長崎の巨樹・名木 (長崎市)」カテゴリーアーカイブ

大勝寺跡のイチョウ  長崎市川原町

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大勝寺跡のイチョウ  長崎市川原町

長崎市川原町の川原本村バス停先から、右へ舗装のきれいな車道へ入る。つきあたりに住吉神社がある。市指定天然記念物大クスノキを回りさらに行くと、左へ分かれる車道があり、これに入るとすぐ大勝寺跡史跡の案内標識がある。
三和町「三和町郷土誌」昭和61年刊の第五章「植物」73頁、外山三郎氏稿の説明は次のとおり。なお、大勝寺跡から高い石段を登ると大師堂があり、その狭い境内にもクスノキ・アベマキなどのかなりの大木がある。
入口標識へ戻り車道をさらに進んだ八幡神社上祠脇にも大木が見られる。

大勝寺のイチョウ

昔、川原に大勝寺という寺があったらしい。それがいつのころか廃寺となったといい、この寺に関連したと思われる墓石群もある。この寺に植えられた一本のイチョウの雌株がある。このイチョウは目通り幹囲、二メートル足らずで大木というほどではないが、幹の下の方が膨らんでいることなどから、かなりの古木と思われる。また大勝寺記念の木として意義がある。

蚊焼海岸通りのエノキ  長崎市蚊焼町

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蚊焼海岸通りのエノキ  長崎市蚊焼町

長崎市蚊焼町の蚊焼小学校前から海岸通りへ出て、右方へ曲がるとこのエノキがすぐ見える。大きな石を組んだ石垣の内側の斜面庭に生え、根元から2本の支幹に分かれ、端正な枝ぶりである。目通り幹回り4.5m、樹高15mくらい。蚊焼町の唯一の大木。
隣家の入口に地蔵堂があった。防波堤上にあった別の石祠はラビリンスの風景。

若宮稲荷神社のコウヤマキ  長崎市伊良林2丁目

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若宮稲荷神社のコウヤマキ  長崎市伊良林2丁目

秋の祭り10月14,15日に狐の姿をして行われる「竹ン芸」行事で有名な若宮稲荷神社は、長崎市伊良林2丁目にある。風頭公園下の龍馬通り上段から神社へ下る車道がある。

神社説明板の古写真に写っている大きなマキと、クスノキが現在もそのまま残っている。マキの神木は幹まわり4mある。ものすごい高木である。神社に尋ねると「コウヤマキ」と言っているそうだ。神社参道には、石橋の参道橋がかかり、方形の鳥居も珍しい。

「コウヤマキ」とは「高野槇」のこと。悠仁親王のお印の木。このくらい大きかったら市指定天然物ものだろう。HP「自然界へようこそー巨樹巨木ー樹種解説書」による説明は次のとおり。

高野槇 コウヤマキ  学 名 Sciadoptys verticillata
スギ科 コウヤマキ属 常緑針葉高木

概 要 マキと呼ばれる樹には、コウヤマキ・イヌマキ・ラカンマキがありますが、コウヤマキはスギ科、イヌマキとラカンマキはマキ科です。
日本特産種で、コウヤマキ科と1科をたてる場合もあり、この場合には、1科1属1種の木ということになります。
真言宗総本山のある高野山(和歌山県伊都郡高野町)に多いのでこの名がありますが、「木曽の五木」の一つに数えられる良木です。
分 布 本州(福島県以西)、四国、九州(宮崎まで)
特 徴 大きいものでは高さ40m、直径1.5mを超すものもあり、3〜4月に花を付け、球果は長さ8〜13センチの楕円状円柱形で、翌年の秋に褐色に成熟します。しばしば球果の先に葉が出る。
樹皮は赤褐色で縦に裂け、長い片で剥がれる。長枝には褐色の鱗片葉が螺旋状につき、短枝には2個の葉が合着した長さ6〜13センチの線形の葉が20片ぐらい輪生する。
用 途 庭木、建築材、器具材、船舶用材など。材は耐水性があるため、風呂桶などに重用されます。

また、HP「恵那山ねっと」によると「ヒマラヤシーダー、ナンヨウスギとともに、世界の三大庭園樹としてその樹形の美しさが賞賛されているコウヤマキ。現在では日本だけに残り、福島から西の本州、四国、九州の山地に自生しています」という。

