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佐世保市(世知原町)に残るアーチ石橋  (4)

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佐世保市(世知原町)に残るアーチ石橋  (4)

佐世保市(世知原町)に残るアーチ石橋は、17橋である。
HP「お茶と石橋の街 世知原 せちばる web site」の石橋の項を参照。
散策用”せちばる石橋群マップ”は、世知原活性化施設「国見の郷」(農産物展示販売)・佐世保市役所世知原支所・生涯学習センターなどにある。
ほとんどの橋に、説明板が付けられ、主要道路入口から案内標識が整備されている。

世知原町郷土誌編纂委員会編「世知原町郷土誌」(世知原町 平成2年10月発行)295〜306頁「6.アーチ式石橋群と石造文化」による説明は次のとおり。
掲載順は、石橋の場所がわかりやすいように変えた。

最後の「(2) 竜の氏橋」は、現在、上流側に新橋を造るため工事中。また、すぐ30mほど上流には古い桁橋「小岩橋」があり、見るには左岸の畑畦道を通って行く。
なお、古山橋の上流にあった「(5) 通地橋」は崩壊の危険性があり、昭和62年解体された。代りに世知原中学校グランドの「若鮎橋」を入れて、17橋と紹介した。

写真 14  ( 4)  古 山 橋        (上野原免・古山)
佐々川の支流・字山中の絶壁下にあり、道路面は舗装されて若干修復の跡はあるが完形。周辺景観ともよくマッチしている。
架橋 大正13年    橋長 9.7m  幅員 3.6m  橋高 6.3m

写真 15  ( 3)  尾 崎 橋        (槍巻免・浦木)
知見寺線の旧道、尾崎の墓所下にあり、佐々川の本流に架かる。交通量は少ないが現在も使用中。道路面は舗装されている。
橋の両側は10m前後の急峻な断崖絶壁で、架設上の困難がしのばれる。
両岸の断崖上部を加工して橋台とし、輪石には砂岩でなくて安山岩系の石を使用するなど、伝統的な石橋の構築技法に従っていることが観取され、工事の困難性の故か目地のモルタル補修もなく、橋面はともかく橋全体は創架時の状態をよく保っている。現時点では町内で最も古い橋といえる。
架橋 明治30年    橋長 6.7m  幅員 3.6m  橋高 9m

写真 16  ( 1)  高 観 寺 橋      (上野原免・天竺田)
佐々川上流の高観寺旧蹟のたもとにあり、現在は使用されていない。
スパンドレル(アーチ両脇の三角小間)部に一部崩壊が認められるが、他はほとんど完形で残存しているる
国民宿舎「国見山荘」への通路にあたり、県道に併行して現在の高観寺橋からその全部を見ることができる。川も美しく上流の景観とよくマッチしている。
架橋 昭和4年11月  橋長 13.3m  幅員 3.9m  橋高 6.4m

写真 17  ( 2)  竜 ノ 氏 橋      (上野原免・竜ノ氏)
高観寺橋下から佐々川支流の竜ノ氏川を上った小橋で完形。道路面は舗装されていて一部補修の跡がみられ、現在も使用されている現役の橋であるが交通量は少ない。
架橋 大正15年    橋長 4m  幅員 3.4m  橋高 3. 6m

佐世保市(世知原町)に残るアーチ石橋  (3)

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佐世保市(世知原町)に残るアーチ石橋  (3)

佐世保市(世知原町)に残るアーチ石橋は、17橋である。
HP「お茶と石橋の街 世知原 せちばる web site」の石橋の項を参照。
散策用”せちばる石橋群マップ”は、世知原活性化施設「国見の郷」(農産物展示販売)・佐世保市役所世知原支所・生涯学習センターなどにある。
ほとんどの橋に、説明板が付けられ、主要道路入口から案内標識が整備されている。

世知原町郷土誌編纂委員会編「世知原町郷土誌」(世知原町 平成2年10月発行)295〜306頁「6.アーチ式石橋群と石造文化」による説明は次のとおり。
掲載順は、石橋の場所がわかりやすいように変えた。

