月別アーカイブ: 2008年6月

焼罪史跡公園  平戸市田平町山内免

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

焼罪史跡公園  平戸市田平町山内免

国道204号線の「田平港フェリー」交差点に公園への案内標識があり左折する。是心寺前を過ぎプチホテル「たびらんど」(旧国民宿舎たびら荘)入口からハエ崎への道へ下る。
海峡を挟み平戸城と対面する突端に殉教碑のある「焼罪史跡公園」がある。
「焼罪」は「やいざ」と読むらしい。
平戸口観光協会HP「田平町観光スポット」による説明は次のとおり。

・ 焼罪史跡公園

イタリア人宣教師カミロ・コンスタンツ神父は1605年小倉・堺で布教を行っていましたが、1614年マカオに追放されました。
その後1621年に再び来日し、佐賀・唐津を経て平戸・生月・宇久と布教に当たっている途中、宇久で捕らえられ、1622年九州本土最北端である野田海岸近くにおいて火刑に処せられました。
その遺徳を偲び、信者の手によって昭和34年に殉教碑が建てられ、現在は海岸侵食のため「ハエサキの鼻」に場所を移されました。洋風庭園で殉教碑は平戸城と対面しております。

是心寺のソテツ  平戸市田平町山内免

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

是心寺のソテツ  平戸市田平町山内免

国道204号線の「田平港フェリー」交差点から左折、焼罪史跡公園の方へ案内標識により向かう。途中に鳥居がある所が熊野神社と海寺跡で、この道路先の大きな寺が是心寺である。
長崎県指定天然記念物ソテツの古木は本堂裏手の庭園を見下ろす斜面に立つ。寺地の右隅から回り込んで本堂裏手へ行くと、石垣上の高台にソテツが見える。
Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。

是心寺のソテツ

本堂裏手の斜面にあり、庭園を見下ろすように立っている。高さ8m、幹まわり1.8mの雌株。
開基如法・定是居士が、渡唐記念に寛永4年(1626年)にソテツ数本を植えたと記されているので、樹齢380年ほどになる。昭和54年に県の天然記念物に指定。
境内には、タブノキ、イスノキ、マキノキの大木がある。

海寺跡のハクモクレン  平戸市田平町山内免

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

海寺跡のハクモクレン  平戸市田平町山内免

国道204号線の「田平港フェリー」交差点から左折、焼罪史跡公園の方へ案内標識により向かう。途中に鳥居がある所が熊野神社で、社殿左奥がビロウの自生地である。
海寺跡は、熊野神社の鳥居から社殿へ行く参道の途中から左の木立内へ入る。長崎県指定天然記念物ハクモクレンの古木が綱が張られた一角に立ち、ビロウはここにも生えている。
隣の民家屋敷の通路の方へは立入禁止。
Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。

海寺跡のハクモクレン

田平町・山内免の民家屋敷内にある。旧武家屋敷で、明治元年まで海寺があった。天暦11年(957)には花が咲いていたと言い伝えられている。少なくとも、樹齢600年以上はあるらしい。樹高16m、幹周り2.2m。いくつかの支柱で支えられていた。
昭和54年、県の天然記念物に指定。ハクモクレンは中国原産。隣接する熊野神社境内には県指定の ビロウが自生している。

熊野神社のビロウ  平戸市田平町山内免

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

熊野神社のビロウ  平戸市田平町山内

熊野神社境内に見られるビロウ、九州本島最西端の自生地。長崎県指定天然記念物。
熊野神社は平戸市田平町山内免にある。国道204号線の「田平港フェリー」交差点から左折、焼罪史跡公園の方へ案内標識により向かう。
途中に鳥居がある所の奥が熊野神社。ビロウは社殿左後の斜面に大きいのが数本見られる。
Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。

熊野神社境内のビロウ

田平町山内免にある。種子が流れついて自生したものと言われている。大小40数本が自生しているらしい。九州本島における最北の自生地として、昭和31年、県の天然記念物に指定された。
近くの竹林にも自生している。周辺の林には、シイ、ケヤキの大木の他、バクチノキが多数みられた。隣接した海寺跡には県指定のハクモクレンの大木がある。

