三川町谷口宅庭にある「従是東北大村領」の藩境石

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三川町谷口宅庭にある「従是東北大村領」の藩境石

江越先生の平成18年7月12日実施、西山街道歴史散歩資料「大村藩殿様道 A(洗切〜川平〜西山口)」による説明は次のとおり。
三川町の谷口宅は、長崎バス「上の角」バス停近くである。

8 領 境 石
かつて天領長崎と大村藩領浦上木場村の境三組川内峠(西山台)には領境石が建てられていた。郷村記には「高さ五尺(1.5メートル)横七寸、安政5年(1858)に建て、従是東北大村領と銘にある。以前は木杭であった。」とある。
現在は、谷口家の庭に移設されている。谷口家の人の話によると、昭和30年ころ三川の区長だった仙右衛門さんが『おとしの峠』と言われるところから運んできたとのことである。
この『おとしの峠』の所在地が今ひとつはっきりしないが、谷口さんのお話によると、今のバス道路の最高点現川峠や仁田木場への分かれ道あたりであったという。しかし、領境石が郷村記記述のものと同じ物であるとすれば、明治以後に『おとしの峠』付近に移されたものとも考えられる。

なお、藤野保編「大村郷村記 第六巻」図書刊行会昭和57年刊の中「浦上木場村」237頁の記述は次のとおり。

(屏風岩や三組川内川を通り)同駕立場より三組川内峠長崎御料境傍爾石 高サ五尺、横七寸、安政五午年建之、此以前ハ杭なり、銘曰従是東北大村領 まて九町五拾弐間、此間上り坂にて、左右田畠・山なり、此所を三組川内峠と云、長崎越第一の難所なり、木場村往還道此所にて終る