深堀城山の座禅石横のタブノキ  長崎市大籠町

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深堀城山の座禅石横のタブノキ  長崎市大籠町

長崎市大籠(おおごもり)町善長谷カトリック教会上のタブノキは、前項に載せた。教会背後の深堀城山(標高350m)の北西側山腹にある「座禅石」横にも、大きなタブノキがある。
善長教会前に車を置き、集落の横道により畑地の中を深堀方向へしばらく行くと山腹鞍部に出て4叉路となる。右上の山頂八幡社への参道山道を登ると、すぐ「←お水・座禅石」の標識があり、左へ入る。230歩で座禅石に着く。幹まわり3.7mのタブノキ老木が横に立つ。座禅石にはたしかに五言絶句の刻字がある。お水場はさらに120歩先の沢である。

座禅石などの中尾正美編「郷土史深堀」昭和40年刊の説明は次のとおり。

(三八) 座 禅 石
菩提寺六代賢外普門和尚が座禅を行い悟りを開いた処で、此の故に禅定谷と呼ばれる様になり訛って善長谷となったとも言われる。此処には五言絶句の石があるが、現在は風化してその文意さだかならずして且つ二つに割れている。座禅をしたであろうと想像される境石をもって仕切ってある。
此処の空をおほふ老木は其の当時のもので今に到るも繁茂しこれを切れば祟があると信じられて誰も伐る者がない。

(三九) 藩主の水
座禅石より東約百米の谷に清水が垂れ落ちている。現在は善長部落の用水に取水されているが、盛夏時には渇水する程の水量である。善長にお水方がいて所要に応じて運んでいた。

善長谷開拓碑脇のタブノキ・エノキ  長崎市大籠町

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善長谷開拓碑脇のタブノキ・エノキ  長崎市大籠町

善長谷開拓碑(長谷川佐八・甚介碑)は、長崎市大籠(おおごもり)町の善長谷カトリック教会の左上にある。善長へは深堀または平山台から行き、大籠町迎川橋のところが登り口となり、案内標識がある。
この開拓碑の脇にかなり大きなタブノキ2本とエノキがまとまって立つ。幹まわり3〜4mはあるようだ。善長谷教会前庭のもタブノキである。鐘がつり下げられている。 

善長谷開拓碑の長崎市立博物館「長崎学ハンドブックⅢ 長崎の史跡(歌碑・句碑・記念碑)」平成16年刊による説明は次のとおり。

132 善長谷開拓碑 (所在地:大籠町)
この地の開拓は、文政6年(1823)佐賀藩深堀領東樫山から水方佐八に率いられた人達の移住に始まる。彼らは全員キリシタンであったが、鍋島家より原野数町歩を与えられ、城山頂上の八幡神社の祭祀や掃除等を課せられた。さらに、旦那寺は菩提寺であったが、踏絵は免除された。このようなことが絶好の隠れみのとなり、以後も信仰を隠すことができ、幕末維新に至った。

三和みさき駅出荷の「ゆうこう」の木など  長崎市平山町・布巻町・川原町

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三和みさき駅出荷の「ゆうこう」の木など  長崎市平山町・布巻町・川原町

柑橘類の新種「ゆうこう」について、先項により長崎市大籠町の木を紹介している。これは、三和物産販売所「みさき駅」に出荷している実の木など。新種発見のきっかけをつくり、木の分布を調査している川上正徳氏に同行し、出荷されている方などに案内してもらって現地の木を訪ねた。出荷シーズンが終わり、実はほとんど取られている。

写真上から3枚が、平山町の木。布巻町岩原さん所有。みのり園上のサイクリング道路松尾岳登山口の近くにある。幹まわり1.3m、樹高10m位。大籠町のより大きいような木である。そばにあと1本、幹まわり0.6mの木がある。

次の3枚が、布巻町の木。浄信寺先の薬師様水場近く道路沿いにある。これは参考のためで別の人所有。出荷されてない。実をつけているのは幹まわり0.8m、樹高6m位。小さい2木は庭に栽培中である。

後の3枚が、川原町の木。川原町橋田さん所有。宮崎川中流の川向い、畑地の斜面に立つ。幹まわり1.27m、樹高10m位。これも大籠町のより大きいような木である。

白川稲荷神社のアコウ  長崎市為石町

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白川稲荷神社のアコウ  長崎市為石町

白川稲荷神社は長崎市為石町にある。為石バス停から三和中学校正門右の車道を上がる。墓地から左の細道に入ると、すぐ「寺岳→」とコンクリート面に書かれており、右へ畑道を登る。この道は為石から寺岳登山口へ出る近道である。
畑が切れかかり水場を渡ると赤い鳥居があり、急な石段のピーク上に神社がある。バス停から約15分。石鍋製作所跡の岩がこの先の林間にある。