田平公園  平戸市田平町小手田免

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

田平公園  平戸市田平町小手田免

国道204号線から平戸大橋へ入る1つ手前の広い道が、小手田免の「田平公園」入口。左折して上る。きれいに整備された広い公園。平戸大橋をすぐ上から眺められる。奥の方に歩いて行くと、平戸島と海峡を望む高台に展望台がある。
社団法人長崎県公園緑地協会HPによる説明は次のとおり。

田平公園 TABIRA PARK

平戸・田平公園管理事務所
〒859-4824 平戸市田平町小手田免823-1 TEL 0950-57-0309
●交 通 西肥バス ◎佐世保駅より平戸方面行き「平戸大橋東口」 約1時間
松浦鉄道 ◎佐世保駅より平戸口方面行「平戸口駅」 約1時間30分、徒歩30分
●整備面積 約19.6ha
●主な公園施設
テニスコート、運動広場、ゲートボール場、子供遊戯広場、花のステージ、展望台、展望休憩所、自由広場、売店、駐車場

田平天主堂  平戸市田平町小手田免

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

田平天主堂  平戸市田平町小手田免

平成20年6月7日、平戸市田平町小手田免の国重要文化財(建造物)「田平天主堂」を訪ねた。江迎湾北の高台へ坂を登りきった国道204号線の道の駅「昆虫の里たびら」先から、田平南小学校の道へ入り、平戸島を西望する「田平天主堂」へ行った。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

「田平天主堂」

多彩な意匠の赤煉瓦教会堂
種 別 重要文化財(建造物)     名 称 田平天主堂
所在地 長崎県北松浦郡田平町小手田免19番地19
建設年代 大正6年10月     
構造形式 煉瓦造及び木造,重層屋根構成,建築面積 459.9㎡ 

煉瓦造及び木造で,正面中央に八角形のドームを頂く鐘塔を付けた重層屋根構成である。3廊式で,身廊部の立面構成は,アーケード,トリフォリウム,クリアストーリーを備えた本格的な構成であり,天井は身廊部・側廊部ともに木製の4分割リブ・ヴォールト天井である。
沿 革
田平天主堂は,長崎県北部,海峡を介して平戸島を西望する位置にある。
設計施工は,長崎県を中心に九州地方北部に数多くの教会堂を手がけた本県新魚目町出身の鉄川与助による。大正6年10月に竣工し,大正7年5月14日に献堂式が行われた。

田平天主堂は鉄川与助の煉瓦造教会堂作品の中では最後のもので,外観,内部とも全体的に均整のとれた構成であり,鐘塔を中央に付設した象徴的な正面の構えや,多彩な煉瓦積み手法を駆使した華やかな細部も意匠的に優れており,外観の表情に彩りをも添えている。
平戸瀬戸を見下ろす高台に立地し,教会の周囲には畑地,北側にはキリシタン墓地が広がるといったロケーションの良さや,司祭館をはじめ,門柱,石段,石垣などが残り,周辺の歴史的環境がよく保存されている点も貴重である。

大野台支石墓群  北松浦郡鹿町町深江免

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

大野台支石墓群  北松浦郡鹿町町深江免

鹿町町深江免の国指定史跡「大野台支石墓群」は、国道204号線の江迎町中心から鹿町町への県道18号線へ入る。
鹿町工業高校先のファミリーマート角に、「大野台支石墓群」と「大野台小学校」入口の案内標識があり、左折して山手の道へ上がる。大野台小学校は手前から回り込み、まもなく高台の堤手前の雑木林の中にこの史跡がある。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

大野台支石墓群  史跡(国指定)