写真 10  ( 6)  い ず み 橋      (栗迎免・矢櫃)
佐々川本流の町中心部にあり、住宅密集地の「かじか団地」に架かる。
松浦炭鉱の時代には、炭鉱住宅(川向)への通路となっていた。現在は使用されず、新いずみ橋と併行して残っている。完形で両側絶壁状の崖上に架橋されていて、尾崎橋と同様、工事の困難がしのばれる。
断崖の下流域は、材料の石材採取地となっており、前記「歴史民俗資料館」の石材もここから採取されたといわれている。川面の風景も情緒がある。
架橋年 不 詳   橋長 9m  幅員 2m  橋高 7.9m

写真 11  ( 7)  山 口 橋        (栗迎免・山口)
世知原の鎮守、山口神社東側の旧道、北川内川が佐々川本流に合流する地点にある。
絶壁の崖上に架かり、川は深い渕をなしていて、その景観はすばらしい。アーチも断崖と対応して造形の美をなしている。
架橋 大正14年  橋長 5.2m  幅員 1.8m  橋高 5.2m

写真 12        若 鮎 橋        (世知原中学校グランド)
雲仙普賢岳の噴石を使用して、生徒達が組み上げた石橋。
生徒達は試作の「ぐらぐら橋」からスタートして、この150個の噴石を組み合わせた石橋を完成させた。切石で無い石橋は古里に架かる小さな石橋を思わせる素朴で懐かしい佇まいを見せていた。(若鮎橋の説明は、HP「長崎県の石橋を訪ねて」から)
架橋 平成15年12月8日  橋長 4.0m  幅員 0.8m

写真 13  (13)  きりのき橋        (北川内免・桐ノ木)
山口橋の上流、念田への入口付近に架かる。旧道で現在は農作業の往来に使用される程度であるが、架橋時から全く手を加えられておらず、道路面の舗装もなされていない野の道にあって、アーチ・欄干・親柱ともに完全。周囲の田園的な状況は絵になる光景を保っている。
保存状態の秀逸さと、年代や架橋経緯の確かさ、架橋記念碑の存在など、現存アーチ式石橋の中で最も貴重なものの一つといえる。総工費558円30銭であった。
県立少年自然の家への通路にもあたり、教育、文化、観光の面でも期待がもてる。
架橋 大正15年3月  橋長 5.7m  幅員 3.5m  橋高 3.1m

佐世保市(世知原町)に残るアーチ石橋  (2)

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佐世保市(世知原町)に残るアーチ石橋  (2)

佐世保市(世知原町)に残るアーチ石橋は、17橋である。
HP「お茶と石橋の街 世知原 せちばる web site」の石橋の項を参照。
散策用”せちばる石橋群マップ”は、世知原活性化施設「国見の郷」(農産物展示販売)・佐世保市役所世知原支所・生涯学習センターなどにある。
ほとんどの橋に、説明板が付けられ、主要道路入口から案内標識が整備されている。

世知原町郷土誌編纂委員会編「世知原町郷土誌」(世知原町 平成2年10月発行)295〜306頁「6.アーチ式石橋群と石造文化」による説明は次のとおり。
掲載順は、石橋の場所がわかりやすいように変えた。

写真  5  (10)  い し 橋      (栗迎免・本田原)
栗迎から太田に通じる旧道、佐々川支流の路木場川(通称、六婆川)に架かる。そのものずばりの名称をもっている。
河川景観はすばらしく、両岸の断崖は町内石橋群の中でも最も高い方に属し、きわめて難工事であったと考えられる。
輪石は頂部で扁平なものを用いていて、設計技法の稚拙さか、または施工の簡便さへの工夫がみられる。
そして、(3)の尾崎橋と同様、両岸の断崖上部を加工して橋台とすることや、輪石には砂岩でなく安山岩系の石を使用するなどの伝統的な石橋構築技法にしたがっている。
架橋 明治40年4月  橋長 8.9m  幅員 3.2m  橋高 10.1m

写真  6  ( 9)  倉 渕 橋      (栗迎免・矢櫃)
佐々川の本流、県道菰田線(佐世保〜世知原〜松浦)に架かる町内現存最大のアーチ式石橋である。見事な半円をえがき、川の端は現在身障者用の釣場や川遊びの場として整備されている。
近代的設計技法により拱環厚(輪石の厚さ)を底部から頂部にかけて次第に減衰し、要石(最頂部の楔石)を目立った扱いにしている。そして、橋台部分を垂直に石積みした上に、扁平な弓形アーチを構えている。
従って、アーチの下部が腰折れ状態となっている。さらに上下流の両端は安山岩を使用し、中央部には砂岩と両者を併用している。
この橋のアーチは長崎県最大、九州でも五指に入る径間長を誇る橋として特筆に値するものである。大正7年(完成は8年3月)、県道倉渕橋をアーチ式石橋に架け替えたのであるが、そのとき世知原村は県に対して八百円の寄付金を拠出している。
架橋 大正8年3月  橋長 20.6m  幅員 4.6m  橋高 8.1m

