徳寺の第7代住持・亀翁良鶴が創建。はじめは洪泰寺と称し岩原郷にあったが寛永3年(1626)に寺町に移り晧台寺と改称。
晧台寺の墓域は広範囲にまたがり、上は風頭公園内の敷地に日本の写真の開祖・上野彦馬の墓、へいふり坂沿いにはシーボルトと深く関わりのあった楠本お滝、イネの墓がある。市指定史跡として、唐通事林(りん)・官梅(かんばい)家墓地、高島家墓地、後藤家墓地もある。