指定年月日 昭和60年5月14日  所在地 北松浦郡鹿町町深江免字南の股・字北平
所有者 鹿町町
支石墓は大陸文化の影響を受けて、縄文時代晩期から弥生時代中期にかけて作られた墳墓で西北九州に多く分布する。県内では本支石墓群の他に15か所が確認されており、群をなす特徴を持っている。
本遺跡は江迎湾に注ぐ鹿町川南岸、標高70〜80mの玄武岩台地上にあり、その規模は原山支石墓群(国指定・北有馬町)とともに最大級を誇る。かつては80数基存在していたと推定されるが、現在は2群45基が指定されている。
これらの墳墓が作られた時期は、出土資料から縄文時代晩期から弥生時代前期に比定されており、墳墓群の推移を考えるうえで重要な遺跡である。数多くの出土資料の中で、広形銅鐸の袋部(着柄部)は特に貴重なものである。

潜龍ヶ滝  北松浦郡江迎町田ノ元免

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

潜龍ヶ滝  北松浦郡江迎町田ノ元免

江迎町田ノ元免に「潜龍ヶ滝」はある。国道204号線の松浦鉄道「潜龍ヶ滝駅」先に案内標識があり、北方の谷、江迎川の支流沿いの道へ入る。駐車場から赤い太鼓橋(鉄製)を渡り、石段を200mほど登ると、滝壺へ着く。
歩道の途中の下の滝「不動の滝」「布引の滝」も見ごたえがあり、3段続いている。最後の3枚の写真が、最奥の「潜龍ヶ滝」。 

駅先の道路入口に古い標石があった。刻字はよく読めない。私の当てずっぽな読み方は「勢ん里よう乃瀧へ 是より十六丁」。
HP”湯〜マットdeSの「旅」 6 滝・渓流への「旅」”による説明は次のとおり。
諫早のこの方の山・街道歩き・滝などの探訪HPはすばらしい。同滝の全文を借用した。

潜 龍 ヶ 滝 (江迎町) 

「潜龍ヶ滝」は北松浦郡江迎町にあり、吉井町草の尾を源流とする江迎川の支流の滝である。
10代の平戸藩主松浦観中煕は、1828(文政11)年に管内巡視の際に、この地に至り、この滝を検したとき、「たまたま滝壺より龍の頭を表すあり、公大いに慶び「潜龍ヶ滝」と命名」したと伝えられている。その後、観中公は名勝の地を選んで、「平戸地方八奇勝」と名付け、その一つがこの潜龍ヶ滝である。

MR松浦の潜龍駅付近から、山手に標識に従い、約2kmの道のりを自動車で行き、駐車場に停める。 そこからコンクリートの橋を渡ると、左手は公園となっており、石段を登っていくと、神社に到着する。更に登っていくと、石の鳥居があり、その先に、潜龍の滝はある。

潜龍ヶ滝は高さ約20m、滝壺の深さ6m、男滝と、女滝の2つに別れている。その壮観さは「滝の威に打たれ、しみじみ合掌す」(俳人森永杉洞)と言われるほどである。滝壺に落ちた水は2筋に別れて、「布引の滝」となり、また1つに合わさり、「不動の滝」になるという。
なお、この滝は婦女は、域内に入ることは許されておらず、藩主は毎年、代参を派遣して、神楽を奏し、これを祀ったという。

隠居の森ウォーカーズパークのヤマツツジ鑑賞  平成20年6月

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

イメージ 19

イメージ 20

イメージ 21

イメージ 22

イメージ 23

イメージ 24

イメージ 25

隠居の森ウォーカーズパークのヤマツツジ鑑賞  平成20年6月

平成20年6月8日(日)曇一時小雨。佐世保市平松町・黒髪町地内の隠居の森ウォーカーズパークへヤマツツジ鑑賞。
隠居岳(標高670m)へ登り、オサイ峠観音堂まで回るコースを歩く。参加9人。
遊歩館9時半発ーツツジ園ー隠居岳(昼食)ー宇戸越ー郷美谷池ーオサイ越ー宇戸越ー石ケ倉ー大山口越ー遊歩館15時着

3時間10.5kmとあるが、ゆったりと5時間はかかった。ときどき霧雨となり、景色がパッとしない。この山のヤマツツジ群落は見事だが、最盛期から1週間遅れていて残念だった。
西海橋経由。平松入口からパークへ行った。最後の写真は、帰りに写した麓からの山容と近くで寄ったアーチ石橋「祝田橋」。