黒岳の「みさき道」と同じような幟立石が、式見矢筈岳にもあった
神社の鳥居の脇に、大祭や縁日に神社名など染め抜いた幟(のぼり)を立てる「幟立石」または「棹立石」という石柱をご存じであろう。これが神社にあればわかるのだが、人里遠く離れた別々の山の中に2本、目にした。
1つは、脇岬観音寺参り「みさき道」コース上にある。黒浜ダムの上の山は、我々は「黒岳」(標高243m)と呼んでいるが、文献による正式な名は「石コロバカシ」と字名もある。「みさき道」はこの山の脇を行く。20年位のヒノキの植林地で、木が石に食い込んでいる。
川原の浦里先生(三和史談会)は、「戦前、香焼の川南造船所が高い棹を立て、新造船軍艦の1マイルテストをした目印でないか」と考えられている。ここまでは納得できそうな見解だった。
ところが平成18年1月20日、長崎半島と遠く海を隔てた西彼杵半島、式見の「あぐりの丘」矢筈岳(標高336m)の山腹道で、全く同じような石柱を見つけた。佐世保高橋氏と「長崎要塞区域標」を調査していた時のこと。市式見支所が地元の人へ聞き込み、ここに何か石柱があると教えてくれた。確認のため探しに行ったら、この石柱であった。
黒岳の石柱は、25×15×50cm。刻みの字や方角は何もない。紐を通す2穴あり。矢筈岳のも全く同じで、寸法が少し大きい。
「式見郷土史」によると、この道は畝刈からの「式見往還道」。次のように記す。
”畝刈村たいら坂(畝刈よりは、くえの平という)籠立場より、むれ木溝川、むれ木峠、こふり川、はへの迫小川を経て、箱石峠まで一八町一六間(約1922米)…”
地名がどこを指すのかわからないが、石柱はちょうどこの道の中間地点くらいの場所にある。海はほとんど望めない。
浦里先生に報告すると、石柱は黒岳と同じものと考えられるが、先生自身この考え方には何の資料等根拠がなく、困っていると洩らされた。
豪華客船ダイヤモンドプリンセスの例に見られるように、最近でも三菱長崎造船所の新造船は、この海域や五島灘で試運転が行われている。速力試験は風向や潮流の影響を平準化するため、同じ海域を往復することによって、同じ出力の計測を何度も行う。
ハイテク時代、最新計器が定点を決定するはずであり、何もこんな目印が必要と考えられない。三菱重工史料館に聞いてもわからなかった。
この石柱で考えられるのは、他に地図測量・気象観測また長崎要塞区域などに関するものでないかということである。2つの石柱の地点を結べば、経度は垂直とならない。あえて探せば、標高200mくらいで同じようである。
測量史研究の京都上西氏に写真を送ったが、全国の他の地域で同じようなものが出てこない限り、何とも言えないとのことであった。
調査はここでプッツリ途絶えている。誰か知っている人がいれば教えてほしい。村境でない。牛馬をつないだ単なる石とは考えられない。