写真  7  (11)  奥 ノ 口 橋     (太田免・奥ノ口)
長田代に源を発する佐々川支流、鍋田川の川口に近く、弦掛観音西福寺の裏の谷に架かる。
現在はスパンドレル部と道路面は完全に消失(豪雨水害?)して、アーチ部分だけが残存、旧道路面は丸太数本で人間だけは通れる。
しかし、この橋はむしろアーチ技法を見るうえでは貴重であり、現状保存をするべきである。足下には優雅な滝があって、立地条件、景観はすばらしい。
架橋 大正15年  橋長 3.4m  幅員 1.7m  橋高 2.2m

写真  8  (17)  丑 太 郎 橋      (長田代免・奥ノ口)
奥ノ口川(鍋田川上流)にあり、昔の作道に架かる。現在は不使用。スパンドレル部(アーチ両脇の三角小間)、輪石ともに安山岩系の自然石を使用し、要石も粗製安山岩で素朴そのものである。
目地はしっくいを全面に使用し、全体構成は自然石だけの風情もあるが、アーチの線は見事で奥ノ口川の景観と見事にマッチしている。
架橋 大正期    橋長 5.3m  幅員 1.8m  橋高 3m

写真  9  (16)  野 田 橋       (長田代免・平原)
小橋で、個人住宅に架かる。架橋年は不詳であるが、近隣住人の証言では昭和30年頃の架橋という。もしそうだとすれば、むしろその新しさにおいて貴重な存在となるのであるが、石組みの状況等からみる限り疑問も多く、この年代判定にはまだ慎重を期すべきであると考える。
架橋年 不 詳   橋長 2.7m  幅員 1.8m  橋高 1.6m  

佐世保市(世知原町)に残るアーチ石橋  (1)

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佐世保市(世知原町)に残るアーチ石橋  (1)

佐世保市(世知原町)に残るアーチ石橋は、17橋である。
HP「お茶と石橋の街 世知原 せちばる web site」の石橋の項を参照。
散策用”せちばる石橋群マップ”は、世知原活性化施設「国見の郷」(農産物展示販売)・佐世保市役所世知原支所・生涯学習センターなどにある。
ほとんどの橋に、説明板が付けられ、主要道路入口から案内標識が整備されている。

世知原町郷土誌編纂委員会編「世知原町郷土誌」(世知原町 平成2年10月発行)295〜306頁「6.アーチ式石橋群と石造文化」による説明は次のとおり。
掲載順は、石橋の場所がわかりやすいように変えた。

写真  1  (15)  曲 川 橋      (谷口免・曲川)
橋長 5.5m  幅員 3.5m  橋高 3m

写真  2  (14)  前 原 橋      (岩谷口免・前原)
橋長 3.3m  幅員 3.6m  橋高 3.1m

写真  3  (13)  岩 下 橋      (岩谷口免・岩下)
橋長 5.7m  幅員 3.8m  橋高 2.8m

以上の3橋(13,14,15)は、いわい橋から通じる県道、梶木場線の橋名と同名の地点に、それぞれ佐々川支流をまたいでいる。
数百mおきに、ほとんど同規模、同型式の石橋群で同一設計手法にもとづいて、同時期に順次架設されたもので、小学校石垣、洞禅寺石垣などを築造した、世知原町栗迎免160の内野永雄氏(平成2年・96才)の架橋になるものである。
架橋は3橋とも昭和2年4月とされるが、多分1橋のものが代表された年代として扱われているのであろう。
内野氏の証言によると、当時は設計図などはなく、お宮の境内に実大のアーチ図を土に書いて、厚紙をきってアーチにならべ、その紙をあてて砂岩を加工したということである。
こういう事例が群として残存し、しかも昭和の初期までこれらの技法が用いられていることは貴重であるといえよう。

