長崎大学経済学部  長崎市片淵4丁目

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長崎大学経済学部  長崎市片淵4丁目

長崎市片淵4丁目の「長崎大学経済学部」構内の風景。アーチ石橋の「拱(こまねき)橋」とグランドにある桁石橋2つを確認に行ったが、構内の景色も写してきた。
「拱橋」は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/578
「拱橋」は、平成19年(2007)12月、文化庁の登録有形文化財となった。現地説明板は次のとおり。
拱(こまねき)橋 (旧長崎高商拱橋)

石造単アーチ橋、橋長17m、幅員9.1m
長崎大学経済学部の前身である長崎高等商業高校は西山川左岸東側に造成されたため、西山川を横断して道路と接続すべく明治36年(1903)11月30日に拱橋が架設された。高商設立当時の構造物である。拱橋上流には明治39年(1906)に西山橋。大正13年(1924)に片淵橋、すぐ下流には矢場下橋(大正13年)が建設されたが、すべてコンクリート橋である。
トラス形式の鉄製橋梁では学校正門前の橋梁には相応しくないため、上部空間が開かれた上路式アーチ橋が選ばれたと考えられる。石材の表面は細かく加工され、日本の石造橋が持つ土着性から離れた、端正な近代的設計がなされた石橋である。

振り返ると立山公園の桜も見える。片渕中学校跡地に建設中の長崎済生会病院もだいぶんできている。長崎大学経済学部HPによると、学校の沿革は次のとおり。

●長崎大学経済学部の沿革

長崎大学経済学部は、その前身である長崎高等商業学校が、東京高商(一橋大)、神戸高商(神戸大)に次ぐ第三高商として明治38年3月に長崎県西彼杵郡上長崎村片淵郷(現長崎市片淵)の地に設立されて以来、一世紀の歴史を迎えました。
長崎高等商業学校は、わが国近代史と歩みを同じくして発展を遂げた後、第二次世界大戦中の昭和19年4月に長崎経済専門学校と改称されました。なお、その際、長崎工業経営専門学校が併設されましたが、同校は終戦後間もない昭和21年4月にその使命を終えて廃止されました。 
多くの人材を経済界・実業界に輩出した長崎経済専門学校は、昭和24年4月に国立学校設置法の公布により新制大学制度に組み込まれ、経済学科、商学科の2学科を有する新制長崎大学経済学部として新たに発足しましたが、平成17年には、本学部にとって高商設立以来100周年を記念しました。