アコウは神社の左脇。幹まわり6mほど。高台の岩に根を張り、大枝は数本に別れ横にも伸び、独特な樹形をしている。複合樹かも知れない。下の車道から見えたピークと思ったものは、アコウの木である。
下の4枚の写真はこの近くの大木。シイの根が複雑にからまったものと、ムクノキのようだ。

旧長崎英国領事館のヒトツバタゴ  長崎市大浦町

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旧長崎英国領事館のヒトツバタゴ  長崎市大浦町

赤レンガの建物、旧長崎英国領事館は長崎市大浦町の電車通りにある。野口彌太郎記念美術館となっていたが、美術館は平野町平和会館へ移転していた。
ヒトツバダゴは対馬に自生していて有名であるが、庭木としてあちこちで見られるようだ。領事館の裏手にもタイサンボクなどの高木があるが、今は中に入れない。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(街路樹)の説明は次のとおり。

ヒトツバタゴ  モクセイ科ヒトツバタゴ属 落緑高木 雌雄異株

葉は対生で、長楕円形。5月、枝先に円錐花序に白い花を多数つける。花冠は4裂し線形。果実は約1cmの楕円形で黒く熟する。
日本では木曽川流域(愛知県・岐阜県)、長崎県対馬にしか自生しない珍木。上対馬町鰐浦地区には、国内最大の約3000本が群生している。地元ではウミテラシ、ナタオラシ(ナタが折れるほど堅い木)、ナンジャモンジャノキとも呼ばれている。
長崎市の野口彌太郎記念美術館の入口にあるヒトツバタゴ。花は4月中旬から。果実は6月頃。長崎では庭木としても見られる。

長崎市科学館前のユーカリノキ  長崎市油木町

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長崎市科学館前のユーカリノキ  長崎市油木町

長崎市油木町にある長崎市科学館。ここは移転した長崎市立商業高校の広い跡地。長崎県立総合体育館カブトアリーナとともに建てられた。当時の樹木が残っている。このユーカリノキもその1つか。科学館の周辺に植えられた樹木は1本ごとに名札があり、大人でも勉強になる。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(街路樹)の説明は次のとおり。

ユーカリノキ  フトモモ科ユーカリノキ属 常緑高木

樹皮は灰色で剥がれやすい。葉は狭披針形で長い。革質で鎌のように曲がる。葉は樟脳の匂いがする。4〜5月、3cmほどの白い花を数個つける。雄しべは多数。オーストラリア原産。日本には明治10年頃に入ってきたらしい。
長崎市油木町にある科学館前のユーカリノキ。側にメタセコイアの高木が2本そびえている。爆心地から遠くない場所にあり、戦後植えられたものだが高木になっている。ユーカリやメタセコイアは成長が速い。世界でもの一・ニを争う高木なのも肯ける。
蕾は4月下旬、花は5月下旬。果実は7月下旬。

梅園身代天満宮のウメ  長崎市丸山町

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梅園身代天満宮のウメ  長崎市丸山町

長崎市丸山町にある梅園身代天満宮。丸山公園角の料亭花月前から左へ入る。すぐ右手に参道入口の路地があり、案内標識がある。梅の蕾が一部の木で開きかけていた。
最後の写真は、料亭花月がすぐ下となるので、庭園を天満宮の隅から写した。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(街路樹)の説明は次のとおり。

梅園身代天満宮のウメ

長崎市丸山町にある。元禄13年(1700年)に創建された天満宮。創建した安田治右衛門が襲われ自邸に担ぎ込まれるが、不思議に傷はなく、代りに庭の天神様が血を流して倒れていたことから、身代り天神様と呼ばれるようになった。花街に接していて、丸山の芸者や遊女が多く参拝していたという。
20本の紅白の梅がある。毎年2月3日に「梅園梅まつり」が行なわれ、夜間にライトアップされる。例大祭(11月第二日曜日)には「女みこし」が披露される。

(追 記 平成21年2月5日)
後ろの梅が開花している6枚の写真は、きよう梅園身代天満宮に行って写してきたので、一部差し替えて追加した。