写真  4  (12)  い わ い 橋     (岩谷口免・岩谷口)
佐々川本流の岩谷口に架かり、吉井町の一部と境を接している。
現在の橋は、道路舗装と幅増しのため、昭和37年に上部の改良が行われているが、石橋自体は架橋時のままである。
スパンドレルの壁石は砂岩を用いているが、アーチの輪石は安山岩系の固い石を使用している。景観も雄大であるが、旧親柱の刻字によって架橋時の金額等を知ることができる。… きびしい天役によって工事がすすめられたことがうかがえる。
架橋 大正2年3月  橋長 16.3m  幅員 4m  橋高 11m

戸町岳から烏帽子岩・小ヶ倉ダムへ  平成20年5月

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戸町岳から烏帽子岩・小ヶ倉ダムへ  平成20年5月

平成20年5月25日(日)山は霧。戸町岳(標高427m)から烏帽子岩・小ヶ倉ダムへ。参加10人。本日の目的は、5月11日の長崎学さるく「大久保山の藩境塚めぐり」に続く戸町岳尾根の藩境塚確認と小ヶ倉ダム上流部の巨大スギ見学。
大山入口公園9時半発ー海星高グランド尾根ー登山道出合ー戸町岳(昼食)ー三村境藩境塚終点ー大山林道ー烏帽子岩ー昆虫の森ー小ヶ倉ダム15時着。

戸町岳尾根の方には、南佐嘉領小ヶ倉村・大村領戸町村の天明7年(1787)築かれた藩境塚20基が残る。女神大橋先の白崎を起点とした藩境塚は、大久保山・戸町岳と越し、熊ヶ峰への登山道分岐となる三村(天領茂木村とも)境で終る。
別項参照。 https://misakimichi.com/archives/85
長崎市街近く、人知れず残る藩境塚。延々約6km続く。T型金具によってブロック別番号を付けているので、楽しみに探してほしい。

巨大スギは、小ヶ倉ダムの上流部、東の谷間にある。大正11年(1922)植林された。長崎市内では数少ない大木のスギ林。幹回り4mくらいのスギが10本ほど残る。
山は霧だった。烏帽子岩へ着いてから少しずつ晴れ間が見えた。

吉田大明神社叢  佐世保市吉井町上吉田

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吉田大明神社叢  佐世保市吉井町上吉田

吉田大明神は、吉井町の東南部、上吉田にある。国道204号線の佐世保「皆瀬」交差点から妙観寺トンネルを越し吉井町への県道40号線により行くと近い。下りの途中に「吉田大明神社叢」の案内標識があり、右折して行くと吉田大明神へ着く。春日神社のまだ先となる。
吉井町へ入ってからは、県道54号線沿いに工業団地のある橋川内などから登り口がある。

吉田大明神は、五蔵岳の麓標高250mの高地にあり、社叢約1haは社殿後ろのやや急な斜面。多くの木が発達している。昭和49年、県天然記念物に指定された。
なかでもイロハモミジは、幹回り155〜245cmの4本が揃い、他に例がないとされる。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中の説明は次のとおり。

吉田大明神社叢

吉井町上吉田にある。イロハモミジ、イスノキ、ツブラジイ、タブノキ、ヤブニッケイ、ホソバタブ、ムクノキ、バリバリノキ、クスドイゲなどがあり、昭和49年、県の天然記念物に指定された。

春日神社のクスノキ  佐世保市吉井町田原

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春日神社のクスノキ  佐世保市吉井町田原

春日神社は、吉井町の東南部、谷内地区にある。国道204号線の佐世保「皆瀬」交差点から妙観寺トンネルを越し吉井町への県道40号線により行くと近い。下りの途中に「吉田大明神社叢」の案内標識があり、右折して行くと春日神社へ着く。吉田大明神はまだ先となる。
吉井町へ入ってからは、県道54号線沿いにいろいろ登り口がある。

神社の社前に注連縄を巡らせた4坪程度の沼地に、吉田の地名の起こりといわれる「逆さ葦」が生えている。また、境内に入るとマキやシイの木に混ざって、柿の木の原種といわれる「トキワ柿」の木が2本生えている。別名吉田柿といわれる。
クスノキの大木は境内でなく、神社へ入る手前左手の田の道に立っている。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中の説明は次のとおり。

春日神社の大クス

幹周り5mあり、樹齢800年。吉井町最大のクスとして町の天然記念物に指定。
このクスは神社境内にはなく、少し離れた場所にある。春日大明神を鎮座の時、御神霊をこのクノキの洞腹に一時安置したと伝えられている。神社境内入口にはマキの大木があり、境内にはシイの巨木がある。

福井洞窟  佐世保市吉井町福井

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福井洞窟  佐世保市吉井町福井

吉井町中心部から福井川に沿う松浦市への県道40号線へ入る。吉井北小学校を過ぎると福井町となり、すぐ県道の右脇に「史跡 国指定福井洞穴」の標柱がある。
神社の社殿裏手が福井洞穴である。
吉井町「吉井町ふるさとガイドブック YOSHII−BOOK」平成6年刊2〜3頁の説明は次のとおり。
福 井 洞 窟(国指定史跡)

この洞窟は、洪積世(約3万年前)から沖積世(現世)にかけて、人類が居住地として利用した遺跡です。昭和11年、社殿改築のとき洞窟床面が約1m掘削され、土器、石器、人骨等が発見されました。
その後、町の郷土史家、故 松瀬順一氏が学会に報告し、昭和35年から3次にわたり日本考古学協会西九州調査団による調査が行われた結果、深さ約6m、16層に分かれた地層から、3万年以上前の先史遺跡が確認されました。
昭和48年に佐世保市の泉福寺洞窟から豆粒文土器が出土するまでは日本最古(縄文早期約1万2千年前)の土器であった隆起線文土器が、細石刃とともにこの洞窟の3層から発見されました。
また、13層からは世界最古の石器が発見されるなど、旧石器時代から縄文時代にかけての遺物が層位的に出土しています。

御橋観音石橋  佐世保市吉井町

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御橋観音石橋  佐世保市吉井町

平成20年5月21日、佐世保市吉井町へ行く。御橋観音の天然アーチ石橋を見た。
国道204号線佐世保市吉井行政センター前の少し先から右折して入る。吉井川の北側を学校の前など通りながら行くと、山手の観音と公園へ登る入口の案内標識がある。
吉井町平成6年刊「吉井町ふるさとガイドブック YOSHII−BOOK」16頁の説明は次のとおり。
御橋観音石橋

昔から平戸八景の一つに数えられた御橋観音は、吉井町が誇る名勝です。
町の中心部から東へ1km程行った牧の岳の中腹にあり、御橋観音寺の境内を通り風雅な庭園の奥、高さ20mのところに、長さ30m、幅4mの第三紀砂岩層からなる二条の天然の石橋が、空に架かる天の浮き橋のように架かっています。
石橋の下に祀ってある石仏の周囲や岩肌には、岩タバコなどのシダが多く茂って幽邃を醸し、前庭の十一面観音を祀る堂宇が園内の調和を保っています。

松浦鉄道の橋梁  佐世保市吉井町

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松浦鉄道の橋梁  佐世保市吉井町

平成20年5月21日、佐世保市吉井町へ行く。松浦鉄道の橋梁を見た。
潜竜ヶ滝・吉井駅2km間に、福井川・吉田・吉井川の3橋梁がある。国有形文化財に2006年登録された。

旧国鉄伊佐線(現松浦鉄道)の施設。戦時中の鉄筋不足の時代、コンクリート造連アーチに続けて,鉄筋コンクリート造の単桁を架けた橋梁等。スパンドレルに連続アーチを穿ち,軽量化を図るなど,官設鉄道当時の橋梁建設技術を伝え貴重とされる。
松浦鉄道HP「ぶらり松浦鉄道」の中のデータは次のとおり。

福井川橋梁 (写真 1〜4)
建 設 年   : 1942年(昭和17年) 
アーチ部全長 : 67m06cm
アーチ半径   : 10m×3

吉田橋梁  (写真 5〜7)
建 設 年   : 1939年(昭和14年) 
アーチ部全長 : 58m00cm
アーチ半径   : 5m×5

吉井川橋梁 (写真 8〜11)
建 設 年   : 1944年(昭和19年) 
アーチ部全長 : 45m88cm
アーチ半径   : 5m×4

写真12〜13は、福井川橋梁に取り付けられている国登録有形文化財の説明板と文化庁の同プレート。
3橋梁の位置図は石橋図のとおり。